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信念と行動の果てなき闘い~立川談志と、落語と、業の肯定と

落語は、人間の業の肯定だ

そう言い切った落語家がいました。
立川談志さん。

亡くなってもう12年が経つのですね。
早いものです。

最近の中高生は下手をすると
宇多田ヒカルさんすら知らない子がいますから、

立川談志って落語家がいたんだ・・
という話をすると、
「また出た!おっさんの昔話・・」
みたいな顔をされるのですが、

おっさんは
おっさんの人生を嬉々として語ることを
常々、信条にしており、
「このおっさん、おもしれーな」
と思わせることに喜びを見出しています。

というわけで、
おっさん語りに
最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
(高校生に語る口調でいきたいと思います)

さてさて・・・・

立川談志という落語家が昔いたんだよ。

落語はわかるよね?

失敗やヘマ話、
ウソやごまかし、
浮気も詐欺もゴマンと出てくる
庶民の人情話でさ、

その落語の本質を

人間の業の肯定だ

と言い切った人なんだよね、

ちなみに日テレの『笑点』の企画立ち上げて、
初代の司会を務めたのは、この人だよ。

「業」っていうのは、
わかりやすく言うと、

わかっちゃいるけど、やめられない

ってことで、
君たちも勉強しなきゃいけないって
わかっているけど、
つい目の前のケータイで動画見ちゃうでしょ。
あと5分て思っているのに、
気がついたら1時間経っていたみたいな。
これが「業」だね。

その「業」を、
徹底的に肯定するのが落語であり落語家なんだ
てことを立川談志さんは常々話していたんだよ。

これは先生(枝瀬のこと)が
高校生くらいのときだったんだけど、
その談志さんが食道がんになったんだ。
そんで、がんにかかったことを公表するために、
入院直前の病院で記者会見を開き、
全局ネットのテレビカメラの前で、
タバコをスパスパ吸ってさ、

ガンになったくらいで、
タバコをやめるなんて、
意志の弱いやつだ

て言って
小ネタをはなみながら、
記者をげらげら笑わせているわけ。

高校生の頃に、
この人おもしろいな、と感心したんだよね。

と同時に、
「業」を肯定する
という信念をちゃんと行動で示している人だと
信頼できたんだ。

タバコがいい、悪いって話じゃなくてさ。

ガンにかかっても、
おいしいタバコをやめられない人がいる。
それは「業」そのものなんだけど、
それでいいじゃないか、
そう肯定をしているんだな、
と思ったの。

だって、
落語に登場する人たちは、
みんな、それぞれの「業」を抱えていて、
それなりに苦しんだりしているわけ。
でも、最後は、その様子をおもしろおかしく
温かく受け入れる器の大きなところが
落語にはあって、
立川談志という人は、
それを地で証明している人だなあ、
と感じたのです。

タバコ吸ってただけなんだけどね。
高校生の自分には痺れるほど、
カッコよかったなあ。

さて、ここからは真面目な話。

「認知的不協和」


という言葉を聞いたことがあるかな?

簡単に要約すると、
「やりたいこと、かなえたいこと」(願望)と、現実にギャップが生じたとき、
自分の態度や行動を変更してまで、納得感を得ようとすることをいうんだ。

たとえば、「イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話」がわかりやすい。
キツネが木になった美味しそうな葡萄を見つける。それを取ろうとするんだけど、どうしても届かなくて取ることができなかった。
そこでキツネは、
「ふんっ、どうせ酸っぱくて美味しくもなんともない葡萄なんだろう」
と捨て台詞を残してその場を去った、という話。

手に入れたいという欲求があるのに手に入れる事ができないという現実があった場合、手に入れたいと思ったものを「価値がない」や「自分には相応しくない」などの判定を下すことで、不安定な心の状態を解消してしまう心理なんだよ。
要は、負け惜しみ・・だよね。

もう一つ身近な例を挙げると、
ある人がやり甲斐を感じにくいルーティン作業の仕事に就いているとする。
誰にでもできる仕事なんだ、それは。
でも、その人は、本当はクリエイティブで自分にしかできないような仕事に就きたいと思っていたら、そこで、不協和が生まれるよね。
一番いいのは、転職するか起業するかなんだけど、どうしてもそれができないとなると、少しでも不協和を解消するために、「流れ作業をすることで、忍耐強い心が生まれる」とか「自分なりのこだわりを持ってやっているからクリエイティブだ」などと、完全に後付けの「やりがい」で解消しようとするんだよ。

それでね。
この「認知的不協和」の話を踏まえた上で、
引き続き話を聴いてほしいのだけど、
今回のメインテーマは

「信念 vs 行動」

です。

信念と行動が闘ったら、
どっちが勝つのか?というお話。

多くの人は、信念と行動が違っていた場合、
信念を変えて行動にマッチさせようとしてしまうんだ。

たとえば「俺は◯◯大学に合格して充実した人生を送りたい」という願望(信念)を持っている生徒がいるとする。
しかし、実際には、十分な学習時間を確保できず、その日その日の部活動の練習に疲れて帰宅するばかりで、目標に向けた具体的な行動が何一つできていない。
不協和が起こってしまうわけなんだけど、
そこで多くの人は、自分の思考を変えて、行動にマッチさせようとしてしまう。
つまりこの例でいうと、
「有名大学に入らなくても、やり甲斐をみつけて充実した人生を送れるんだ」
という新しい信念にすり替えてしまったりするんだよ、よくあるでしょ、こういうこと。

行動を一切変えずに、
不協和を解消することができてしまうわけ。
いい・悪いの話じゃないからね。
でも、
かくほど容易に我々は、
初心というか思いを変えられるんだよ。
自分が今やっている行動の方に
意味を持たせてしまうというね。

これが、
目標達成の大きな壁になってしまっているわけ。
どうすればいいか?

それはね。

行動を信念にマッチさせることを意識的に行う

これ一択です。

単純な話なのですが、
それを意識的に行わないと、
いつまで経っても成功パターンを習慣化できないし、それはつまり、目標を達成することができない、学力が上がらない、成功できない、という事を意味する。

「意識的に」という部分がポイントなんだけど、
無意識だと、どうしても信念を行動にマッチさせようとしてしまうからさ。
行動を信念にマッチさせようとする“意識”が絶対に必要なんだよね。

そういう点で、
先に述べた立川談志さんは、
信念(業の肯定!)がまずありきで、
行動を信念にマッチし続けた人でした。

高校生のみんなに、
信念なんて言葉をつかっても
ピンとこないかもしれないけれど、
「◯◯が好き」「〇〇を大切にしていきたい」
そんな価値観で十分構わないからね。
他の人と比べるものではなく、
自分の大事なものを大事にしましょう。

信念を曲げると、
いつの間にか自分らしくなくなってしまって、
それはきっとつまらない毎日になっちゃうよ。

お話はここまで。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
このお話が、少しでもあなたのお役に立てたら嬉しいです。

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