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ある人

何かに急かされるように春の花の撮影に没頭して、「1995年自転車の旅」の連載が伊良湖岬で止まっている。
そろそろ続きに手をつけなくては。

そう書いておきながら何だが、ふと思い出したことがある。
自転車旅から東京に戻り、さらに福島に転居して就職し、しばらく経ったころ。1997年。
ふらりと東京に遊びに出かけた。
いくつかお目当ての場所があったはずだが、よく覚えていない。ただ、銀座セゾン劇場で映画を観るのが目的のひとつだったのは間違いない。
銀座セゾン劇場、だいぶ前に無くなってしまった。東京の芸術文化の一翼を担っていたセゾンの名は、今や見る影もない。

これは全然関係のない話だけど、ずっと使っていなかったクレディセゾンのクレジットカードが一枚あって、この前、更新時期になったので、前回同様継続されると思いきや、連絡が無いままカード会社側から解約されてしまった。年会費無料のカードだと、時折こうしたことが起きるらしい。皆さん、気をつけましょう。

さて、ぼくは映画が余り好きではない。
一定の時間、意識を強制的に拘束される感じがして、どうにも苦手なのだ。面白そうな映画があっても、よほどのきっかけがない限り、なかなか「観るぞ」という気分にならない。まるで、勉強机に向かってもいっかな問題集を開かず、手近にある本とかマンガとかを開いて誤魔化している子どもみたいな。
それでも、たまに観ることはあるし、いざ観てみたら、非常に感銘を受けたり、興奮することもある。
このときは、日本人の若い女性監督が、カンヌ国際映画祭のカメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞して、その凱旋公開がセゾン劇場で行われたのだった。

にしても、何であえて東京まで観に行ったのかな?
ほぼ同年代のクリエイターの作った作品が世界的に高く評価されて、それが一体どういう作品で、それを観た自分がどう感じるかということに、おそらく興味があったのだろう。

劇場は混み合っていた。
列に並んでいたら突然、取材のカメラクルーからインタビューを受けそうになって、驚いた(カメラにはWOWOWのシールが貼られていた。映画の製作会社がWOWOWだったので、取材に訪れたと思われる)。
何を喋ったらよいかわからず、内心「しまった!」と冷や汗をかいたが、ちょうど上手い具合に列が動き始めたので、危機を脱することができた。

劇場内は通路の階段まで人で埋まった。
映画そのものは、率直に述べて、難解だった。
美しく、繊細で、ストーリーもそれなりには掴めるものの、シーン同士のつなぎ方が独特で、面食らったと言ってよい。
あるいは、現在のぼくが、映画の中身をうすぼんやりとしか記憶していないせいかもしれない。

上映が終わり、開け放たれたドアをくぐって、大勢の人が明るい場所に帰って行く。
そのとき、人の波の真ん中に、ほっそりした女性がひとり、直立不動で立っているのが見えた。
人の流れの渦中に置かれた石のように。
映画を鑑賞し終えたばかりの人々の表情を、やや不安げに確かめるように。

あの人物はたぶん、監督その人だったのだと思う。
彼女はその後、いくつも映画を作り、賞を受け、やがて賞を選ぶ立場になり、国家規模の巨大プロジェクトにも携わって、週刊誌の見出しに登場したことすらあった。
そういう人の《始まり》の姿が、今も強く印象に残っている。








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