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公立校は先生の異動によってこれまで進めてきた改革はなくなってしまうのか

今日はタイトルにあるように、公立校について書いていきたいと思います。皆さんも知っての通り、公立学校の先生は何年かごとに異動によって別の学校へ転籍されます。

いくつかのサイトを確認していくと、平均して5-7年程度で次の学校へ異動となるケースが多いです。

公務員の場合は、学校の先生に限らずそれくらいの年数で別部署へ異動になったりするのが一般的なのではないでしょうか。

さて、この仕組み自体について今回は述べていくのではなく、今日はこの仕組みがあるうえで、どのようにしてイズムを残していくか、ということについて述べていこうと思います。

3年以上かけて進めてきた学校改革
常につきまとう異動になった後どうなるか問題

最近、様々な学校で公立校でも大幅な学校改革が進んできています。GIGAスクール構想が昨年度より施行され、ICT環境が全国98%で配備されました。これによって学びの幅が広がっています。

また、学習指導要領も大幅な改訂があり、これからの学びのあり方がいわゆるテストの点数で測りやすい「知識・技能」に偏った体制ではなく、「思考力・判断力・表現力」や「学びに向かう力・人間性」などといった非認知能力についての重要性も説かれています。

この"ICTの導入""新学習指導要領"という大きな二つの変化によって、少しずつではあるものの学校の組織自体の考え方や体制も変わりはじめています。

これまではどちらかというと属人的にコントロールできる範囲のみでしかなかったものが、組織レベルになっているところが注目ポイントです。

面白い授業をやっている
これからに必要な先生としてのスタンスで取り組んでいる

これらの項目は個人レベルで、それを実行していた先生のもと、児童生徒は学ぶ意欲や学ぶ内容がこれからに必要なものになっていたかもしれません。

確かにその先生が異動になってしまうと、その児童生徒は悲しい気持ちになったり、学びのスタイルの変化に戸惑ったりするかもしれませんが、組織全体としてではないので、全体感でみるとそれほど大きな影響はありません。

一方で、組織全体規模になると、非常に大きな影響になります。

最近では、「定期テスト廃止」や「複数担任制」、「小学校の教科担任制」などこれまでの組織が当たり前だと考えてきた体制を抜本的に覆す仕組みが注目されています。

それは、先にも述べてきたように、これからを生きるために必要な資質・能力が変化しているがため、また国内における労働環境の変化のために生じている変化になります。

これ自体は個人的には素晴らしい変化だと思いますし、実際に今後も多くの学校でこれらの変化を勇気をもって推進していくことがあると考えています。(もちろんその変化に伴う様々なハードルがあるというのも認識しています。)

一方で、上のサブタイトルにも記載したとおり、どこまでもつきまとう「教職員の人事異動」の問題があります。

今、教育業界はここまで述べてきたように過渡期にあり、学校ごとで考え方や制度も大きく異なってきています。数十年前からの教えや授業のスタンスを変えずに進めている学校もあれば、先に述べたような定期テストを廃止する学校もあります。

これらの学校同士であっても人事異動は待ってくれません。

抜本的な改革をしていた学校から次の異動先の学校が伝統を重んじるところであるケースは多々ありますし、その逆も然りです。

これ自体は、先生個人も戸惑いがあるでしょうし、学校という組織体としても、新しい体制に慣れてきたところで、全くその考えを理解していない人が入ってきたときにこれまでの秩序に綻びができてしまうこともあります。

この問題をどうするのか、というのは真剣に考えなければなりません。

イズムを残すためにすべきこと

さて、いよいよ本題に入っていこうと思います。
これは別に学校に限ったことではなく、様々な組織に言えることではないでしょうか。改革を進めてきた人がいなくなったとき、それを引き継ぐにはどうすべきなのか、ということです。

まず考えるべきこととして思うのは、「組織が考える絶対的な部分」と「個々人に委ねられるコントローラブルな部分」に分けておく必要があるということです。

組織が考える絶対的な部分、とはすなわち組織が目指すべき方向性であり、目標であり、ビジョンであるわけです。

学校という組織体であれば、その学校自体がどんな教育をしていくのか、卒業したときにどんな児童生徒になっているか、それを実現するために教師はどんなスタンスで児童生徒と接するか、そういった点ではないでしょうか。

よく大企業でも、社訓を一字一句言うトレーニングを新人研修でやるところもあると聞いたことがあるのですが、ざっくりいうとそんなところでしょうか。

ビジョンや方向性というのは、たとえ誰かがいなくなったとしても、不変的であります。しかし、そのビジョンや方向性を先頭きって言ってきた本人がいなくなることで、見失われる・もしくは薄れる可能性があります。ですので、それらが見失われないような仕組みを作っておく必要があります。

たとえば定期的な校内研修やさっき述べたような目標を改めて読み返したり、見直したりする時間を取るといったことです。

まずは学校のビジョンをそれぞれの組織全体が理解する

その上で、個人としてコントローラブルな点について、考えていきます。これはつまり授業であったり、学びをどのように設計するか、という部分だと思います。ここまで他者が介入することは物理的に不可能ですので、どうしても関与できない部分になります。

しかし、多少の工夫や仕掛けはできます。たとえば、学校が掲げるビジョンと個々人の実践との距離感を推し量るような研修や勉強会を設けたり、お互いの実践を定期的に共有しあうような機会を儲けることによって、個々人がコントロールできる範囲は主導権を持ってはいるものの、あくまで学校が掲げるビジョンを達成するために、自分として何をするか、という領域の中で自由に発想をしていくことになります。

学校のビジョンの理解とビジョン達成のための実践の相互関係を作る

この図にあるような双方向の関係性が消えないような仕組みを作ることが、仮に誰かが異動によっていなくなってしまったり、別の全くその概念を知らない人が来た場合であったとしても、イズムを残すうえで非常に重要なのではないかと考えます。

とはいえ、すぐにできるほど一筋縄ではいかない

ここまで色々と述べてきましたが、確かに上にあるような内容が実現されればたとえ異動で重要人物がいなくなってしまったとしてもイズムを残す可能性があるのではないかと思います。

しかしながら、体制が出来上がるまでには時間と労力がかかります。一人一人自分のこれまで培った経験ややりたいこと、というのが存在します。それは誰にでも存在するものです。そして、各人が考えている思想と組織が目指している方向性が最初からいあっていることなんてほとんどありません。組織としては、全員がある程度同じ方向性を向いていないと、児童生徒に戸惑いをもたらしてしまったりする恐れがありますし、資質・能力も思うように伸びていきません。

とはいえ、なかなか最初から組織が求める内容を理解することは難しいです。時間をかけて、その人となりを理解した上で、少しずつお互いに歩み寄りながら組織の目指す方向性を理解していかなければなりません。また、お互いに歩みよるには"心理的安全性"も必要になります。

少なくとも1~1年半はイズムを浸透させる期間として捉える必要はあるのではないかと思います。

いかがでしたでしょうか。正直私自身もこの点についてはこれからも真剣に考えていかなければならない点だなと思い言語化してみました。

今、教育業界全体が大きな変化をしようとしているからこそ、この先生が異動する問題を真剣に考え、私たちがサポートできることは何かを考えていきたいと思います。



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