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不安との戦い方と、あえて時間をかける働き方について

あえて懐に飛び込む

新しいシステムを作っていると、本当にユーザーの心に入り込めているのか、という不安を抱く時がある。

経験上、こういうのは一人でクヨクヨ悩むと解決せずドツボにハマるので、思い切って聞いてみることにした。「案ずるより産むがやすし」というやつで、嫌なものとか不安の対象は、あえて懐に飛び込むと案外突破口が開けたりするものだ。

というわけで、オンラインとオフラインの計3回、ざっくばらんに質問を受け付けるコーナーを設けた。使い方で分からないところ。操作でつまづいたところなどを聞いてもらい、私が答える会だ。

時間に限りがあるので全ての質問をその場で即答というわけにはいかないのだが、この取り組みを通じて周りからの反応が明らかに変わった。

「質問をできる場がある」という事実が人々に与える影響は大きい。未知の要素がたくさんある新しい取り組みについては、作り手も不安だがユーザーはそれ以上に不安だ。そこを少しでも和らげようという姿勢が重要なんだなと実感した。

あえて時間をかける働き方について

最近は目の前の仕事に追われたり、ストレス発散のために食べ歩きしたりなど、動物のような刹那的な行動が多かった。

ここは頭の体操として、遠くの景色を思い描くこともやってみようと思った。

たとえば、10年後の生命保険業界はどうなっているか?

間違いなくAIがもっと身近な存在として仕事上でも活用されているだろう。将棋のプロがAIの指し示す候補手を見ながら「これはどういう意味だろう」とウンウン唸っている景色が目に浮かぶ。

世の中も変わったなぁ、と思うかもしれないが、これまで難しい哲学書を読んで「どんな意味だろう」と思い悩んで思考力を鍛えているのと構造的には一緒だ。

コンピューターの計算を信じて意図を辿るのか、昔の有名な哲学者を信じて意味を探るのか。こうしてみると、信じるものがあることは人が学びを得る上で重要なんだなと思う。

自分より遥か高みにいる存在がないと、どっちの方向に成長してゆけばいいか分からなくなってしまうからだ。

ちなみに、私はシステム関係の仕事をしているので、AIの構造まで理解したポジションを取りたいと思っている。

そのため、他の人が専門家にお任せしてしまっているデータの形式整備とか、データ読み込み時のコンピューターへの命令文作成まで、専門家を質問攻めにしながら学んでいる。

後輩の表情を見るに、「専門家におまかせしてもっと楽に済ませましょうよ」といいたげだが、ここが絶対に将来差となって現れてくると私は思っている。

あえて負担を引き受ける部分こそが、その人のキャリアの独自性を生み出すのだ。

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