初めてものがたりに心揺さぶられた日のことを覚えていますか?

絵本「海辺のくま」 Clay Carmichael (クレイ・カーミッシェル)/江國香織訳

 何気なく寝る前に子どもたちに読んだ「海辺のくま」は、結果的に私にとって貴重な思い出を携える1冊となりました。"ものがたりを読んで、心が揺さぶられる"という経験を初めてする子どものその様子を、その途中経過も含めて、初めて見たのです。
 読み終わって裏表紙を閉じてふと子どもの顔を見ると、5歳の娘は息を止めて真っ赤な顔をしながらわなわなと震えていました。驚きをもって見ている私の顔を睨みつけ、そのあと号泣して取り乱し、布団の中に頭を突っ込んで自分で呼吸が整うまでしばらく暴れていました。

「海辺のくま」は、海辺の家に少女と住むくまが、空に浮かぶしろくまのような大きな入道雲を眺めながら、とうさんがほしいと切に感じているところから始まります。余白を大切にした構図に寒色のペールトーンで描かれた絵で、くまがとうさんを探しにいく展開に進みながら、父の存在と、居場所への納得感を読者も一緒に追いかけます。

 娘の取り乱した様子に、いま読む本ではなかったかと一瞬頭をよぎったのですが、七転八倒して自分の気持ちが落ち着くまで大声で泣くのは娘の特徴なので、終わるまでただ待っていました。こういうときは大抵何を言っても野暮すぎるのが親の発言です。私には一体どのあたりがどう彼女の琴線に触れたのか機微を分かっていないので、砂だらけの手で生身の心臓を触るようなものになってしまいます。それに第一、自分の感情に浸れる十分な時間を確保することのほうが大切です。子どもにだって、感情を味わう権利があります。
 ちなみに、泣き止もうと努力して枕や布団にしがみついたりして暴れている娘の傍らには、いつもどおりリラックスして寝転んでいる私の夫・彼女の父親がいました。つまり娘にとって「自分がいま父親と一緒にいる」こととは関係なく、ただひたすらに、ものがたりに、あの寂しげに遠くを見つめるくまに、感情を激しく揺さぶられたのでした。

 寝る前に大騒ぎになっちゃったなと、反省することでもないが行き場のない気持ちで私は本を片付け、何事もなかったかのように手帳を開いて明日の予定などを確認したりしていましたが、ふいに見ると、娘は私が片付けたはずの「海辺のくま」を小脇に携えているのです。あれだけ泣いて騒いでいたのに?!と不思議に思ったが、黙って様子を見ていたら特に何をするでもなく誰もいないテーブルの上に置いて、また別のこと ー シール貼りなど ー をしていました。

 いよいよ眠る時間が近づいてきました。改めて、つとめて何気ない様子で娘に「さっきあのくまの本、出してたよね。すごく泣いてたけど、表紙が見えても大丈夫なの?」と聞いてみたら、すぐに口を開いて「あのねぇ、すっごくかんどうした!かんじょうがばくはつした!で、泣いちゃったんだよねー!」と驚くほど明るい顔をして答えた。娘が「かんどうした」と表現したのはこれが初めてだった。今まで幾度となく、複雑な感情に言葉で形を与えられず号泣する娘を見てきました。輪郭を持たせる言葉を親が与える必要もないと思って泣くだけ泣かせることのほうが多くありました。きっと今後も私はそうすると思いますが、そんな娘が、自分自身で騒ぎ立つ感情に向き合い、波が引いていく最後までの感覚を味わい、立ち上がって振り向き、そのものがたりの存在を見つめることができるようになったことに驚きました。そして赤ん坊が初めて歩いた日のごとく、彼女の心が一人で自分自身のものがたりに向かって歩き出したような力強さを感じたのです。

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