暴力革命

課題に追われる日々の中、ふらふらとYoutubeの海を彷徨っているとある動画に出会った。そこでは、若者が左翼的な活動に傾倒している様子が映されていた。

「資本主義を打破する」

打破、ダハ?その文字列の音の響きが、あまりにもしっくりこないものだから、思わず声を出してしまった。いまだにそんなことを真面目に言っている人がいるのか。60年代の若者が、革命という言葉にロマンを感じ、大学を占拠していたような話を歴史として聞いたことはあった。しかしどうしても同じ時間軸の話だと思うことはできない。

革命、その言葉は私たちをどこにつれて行ってくれるのだろうか?

ネットの海をどれだけ彷徨っても、強い言葉を使った曖昧な主張しか出てこない。本当に知りたいことは、どこを探しても出てこない。粉砕、革命、打破。旧時代的な言葉の裏にはどのような主張があるのだろうか。権力があるから、それに対して反抗する。あまりにも短絡的じゃありゃしませんか?校舎の裏でタバコを蒸す中学生と構造的には変わらないように見える。


文化人類学という学問を専攻している。この学問は本当に面白い。自分たちとは違う論理を持つ人々と共に暮らし、「彼らの」論理を記述する。

例えば、資本主義的な考え方が浸透していない社会について記述することで、一見非合理的に見える行動が人々にとって重要な意味を持つことを明らかにする。そこから、資本主義というシステムそのものを内省的に見直す契機にもなったりする。

世界には、驚くほどさまざまな生き方がある。そして、その生き方の多くは、資本主義の内側で、許容されている。

山で自給自足の生活を送るような場合を考えよう。現在の法律では、税金は基本的に収入にかかる。収入とは、現金収入のみを基本的には指すため、山で農作物を育てる分には税金はかからない。だいたい100万円以下までの現金収入なら税金はやはりかからない。だから、山で集落を作って、自給自足の生活を送り、税金はかからない程度に現金収入を持つことができれば、あくまで資本主義の内側で、誰にも迷惑をかけずに暮らすことができる。快適な通信環境を整えるのに莫大な財産は必要ない。

他にも、前近代的な社会に赴くこともできる。世界にはまだまだ、資本主義の精神が浸透していないような社会がある。狩猟採集民などは、平等を重んじている場合も多い。それは遅れているのではなく、そのような論理を彼らが尊重しているだけのことなのだ。

現実は多面的だ。なぜ、政府を打倒しなければならないのか。自分自身が変われば、環境を変えれば、もしかしたら簡単に目標を達成することができるのではないのだろうか。資本主義の世の中だからといって、全員が経済合理性を追求する必要はない。金銭的な成功ができないことに不満があるのなら、政府を打倒しても何も解決しない。RPGのボスのように、政府を倒すと高額で転売できるアイテムがドロップするわけではない。


どちらにせよ、暴力革命が必要な理由がどうしてもわからない。



現代とは、どのような時代なのか。最近社会学の授業でこのようなテーマについてならった。曰く、「聖典のない社会である」という。これはどのような意味だろうか。

前近代的な社会では人々は生まれた時からやるべきことが決まっていた。農民なら先祖代々の土地を守ることが責務で、武士ならば家を守ることが義務であった。論語やその他守るべき道徳がその社会にはあり、人々は農作業に勤しみながら、生活を送っていた。

しかし、近代になると、自由が生まれた。人々は何をやっても自由になった。法律を犯さなければ、究極的にはモラルがない人間でも生きていけるようになった。個人と権利が尊重され、神や道徳といったものはその影を薄めていった。

そうなると、やるべきことを自分で決めなければならなくなった。アイデンティティの喪失である。自分は、〇〇であるということを自分自身が決定しなければならなくなった。

大学生は4年生にもなると、たいていが、「会社」という物語に自己を「埋め込む」。夢や希望を語って、奇抜な髪型をしていたような学生も、ある時になると急に就職を始め、やがて「社会の一員」として働くのである。

この「〇〇している自分」を常に現代の人間が探し求めているのならば、「革命をしている自分」という単純で理解しやすい物語が、魅力的に映ってしまうこともあるだろう。そこに内容がなかったとしても、人を引き込んでしまうほど、それほどまでにアイデンティティへの渇望は強いのではないのだろうか。

その意味では就職することによって安心感を得ている多くの現代人も、「文化人類学を勉強している自分」も、暴力的な運動に傾倒する学生も根本的には似たようなものではないのかな、とも思った。

とすると、私たちが普段正常だと思っているような物事と、過激な思想を持つ人々は連続的な存在だとも言える。もちろん暴力を振るって現状を変更しようとしている人とそうでない人の間には明確な違いがあるのはいうまでもない。


***


では私自身はどんな人生を送りたいのだろうか。少なくとも暴力革命ではないことだけは、はっきりとしている。



追記
今日も今日とてファミレスで勉強していると、受験生たちが鉢巻をつけながら勉強していた。大学受験でいい大学に合格するという信仰を彼らは持っているようにしか見えない。彼らの目にどれだけ合格後のビジョンがあるのだろうか。その意味では、暴力革命を標榜している左翼と、やってることの本質はあまり変わらないようにも思える。





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