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夏草どもが夢の跡

今朝から隣の住宅の取り壊し工事が始まった。
昼過ぎに洗濯物を取り込みにベランダに出たら、ひどく青臭い匂いがする。

隣の庭には重機が入っている。
それが庭の草を踏み荒らしているのだ。
夏草が踏まれ千切られ、青い血を流している。

もともと庭の手入れをしない家だったから単なる雑草が多い。

けれど生きていたのに。
夏草どもの瀕死の匂いがここまで漂って来るのだった。
庭木もやがて伐採されるのだろうな。

この地には長い間に少しずつ進んでいる縦貫道計画がある。

車を持たない私には殆ど関係ないのだけれど。
歩行者としては道が変わって迷子になったり、信号が増えて長く立ち止まったりして、あまり嬉しい工事でもない。

工事の関係で立ち退いた家も多かったらしい。
数年前のことである。春だった。
散歩していたらフェンスで囲まれた空き地の横に出た。
そこには見事なラッパ水仙が一列に並んで咲いていた。

昔建っていた家の住人が植えたのだろう。
既に失われた住宅を縁取るように、庭だった場所に咲いているのが哀れだった。
置き去りにされた植物たち。

これは旅先 
温泉津の町で置き去りにされた水仙

何度あの球根を掘り返して持ち帰ろうと思ったことか。
置き去りにされた花を持ち帰っても窃盗にはあたるまい。
けれど、フェンスを乗り越える勇気はなかった。

何故私は声なき植物にこうまで思い入れるのか。
別にそこまで植物が好きでもないのに。
いやいや。カメラロールを見れば植物ばかりである。
人はまるで写ってないのに。

私の実家はもうとうに取り壊されてマンションか何かが建っているらしい。
何十年も実家とは没交渉だったから、何も言う権利はないし言う気もない。

けれど、父が育てた庭の山野草がなくなるのは残念だった。

実家に住まっていた頃は興味もなかったが、やがて登山を初めて多少は山野草の名前を知るに到った。

コマクサ、サギソウ、ザゼンソウなどを父は育てていたらしい。
家が取り壊される前に、それらの山野草だけでも掘り返して持ち帰りたい。
思いはしたが、言わなかったし実行もしなかった。

自由を求める囚われの花

私は素直にまっすぐ伸びて青春を謳歌した少女ではなかった。
常に暗くうつむいて過ごしていた。

そんなに良い家で可愛い顔で何不自由ない暮らしなのに……と言われ続けた。
いや、自分で自分を責め続けたのだ。

それでも。
暗い日陰に生えた草は光を求めてねじ曲がって育つ。
素直に育った結果のねじ曲がりである。

自分はそういう人間だと思っていた。
どこかの時点で日向には出たけれど、根本にねじ曲がりは残っている。

家がなくなった時、花々は自由にまっすぐに育ち大輪の花を咲かせる。
それまでは重機で踏み潰されたくなかろう。
などと思うのだった。

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