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伸び放題の芝、荒れた畑

 祖父に会ってきました。
 祖父以外にも、高齢になった祖母や、母から見た叔母にあたる方(不便なので、おばさんと呼ばせてください)にも会ってきました。

 実家にいる間は、母や末っ子がいて、細々としたことを考えることもなく過ごしていたのですが。
 帰ってきて一人になってみると、なんというか…ありきたりですが、人って本当に死ぬんだなっていう実感が、少しずつ湧いてきました。

まめな祖父、適当な祖母

 私の知っている祖父母は、絵に描いたような仲睦まじさをしたいい祖父母という記憶からスタートします。
 母曰く、第一子である私が生まれる前は、喧嘩ばっかりで、祖父から祖母に向けた暴力が日常茶飯事だったらしい。

 私が成長して、少しずつ物事を理解できるようになっていくにつれて、”いい祖父母”だったものが、ちょっと頑固な祖父、雑で適当な祖母みたいに、独特な人だから上手く付き合っていかなきゃなと考えるようになってきました。
 それが高校生くらい。まともに話を聞いて、正直に受け答えをしていたら、自分にとって不快なところへも土足で踏み込むようなことをしてくるからと、のらりくらりと受け流すようになりました。

 例えば祖父は、何か重要な予定があって、何時に間に合わせなければという状況の時、少しでも想定外のことが起こるとキレます。手が出たわけではありませんが、99%大丈夫なことでも、1%の懸念に引っ張られて、人の不安を掻き立てるような物言い(≒脅し)をしてきました。そんな細かいこと誰も気にしないって。
 祖母は、私が不登校で通信への転校をしようと考えた時、「100万円あげるから、今の学校を卒業してくれない?」と言ってきました。私は素直に気持ち悪いと感じたので、「いらない」とだけ言って、それ以降特に何も言われませんでしたけれど。100万円で人の気持ちは買えないって。

 細かすぎる祖父も、雑すぎる祖母も、言っちゃ悪いけど、少なくともまともではないんですよね。
 そんな人の話は聞かないに限る。悪い子なので。

別の角度

 まあそんな祖父母も、悪いばかりではありません。人間だから当然ですが。

 祖父のまめさは、祖父が施設に入ってから顔を出しました。
 たくさんのお野菜を育った畑は、祖父の手が入らなくなったらあっという間に雑草が侵食してきました。その後、祖母が植えた花が自然繁殖し放題になり、雑草も茂ってきて、完全に手の付けようがなくなりましたね。
 行くたびに、祖父母の家の庭にある芝が綺麗だなと思っていたのですが、祖父の手が入らなくなったら徐々に通路までツルを伸ばし、長さも不揃い、伸び放題になってきてしまいました。

 祖母の適当さが良い方向に働いた試しは全くと言っていいほど思いつかないのですが。祖母のお節介さは、良くも悪くもあったように思います。
 祖母を連れて買い物へ行くとお金を出してくれたり、施設に入った祖父へほとんど毎週面会へ行ったり。
 医者から絶食を言い渡された祖父にチョコレートを食べさせようとする強引さ(雑さ?)は、今日も相変わらずでしたが、祖母なりの優しさのかたちだなと思って、チョコレートはありがたくいただきました。←

 どう頑張っても、人間悪いばかりにはならないもの。上手くできてる。

きっと桜は見られない

 前置きをすると、少なくとも今の私は、祖父の体調が芳しくないことに関して、あまり悲しいと感じていません。
 自分が冷たい人間だからかもしれませんが、個人的にはそうではなくて、会える時に会える限り会っておいたから、私なりにできることは全てやり切った!と、自己満足しているからです。

 ただ、寂しい気持ちはあります。
 ほんの数ヶ月前まで、単語をひとつふたつ口にすることができ、車椅子に乗って、口からご飯を食べていた祖父が、今はかろうじて「ああ」と掠れた声を絞り出すことができるかどうかで、身体は硬直し寝たきり、体調を鑑みて絶食で点滴のみになってしまいました。

 なんとなく、”死”って、もっとゆっくり、一段ずつ段階を追ってやってくるものかなと思っていたけれど、五、六段飛ばしでいきなり迫ってくるものなんだなって。
 だって、先週の途中までは口からご飯を食べていたんですよ?

 絶飲食で点滴のみになると、早くて3日、長くて3ヶ月程度、平均的に見て1ヶ月程度と、母は説明を受けたようです。実際、母が職場の看護師さんに聞いてみても、概ねそんな感じらしい。

 私の中で、3ヶ月といえば季節が変わるくらいの時間というイメージなのですが、長く生きて3ヶ月経っても、桜の咲く季節には辿り着けないんですよね。今からだと、4ヶ月くらい必要になってしまう。
 だから、次に私が桜を見る頃には、きっともうお葬式を終えた後の話になるのだろうな、と。

 祖父にとって、2023年の春が最期の春で、夏も秋も2023年が最期で、体調が良ければ、体力が持てば、2024年を迎えられるかも?という、生と死の瀬戸際を生きているんだなと、一人になってから実感が湧いてきました。

1年長く生きた!

 実は、去年の秋の時点で、「今年を越せるかわからない」と言われていたんですよね。
 だから、色々な感染症の影響で、面会は2週間に1回と定められているところを、来れるときはいつきてもいいよ!と特別措置をとっていただいていました。その特別措置も続くこと1年。特別とはなんなのか。

 もう既に十分すぎるくらい長生きしてくれているんですよね。
 だって本当は、2023年に到達できるかわからなかったんですよ?

 それでも、2023年もだいぶ暮れになるまで、口からご飯を食べ続けて、車椅子に乗り続けて、たまにお喋りをしてくれて。健康ではないながらも元気に生き続けてくれてて、施設の方も快く面会を受け入れてくれたので、たまに顔を見せることができて。

 こんな言い方をしたら馬鹿にしているようにしか聞こえないかもしれませんが、心の底から百点満点以上です。もっさもさのわっさわさお花てんこ盛りの花束をプレゼントしたい。

 もちろん、もう一度年末に顔を見て、年が明けたらまた顔を見て、お年玉もらって、2023年をいい感じに締めくくりつつ2024年もいいスタートが切れたら最高ですし、そうなると本気で信じていますが。
 体調の全てを制御できるわけではありませんから、覚悟を決めている自分もいます。

 そうそう、私の提案で、祖父の病室にラジオを持って行くことになりました。
 年末といえば紅白歌合戦、きっと祖母も見るだろうから、同じものを音だけでも楽しんでくれたらなと。
 まあまだ1ヶ月くらい年末には早いので、何もない静かな病室よりかは、少しでも賑やかな方が、なんとなく長生きしてくれるかなって気持ちの方が大きいですね。祖父、ラジオ好きだったようですし。

 祖父、生き抜いてくれ!

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