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歩き回った地域のいびつな地図

行ったことのあるエリア、特に馴染みのあるエリアを思い浮かべる時。
思い浮かべる風景や店、目印となる建物が同じエリアでも人それぞれ違うことがある。

最近ではあまりやらないが、誰かに目的地を教えるために手描きで地図を書く時も地図アプリのように、全ての建物や道路を書くことは無い。
自分の記憶の中で主要になりそうな道や目印になりそうな所を描きながら、目的地を示す。

「自分の足で歩き回って、そこで店に入って飲食をする等、体感していることがその人それぞれの頭の中の地図に記憶され、その人独自の地図を手に入れる。」といった趣旨のことが以前読んだ江弘毅さんの本(たぶん「街場の大阪論」新潮文庫)に書かれていて、読んだ当初「おぉぉぉ!!確かに!!」と感動したことがある。

歩いた街の地図は自分の記憶に残る場所を中心に頭の中に描かれていて、それはとてもいびつな地図だ。

この地図は場合によっては、ランドマークが建物ではないこともある。
「あそこは朝、いつも可愛い犬とすれ違う」
「あの店の店員さんは不愛想だけど、聞いたらすぐに答えてくれる」
といった、思い出のようなソフト面が含まれた地図だ。

また、住まいの近くでもあまり通らないエリアは情報がスカスカだから、情報がとても偏った ”いびつな” 独自の地図である。

まちづくりや関係人口といった言葉もよく聞くが、その土地に住む人や親しみを持つ人が持つ独自の地図を共有したり、訪問者がその土地の地図を描き出す時にまちや人が化学反応のように変化していくことで、まちづくりや関係人口の増加へと繋がるのだろう。

たまには自分の手で地図を描くことや、既成の地図に自分の感性で気になったことを書き込んでいくのも良いかもしれない。
最近だと、市川力さんの「知図を描こう!」がこの話題に近いかもしれない。

わたし自身はNHK教育(Eテレ)でやっていた「たんけんぼくのまち」が原点な気がする。

詳細に、キレイに描かれた地図アプリはとても助かるけど、たまには馴染みのないまちをとにかく歩き回って体感し、独自の地図を自分の中に描くのも良い。

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