見出し画像

20代保育園経営者がなぜ療育を始めようと思ったか。

19歳で保育事業を起業してこの5月で9年が経ちます。そしてこのタイミングで私たちエデュリーは療育事業をスタートします!

この機会になぜ療育なのか、自分の過去をもとに整理してみたいと思います。自分の纏まりのない乱文に少しお付き合い頂ければ大変幸いです。

ランドセルが背負えない「変わっていた幼少期」

エデュリーは1人でも多くの子どもたちの潜在能力を最大化するというミッションをかがげています。これには自分の過去の強烈な原体験が関係してます。
以前のノートにも少し触れさせていただきましたが、私は16歳の時に高校を退学になりました。

高校を退学になってしまったのは自分自身が日本の教育にありがちな「型にはめるタイプの教育」に合わなかったからです。
一方で自分の過去を振り返ってみるともう少し違った見方もできます。
私はもともと、凄く変わり者で非常にこだわりが強いところがありました。色々なエピソードがあるのですが、ここでお話できるところでお伝えすると…
小学5年生ぐらいからはランドセルを背負わずに肩掛けリュックで登校していました。何故だか忘れましたが、人と同じランドセルが嫌いすぎて自分で破壊してしまったのです。(ここだけ聞くとヤバいやつ笑)
そんな変わり者だったので先生からも変わった
子というような扱いだった気がします。(他にも色々とやらかしてしまったことがあった…)

日本の教育には皆さんがご存知の通り、変わった子の個性を伸ばそうというよりむしろ「個性を薄めて集団に適応させよう」という作用が働きます。その適応させようという圧力が自分自身の教育への不信感を強くしていきました。その結果が最終的に退学という形になってしまったのです。

自分のような「かなり変わった人間」であっても自分の潜在能力を最大化できる社会をつくりたい。
過去の大人が勝手に決めた「モノサシ」に当てはめられ「普通とは違う子」というレッテルを貼られて苦しむ子たちを救いたい。

そんな思いが私の根底にはあります。

全ての子どもたちの潜在能力を最大化する
というミッションのもと、私たちは保育施設を立ち上げ運営してきました。
自分たちの保育施設はまだまだ発展途上ではありますが、今できる可能な限り子どもたちの潜在能力を最大化する保育運営に努めています。

保育における配置基準の問題

戦後70年以上変わらない現状の保育制度にはさまざまなな問題がありす。
そんな現在の保育制度の配置基準で「全ての子どもたち」に最適化した保育を提供するのは限界があります。
それには近年の発達障害や知的障害だと診断される子どもの数が関係しています。

上記の図のように診断を受け受給者証認定を受ける子どもの数は右肩上がりに増え続けています。その子たちには個々の発達段階や特性にあったプログラムが必要です。しかし現在の配置基準ではどうしても1人1人に最適化した十分な配慮は難しい。そんな限界を感じていた頃、たまたま保育園と児童発達支援施設をそれぞれ複数施設運営している先輩経営者とお話する機会がありました。そこで色々な児童発達支援事業の内容を聞く中で、児童発達支援事業には保育にはまだないより良い点があることに気づいたのです。

*児童発達支援とは未就学児向けの療育事業

例えば個別指導計画。保育園では日常の個別計画記録は3歳未満児までですが、児童発達支援では全ての子どもに対して個別の計画記録が必要になります。

また配置基準も子ども2人に最低1人の指導員が必要になります。園によっては個別療育を実施している施設も少なくないためマンツーマンの支援も一般的です。こうした手厚い配置基準だからこそ上記の個別記録計画も可能になるのです。


他にも療育には保育にはまだない進んでいる点が多々あります。
最初は興味と勉強目的で療育施設に見学をしにいっていましたが、だんだんと療育を知っていくうちに自分たちのやりたいことが療育にはあるのではないかと思い始めたのです。
私たちがかがげている全ての子どもたち潜在能力を最大化するというのは、健常児だけではありません。障害児も含め全ての子どもたちです。療育事業をする中で自分たちの施設にいる加配児や一般的にグレーと言われる子(障害児という言葉はあまり好きではないので)により専門性の高い保育を提供できるのではないか。そう思い始めました。

療育における「伸びしろ」

一方、数十の療育施設にお伺いさせていただき勉強させていただく中で、保育事業をやってきたことで見えた療育の「伸びしろ」も感じました。
療育は子どもたちの持っている課題をプログラムを通して適応させるということが目的にあります。
保育は子どものやりたいことをベースに5領域に照らし合わせ相応しい経験を通して発達成長をしていくことが教育の目的です。

療育はプログラムの特性(毎日通わない療育施設も多い等)や保護者からのニーズ(課題をどうにかしてほしい)から子どもの気持ちより、子どもの抱えている課題解決にフォーカスする傾向があります。これはもちろん悪いことではなく療育施設として当たり前のことです。

私が療育を見学しながらぼんやりと、
「私たちのやっている子どもの興味関心から保育者が仕掛ける保育では子どもたちの成長発達は何倍も違うよな」
と思いました。なので「課題から始まる療育」と「子どもの興味関心から始まる保育」を掛け合わせて療育をすることができたら凄くより良いものができると思ったのです。

子どもの興味関心から始まる療育

実際私が修行している、「RISSHO KID’Sきらり岡本園」では障害を抱えたお子さんでも通常の子どもと同じ興味関心から始まるきらり保育を実施することで課題の適応が進んでいます。

この男の子は「お布団をつくりたい」というつぶやきから布団づくりを始めました。他の子と同じようにミシンや縫い物を使い布から布団をつくります。一通りの活動の中に職員がこの子抱えている課題を意識してプロジェクトに入れることで、この子自身も楽しみながら達成感を味わい成長していくのです。

こうした子どもの「やりたい」という気持ちをベースにした内容はどんな療育プログラムをするよりも子どもの成長発達に繋がります。
「好きこそものの上手なれ」ということわざがありますが、人間は好きなことをやっている時が一番集中するし効果を感じるのです。

1人でも多くの子どもたちの潜在能力を最大化する

自分が改めて感じるのは「健常者だから」「障害者だから」というのは自分たち大人のエゴでしかないと思うということです。人間それぞれ個性や特性がある、それを二者択一のカテゴリーで括れません。だからこそどんな子どもであっても自分の可能性を最大化する権利があるし、大人はその環境を整える義務があると思います。

療育という事業を通して1人でも多くの子どもたちの潜在能力を最大化することに少しでも寄与できるならばこの上ない幸せです。そのためには療育に対してさらに深い専門性が必要になります。自分自身、療育分野の諸先輩方のお力をお借りしながら勉強させて頂いていますし、想いに共感した素晴らしい仲間たちが全力でエデュリーのミッション達成のために躍動してくれています。また既存の保育施設でもこうしたエデュリーの方向性に共感してたくさんの職員が協力してくれていることに感謝しかありません。
だからこそ療育に全力で向き合う中で得たものを保育にもっと還元したいと考えています。

私たちは文京区の本郷三丁目で施設を開設します!

東京都文京区の本郷三丁目で第一施設を開所します。エデュリーの療育に興味がある方は是非見学や体験にいらしていただけると嬉しいです。

また、今年は東京埼玉神奈川の各地域で児童発達支援施設を開設していきます。エデュリーの想いに共感してくださる方々の採用も進めています。もっと詳しく話を聞きたいという方がいれば、毎週説明会やカジュアル面談を行なっていますので気軽にご連絡ください!

全ての子どもたちの潜在能力が最大化できる社会作りのためにこれからも全力で頑張ります!
是非とも応援をよろしくお願いします!

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?