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イタリア王妃マルゲリータとピッツァ

イタリアが1861年に統一されて、初のイタリア王妃になった

マルゲリータ・マリア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア。

イタリア国王第1号はヴィットリオ・エマヌエーレ2世なのですが、

彼の妻マリーア・アデライデは1855年に産褥死したため

イタリア王妃にはなっていなくて、息子のウンベルト1世が

従妹のサヴォイア家マルゲリータと1868年に結婚、

1878年に王位につき、マルゲリータがイタリア王妃第1号となりました。

マルゲリータは1851年11月20日トリノのサヴォイア家で生まれました。

美しいブロンドの、とても行儀の良いお嬢様だったようで、

信仰心も厚く、文化・芸術に並々ならぬ興味を示していた

少女時代だったとか。

肖像画家ミケーレ・ゴルディジャーニが1870年頃に描いた

マルゲリータ王妃肖像画。青いサテン地の光沢と白いレースの

透明度や繊細さを描き、それが王妃の若くて瑞々しい美しさを

引き立てています。

ゴルディジャーニは1835年フィレンツェ生まれ。王族や貴族の

肖像画を多く手がけていて、高貴な雰囲気をキチンと捉えた

画風が特徴です。

もう少しお歳を召したマルゲリータ王妃の肖像画。

同じくゴルディジャーニの筆によるものですが、これもドレスの

光沢、羽毛の柔らかさ、レースの繊細さ、真珠の輝き・・・

全ての調和が取れ、王妃の高貴さを上手く表現していると思います。

さて、マルゲリータは17歳の時、従兄のウンベルト1世と

トリノ王宮で結婚しました。

そのウンベルト1世とマルゲリータ妃はミラノ郊外のモンツァにある

宮殿をいたくお気に召していたようで、それもそのはず、

初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世から結婚のお祝いに

贈られた王宮なのだそうです。

この王宮はあのスカラ座の建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニの

手によるもので、1776年から1780年にかけて建設されました。

広大な敷地内には、イタリアで最も古いイギリス式庭園や他の貴族達の

ヴィラが点在していました。

現在ではF1サーキット場(有名ですね)やゴルフコース、公園、

競馬場などになっており、囲まれた「公園」としてはヨーロッパ最大の

大きさをほこります。

マルゲリータ王妃は、この宮殿に当時のイタリアの詩人たち

パスコリやダヌンツィオらを招いて、文学サロンを開催したり、

女性の低かった識字率を高めるための努力をしたり、

芸術の庇護者としてもかなりの貢献をしたと言われています。

日本での知名度はイマイチなマルゲリータ王妃ですが、

今や世界的に知名度があがった、このピッツァ・マルゲリータ!!!

1889年、ウンベルト1世とマルゲリータ王妃がナポリをご訪問された際に

考案されたと言われ、イタリア中、いえ今や世界中で食されてる

ピッツァです。

イタリア国旗の3色(トマトソース、モッツァレラ、バジリコ)に

なっていて、シンプルながら本当に美味しい!

ただこのピッツァとマルゲリータ王妃って、

なかなか結びつかない感じもしますけど・・・

皮肉な事に、このお気に入りのモンツァで、ウンベルト1世は

1900年7月29日午後10時半、無政府主義者ブレーシに

射殺されてしまいます。それ以降はマルゲリータ王妃も、

このモンツァに来る事はなくなったようです。

第一次大戦の際には、リグーリア州ボルディゲーラに避難し、

そこでマルゲリータ王妃は1926年に亡くなりました。

75年の生涯でした。

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