Egotisme

イタリアの閑暇そしてその悦楽にひたる。

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【ティエポロ】ミラノのクレリチ宮

17世紀にはヴィスコンティ家の邸宅だった建物を その後カルロ・ジョルジョ・クレリチ侯爵が買い取り、 ミラノにそれまでにないような豪華な宮殿にしようと 大修復が行われました。 それがミラノ大聖堂からすぐの、裏通りにひっそりと佇む クレリチ宮です。 18世紀になり、カルロの息子のアントニオ・ジョルジョ・ クレリチにその「大修復」の意思は引き継がれます。 おそらく当時イタリアでも話題になっていた ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」を意識し、 バロック芸術の粋を集めよう

    • ヴィチェンツァと天正少年使節団

      建築にあまり興味のない⽅でも、ヴィチェンツァでルネサンスの 建築家パッラーディオが⼿がけた美しい建物をご覧になれば、 きっと⼼を動かされるはず・・・ ヴェネト州ヴィチェンツァには個⼈の名前でその建物が呼ばれる 「スタイル」を⽣み出した建築家パッラーディオの傑作 パッラディアーナ聖堂と、世界最古の屋内劇場オリンピコが あります。 セルリアーナ式と呼ばれる、ヴェネツィアの建築において よく⾒掛ける窓や⾨で、アーチと柱を組み合わせた開⼝部、 それを連続させることで

      • 【カラヴァッジョ】果物籠

        ミラノのアンブロジアーナ絵画館にあるカラヴァッジョの「果物籠」。 久しぶりに鑑賞する機会に恵まれました。 こうした静物画という画題が独⽴した絵画ジャンルとなる⼀歩を 踏み出したのは16世紀半ばのことです。 ただ当時、絵画はジャンルごとに等級化されていて、 最⾼のジャンルはもちろん宗教画、そして歴史画、肖像画、⾵景画、 ⾵俗画という順番でした。 そして最下級に静物画が置かれていました。 これは花や果物などの存在する領域が「卑しい現実」と思われていたこと。 そし

        • 黒装束の花嫁

          ミラノから北に約50kmほどの、コモ湖近くにスキニャーノという、 ⼈⼝わずか900⼈ほどの⼩さな村があります。 古くから伝わる伝説では、その地で結婚が決まった娘は頭から⾜の先まで なぜか⿊づくめにする事になっていたとか。 若い娘なのに、アクセサリーを身にまとう事も全くなく、 つまりお葬式の時とそう変わらない⾐装だったと言われています。 スキニャーノでは、代々の領主が「結婚初夜の前に花嫁と添い寝する」と いう所謂「初夜権」が常となっていたそうで、それを避けるために

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        【ティエポロ】ミラノのクレリチ宮

          ジュゼッペ.ヴェルディの妻たち

          先日ジュゼッペ・ヴェルディについて書いたので、 今日は彼の妻たちをご紹介しましょう。 最初の妻はマルゲリータ・バレッツィ。 いかにも優しそうで愛らしい表情が印象的なマルゲリータ。 1836年5⽉、彼⼥が22歳、ヴェルディが23歳の時に結婚し、 1837年に娘ヴィルジニアが⽣まれましたが、なんと翌年1838年死亡。 その後息⼦イチーリオも授かりますが、不幸にも1839年に亡くなります。 ⽴て続けに⼦供を失った悲しみは⼤きく、ヴェルディにとっても、 もちろんマルゲ

          ジュゼッペ.ヴェルディの妻たち

          ジュゼッペ・ヴェルディ

          ヴェルディは彼のオペラが世界中に知られているように、 厳格で気難しいけれど物惜しみしない性格であることも つとに知られています。 1835年から1900年の間に残された膨⼤な書簡から知られざる ヴェルディの姿が浮かび上がってきます。 尊⼤さをもつ⼀⽅で教養にあふれ、現実や周囲の状況を ⾒据える眼⼒を持つカリスマ的⼈物。 当時のミラノは、若い⾳楽家を常に好意的に受け⼊れるわけでは ありませんでした。 ヴェルディはミラノ⾳楽院の⼊試で、なんと落とされているのです

          ジュゼッペ・ヴェルディ

          ミラノ

          1883年3⽉9⽇、トリエステで⽣を受けた詩⼈ウンベルト・サバ。 彼ならではのアフォリズムに彩られた詩集は、故須賀敦⼦さんを惹き付け、 美しい⽇本語に訳してくださっています。 ウンベルト・サバの詩にMilanoというのがあるのですが、 これがサバの詩集の中で⼀番好きな詩。 Fra le tue pietre e le tue nebbie faccio villeggiatura. Mi riposo in Piazza del Duomo. Invece di s

          ミラノ

          スカラ座こぼれ話

          オペラの殿堂といわれ、その名を世界に知られるミラノのスカラ座。 オーストリア・ハプスブルグ家のマリア・テレジ ア⼥帝の所望によって 建築家ジュゼッペ・ピエルマリ ー⼆がネオ・クラシック様式の 瀟洒な建物(それ以前のドゥカーレ劇場は⽕災によって1776年に崩壊)に 完成させ、1778年こけら落としとしてアントニオ・サリエリの 『Europa riconosciuta/⾒出されたエウローパ』が公演された、 なんとも素晴らしい歴史を持った美しい劇場、が・・・ ミラノ

