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○○旅行、という楽しそうな響き

三浦しをんさんの著作に「天国旅行」という短編集がある。
その本について書評を書いたのだが、気持ちが収まりきれなかったのでnoteでも綴ることにした。

まず、「天国旅行」という響きがよい。
このことが書きたかったのだが、簡潔に表現することができず、書評記事には書くことができなかった。

人が死ぬと、ほんとうに天国へ召されるのか、というところはさておき、この「天国旅行」というタイトルに、ほんわかとしたあたたかい印象をわたしは持った。
修学旅行、とか卒業旅行、とか課内旅行、とか記念旅行、とか。
旅行の枕詞にしてしまえば、なんだか楽しく感じるのかもしれない。
例えばこころなしか、地獄旅行、というフレーズもあまりおどろおどろしくはない。地獄めぐりツアーのようなイメージをふと、想像する。
とても楽しそう、とは思えないがなんだか物見遊山のような楽しそうな響きだ。
旅行、ということは帰ってくる、ということだ。
行ったまま、ではないということ。
いつか終わる、非日常であるということだ。

内容の話をさせてもらうと、この短編集は「心中」をテーマにしている。
正直、どの短編も違った魅力があり、読むたびに「ううむ」と唸ったり胸がいっぱいになったりする。

はじめて読んだときに、すごく落ち込んでしまったのだが、先日読んだときに胸がすくような、仄かな灯りを感じたのが「SINK」という短編だ。
文庫版ではいちばん最後に収録されている。

物語のあらすじとしては、一家心中からひとり生き残った男の子の、その後の話だ。
彼は生き残ってしまった、と思っている。水中に沈んでいく父や母、弟と死ぬことができなかった、と。
引く母の手を蹴り、生き延びてしまった、と。
幼いころのおぼろげな記憶を思い浮かべては、自問自答を繰り返す日々を送っている。
誰に問いかけても、自分に問うても、答えは分からないのだけど。
彼は物語の終わりに自分なりの答えを導く。
過去の己を納得させ、これからの自分を照らすようなひとつの答えを。

この「SINK」は少しほろ苦くて、大人の味がする短編なのかもしれないな、と思った。
思い出したくないこと、苦しい記憶、辛い過去は、普段自分から遠のいていても、ふとした瞬間に近くへにじり寄ってきて、時たまわたしたちを苦しめる。
乗り越えたはずのものが、フラッシュバックのようによみがえり、あの頃の暗い感情が戻ってくるような。そんな経験はないだろうか。
ただ、時がたてば苦しむばかりでなく、それなりに折り合いをつけて今の自分だけでなく、過去の自分に折り合いをつけていくことができるのだ。
そうも思う。
少し乗り越えた大人になった今だから、わたしは「SINK」という短編を好きになれたのかもしれないと思った。


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