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「写真」はなぜ「写真」なのか?

やや持って回った言い回しのタイトルをつけてしまいましたが、普段から私がとても大切だと考えている内容ですので、もしここをお読みで、
「『写真』とは一体何だろう?」
「 『写真を撮る』とはどういうことなのだろう?」
という疑問をお持ちの方がいらっしゃるとすれば、お付き合いいただけますと幸いです。

皆さんご存じのとおり、英語で「写真」は「photograph」です。
意味的には「光によって描かれた図」「光の絵」「光画」といったところになるでしょうか。
フランス語では「photographier」。オランダ語では「fotograaf」。語源は同じですね。
中国語では「照片」と書くそうなので、考え方としては似ています(この「照片」という語感、ちょっと惹かれます)。
一方、日本語では「写真」。
発祥の地ヨーロッパでは「光の絵」であるものが、なぜ日本では「写真」と呼ばれているのか。
それが今回の記事の本題なのですが、それを説明する前に、現代日本では、この「写真」という語に関して、或る偏った言説が流布しがちなことを指摘しておかなければなりません。
19世紀にヨーロッパで「写真」が発明されて以降、「写真」は、視覚の事実をありのままに紙の上に焼き付ける技術として広まりました。
と同時に、構図の切り取り方や、撮影の事前事後におけるさまざまな工夫によって、事実とは異なる文脈やイメージを鑑賞者に付与する可能性もまた、少なからず追究されてきました。
デジタル「写真」が一般化してからはより一層、「写真」と事実のあいだに、少なくない距離が生まれるようになりました。今や、「写真」に写っているからと言って、それが必ず事実であると考える人はほとんどいないでしょう。
プロ写真家でさえ言い放ちます。決して一人や二人ではなく。
「『真(実)を写す』と書いて『写真』とは、片腹痛い」
「元々『写真』は『photograph=光の絵』が語源。『写真』という翻訳がおかしかったのだ」
…………。
本当に、そうなのでしょうか。
「写真」という語を、単に「真(実)を写す」と読み下すだけで済ませれば、そのとおりかもしれません。
しかし、日本語を母語とし、日本の文化を受け継ぎつつ生きる我々は、もう一段深く、「写真」という語の因ってきたるところを知らなければならないと思うのです。

江戸時代、日本画の世界では、「写生(※)」の語から発展して、「真写」あるいは「写真」という用語が使われていました。
ここでいう「写生」「真写」「写真」とは、絵画を描くに当たって、対象物の外形を精密正確に写し取るにとどまらず、動物や植物といった生命存在の活き活きとした表情や生気までも画上に再現しようとする技術及び精神を指します。
この考え方は、元々は中国(宋)絵画を母体に生まれたものらしく、その意味では、「写真」の語は中国由来だと考えることもできます。
ただ、日本人は、海外から入ってきた先進的な考え方や技術を巧みに摂取し、自家薬籠中のものとして極めるのが大好き・大得意ですから、江戸時代に活躍した絵師の多くが「写生・真写・写真」を一つの理想像として画業に励んだことは、決して不思議でも不自然でもありません。
また、「写生・真写・写真」の概念には、「山川草木悉皆成仏」の思想を根底に持つ日本アニミズム仏教との共通性・親和性が感じられ、日本人に受け入れられやすかったとも考えられます。
(※現代日本語の「写生=写実=リアリズム」とは、必ずしも同じ意味ではないことに留意)

「photograph」のテクノロジーが日本に輸入されたのは幕末になりますが、そのときどこの誰が「photograph」を「写真」と「翻訳」したかは、勉強不足のため私にはわかりません。
あくまで推測ですが、初めて「photograph」を目の当たりにしたときの驚きと、日本画の世界で使われていた「写真」の語意とに相通じる気配を感じ取ったことが発端となって、名づけられ、広まったのではないかと思います。
「写真に写ると魂を抜かれる」と恐れられたくらい、当時の人々には「写真=photograph」は「真(実)を写す」ものと受け止められたのですから。

「写真」はなぜ「写真」なのか。
以下、私なりの結論です。
「写真」は確かに「真(実)を写す」と書きます。
そこで考えを止めてしまえば、「写真」の語は「看板倒れ」との感想で終わってしまうでしょう。
しかし、「写真」に限らず、自らの試行錯誤によって何かを創り出そうと決意した者なら、「では、写される真(実)とは何なのか?」と問わずにはいられないはずです。
「写真」とは、「写」という技術「真」という精神が一体化した、とても意義深い語だと私は思います。
(念のため付け加えるなら、「photograph=光の絵」もまた、「写真」のポテンシャルを指し示した素晴らしい造語だと思っています。)
「真」とは、歴史上の数多のクリエイターたちが求め続けた究極のゴールのことです。
だとすれば、自称であっても他称であっても「写真家」を名乗るとは、何とも恐ろしい。
書いていて背筋が寒くなってきました……。

江戸絵画における「写生」概念の発生と展開については、以下の2冊を参考にしました。
特に『江戸の花鳥画』は、なかなかに分厚い本ですが、秋田蘭画や浮世絵、正岡子規が提唱した俳句の「写生」概念への影響にまで探索範囲が及んでおり、知的好奇心を深く刺激されます。

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