          スカラ座こぼれ話

          【ミラノ】屋根のない美術館

          長年住んでいても、なかなか⾏く機会のないその土地の記念墓地。 ⾜を踏み⼊れてみたら、驚くほど立派でした。 建築家カルロ・マチャキーニが1863年から1866年にかけて建設した、 イタリア統 ⼀後のミラノにおける重要な建築物の⼀つ。 ナポレオンはそれ以前にミラノ共同墓地を建設しようとしていましたが、 彼の「墓地」に対する考えはいたってシンプルで、彫刻等の装飾などは ⼀切省いたものだったらしいのです。 しかし1861年に念願のイタリア統⼀を果たし、多くの犠牲を 払

          【ミラノ】屋根のない美術館

          【イタリアで最も美しい村】スペッロを訪ねて

          スペッロはウンブリア州ペルージャ県にある、イタリアで最も美しい村と 名付けられたコムーネの⼀つ。 ドライブの途中、スバシオ⼭の麓に突如現れる村の姿に、思わず歓声があが ります。 旧市街へと向かうと、⽴派な古い⾨が・・・ 紀元前1世紀頃のローマ時代のコンソラーレ⾨が出迎えてくれます。 横に⽴つ塔は中世期のもの。そして、3体の彫刻は16世紀に取り付けられた ものだろうとのこと。スペッロの歴史が凝縮されたような⾨に、村への期待 も膨らみます。 花祭りの村にふさわし

          【イタリアで最も美しい村】スペッロを訪ねて

          イタリア王妃マルゲリータとピッツァ

          イタリアが1861年に統一されて、初のイタリア王妃になった マルゲリータ・マリア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア。 イタリア国王第1号はヴィットリオ・エマヌエーレ2世なのですが、 彼の妻マリーア・アデライデは1855年に産褥死したため イタリア王妃にはなっていなくて、息子のウンベルト1世が 従妹のサヴォイア家マルゲリータと1868年に結婚、 1878年に王位につき、マルゲリータがイタリア王妃第1号となりました。 マルゲリータは1851年11月20日トリ

          イタリア王妃マルゲリータとピッツァ

          【カラヴァッジョ】瞑想の聖フランチェスコ

          縦128cm、横97cmの大きさに、頭蓋骨が仄白く浮かび上がる、 強烈な明暗キアロ・スクーロ。 目を凝らしてみると、苦悩をにじませたような額と 慈しむような目で、その白い頭蓋骨を見るフランチェスコが印象的です。 ところどころ破れた祖末な衣装に、大きな襞がより、 そこへまた光が当たるように描かれています。 この作品はもともとローマ郊外のカルピネート・ロマーノという 小さな村にあるサン・ピエトロ教会にあったもので、 1967年頃に発見され、もしかするとカラヴァッジ

          【カラヴァッジョ】瞑想の聖フランチェスコ

          【四方山話】マルクス・アウレリウス

          エミール・マール著『ヨーロッパのキリスト教美術』を 読んでいたら、とても興味深い逸話がありました。 中世、イタリアへの巡礼で最初に訪れるべき所は もちろんローマのサン・ピエトロでしたが、 その他にサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノも キリスト教徒にとっては一番大事な場所の一つでした。 キリスト教世界最古の聖堂、 つまり“全ての教会の母にして頭”だからです。 ピラネージの描く古代ローマの美しい版画を見るのは好きで、 色々と想像も膨らみます・・・ このラテラ

          【四方山話】マルクス・アウレリウス

          ベアトリーチェ・チェンチ

          ローマのバルベリーニ宮にあるグイド・レーニの 「ベアトリーチェ・チェンチ」肖像画。 美術館のサイトには1600年頃の作品であると書かれてあります。 ベアトリーチェ・チェンチは1599年5月11日 性的虐待の限りを尽くした(と言われている)父親を 殺害したという重い罪で斬首刑にされ、 彼女を助けた継母とベアトリーチェの兄も斬首刑、 そして家来たちまでも撲殺刑になり、 ローマのサンタンジェロ城前で公開処刑されました。 彼女の遺体はブラマンテのテンピエットがあるこ

          ベアトリーチェ・チェンチ

          スタンダール慕情

          パリでは歴史散策をするのが好きです。 前回行った時にはl'église de l'Assomption de Paris/ ノートルダム・ドゥ・ラソンプシオン教会に立ち寄りました。 ここは1842年3月24日、スタンダールの葬儀が おこなわれた教会で、華やかな雰囲気のサントノレ通りに面し、 ひっそりと隠れたように佇む小さな教会との対比が印象的。 通りの喧噪がウソのような静かな内部。 スタンダールの柩はどこに置かれていたのだろうなどと 考えつつ椅子に座ってしばら

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