孤独を泳ぐ

『52ヘルツのクジラたち』を読んだ。大学が大分にあることもあって、とり天やら、ゆめタウンといった、小説の中で描かれるモチーフに親近感を持った。作品の中で、余所者に干渉しすぎる、田舎特有の空気感が描き出される。

私が住むこの街では、まだまだ他人に関心を払う。例えば温泉に入るときは、先に入っている人に挨拶をしたほうがいい。こうすることで、地元のおじさんたちは話しかけてくれるようになる。「他人の家の風呂を貸してもらっている」というような心構えを持っておけば、別府の温泉は基本的に問題なく利用できる。浴槽に入る前には、風呂桶を使って浴槽からお湯を汲んで体を流す。浴槽のすぐ横に腰を下ろして、体を洗い、できればシャワーは使わないほうがいい。

「にいちゃんたち、どっからきたんだ」

小学校時代からの友人たちを、別府のローカルな温泉に連れて行った。すると、全身が和ぼりが刻まれた粋なおじさんに話しかけれられた。ダルマを思わせる風貌に思わずギョッとするも、悪い人じゃなさそうな空気を感じた。

「茨城です。卒業旅行できました」

「はえ〜〜〜卒業旅行だって〜〜懐かしいなぁ」

一人のおじさんと話していると、別のおじさんが話しかけてくる。そうして、温泉に入っている人、ほとんどと会話を交わす。

私たちは「普通」、街中や電車の中では知らない人と目を合わせることすらない。目が合いそうになったら、パッと視線を逸らす。社会学者のゴッフマン(もちろん読んだことはない)はこれを儀礼的無関心と呼んだ。失礼がないように、視線が合いそうになれば逸らすし、会話などは極力うまないようにする。

別府の温泉では逆のことが起こる。最初に挨拶さえすれば、おじさんたちはよそ者の私たちとも積極的に関わろうとする。おすすめの観光地を教えてくれたり、別の温泉を教えてくれたりする。

帰り道に、一緒に温泉に入った友達が一言。

「たまにならいいけど、毎日は辛いな。疲れてる時でも話しかけられたら大変だ」

と言っていた。人がコミュニケーションをとってくるのは、しんどいときもある。一方で、それに救われる人もいる。『52ヘルツのクジラたち』の主人公も、他人に積極的に関わる空気感に悩まされ、そして一方では助けられる。

同じことでも、毒にも薬にもなる。それ自体に善も悪もないよな〜






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この小説を読むために、いくつかの音楽を聴いて、気持ちを整え、そしてまた読み始めるということを繰り返した。







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