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未来があるという絶望

 生殺しにされるくらいなら、いっそ殺してくれた方が、当人にとって幸せなのではないかなと、思うことがよくあります。

 今年の1月で23歳になった私ですが、高校を卒業してからの5年間、ほとんど全てを療養に費やしていました。今も費やし続けています。
 中2のPTSDから始まった私の闘病生活は、気分障害、睡眠障害、うつ病、と名前を変えつつというか、その時々で色々な名前を使いつつ、それから発達障害と自閉症(アスペルガー)も足しつつ、拗れに拗れまくって、年齢だけは立派な大人になってしまいました。

 5年でできることって、本当にたくさんあると思うんですよ。
 小学2年生以上の小学生は卒業できるし、中高生どころか大学生も、学校を卒業するには十分な時間。新入社員・新社会人も、5年もすれば立派な先輩です。4年分の後輩もできますしね。

 そういうのを何一つ積み上げることなく、ただひたすらに病気が少しでもマシになったらいいのにと思いつつ過ごした5年は、本当に虚しいものでした。

-100が-10になった

 5年前の私は、積もりに積もった無理が祟って、まあいつ死んでもそんなにびっくりしないくらいに不安定だったと思います。というか、何かの拍子に死ねたらラッキーくらいに思っていたと思います。
 不慮の事故とか、自然災害とか。なんでもよかった。

 外出が月に2回の通院だけの時期もありました。
 そこから頑張って、週に1回、2回と増えて、初めての通所サービスの利用を初めて、また無理が祟って逆戻り。

 前回のサービス利用かな2年くらい経ってからかな、去年の春終わりに始めた新しい施設への通所が、やっと少しずつ実を結び初めて、やっとほんの少しの自信が芽生えつつあるというのに、もうまた次のステップへと進む、未来の話をしなければいけない時期。
 誰もかも、何もかもが、私に立ち止まったり考えたりする余裕は与えてくれない。

 頑張って頑張って、-100点だった私は、-10点くらいになった。
 でも、生きるための最低ラインは0点だから、私はあと10点足らない…いや、もしかしたらまだ-50点にも到達できていないかも。
 私に、生きるための力なんて、これっぽっちも備わっていない。
 そんな心地。

隣の席の誰か

 バスとか電車とか、10年も昔の小学校中学校とか。
 あの時、私の隣の席に座っていた誰かには、生きる力が十分に備わっていて。私はそんな人の隣に座って、ほんの一瞬でも同じ時間を歩んでいたはずなのに、人生は全然変わってしまって。
 記憶に残りやすい、学級委員長とか、生徒会長とか。そういう人は、きっと大人になっても人の上に立つ立派な人になっているんだろうな。

 誰かの人生を見て、「どうしたらそんな人生を歩めるんだろう」「私はどこで間違ったんだろう」って、やり場の無い気持ちに苛まれる。
 誰かがなんとなくで発した、「なんであなたは」みたいな言葉が、すごく嫌い。私だってそう思うから。
 「なんで私は。」

夢はあるよ、叶いそうに無いけど

 元々、お仕事は好きな方だったと思います。
 誰かが面倒に思うことも、私はとりあえず「面白い!」って感じてみるのが好きだったし。何より、誰かに何かを任される、頼られるって、すごく幸せなことですからね。

 そういう、私の幼く無垢な感情が壊れてしまうくらい、仕事ができないと生きていけないという現実は、恐ろしいものだったらしい。
 仕事ができないなら死ななきゃ。今でも自然とそう感じる。

 死なないように、仕事ができるようにならなきゃ。
 そう思う限り、きっと私は仕事ができないままなんだろう。

 仕事ができなければ、夢なんて語るのも烏滸がましい。
 なんで夢なんて見るんだろう。なんで願っちゃうんだろう。

 本当に、馬鹿みたいだ。

人生はあと80年あるらしい

 人生100年時代って、頭のいい人たちはすごい。
 私は今23だから、おおよそあと80年はあることになる。

 23歳の時点で5年も虚しい時間を過ごしてきて、まだ未来が80年もあるよって、正気じゃない。
 そんな人生、誰が生きたいって思うんだろう。

 色々な人がいると思う。
 上手くいってる人、いってない人。
 高卒で働いた人、大卒で働いた人。
 今働いている人、これから働く人。それから働けない私。
 仕事が続いている人、続かない人、転々とする人。

 私にはどれも、それ以前の問題のように感じてしまって、はなから上手くいくはずがないし、高校なんて卒業できたのが奇跡、大学なんて行くお金も健康もない、仕事なんてもってのほか。続く?続かない?私にできる仕事なんてそうそう見つからないよ。

 未来なんていらない。
 本当に、どうしてここまでずるずると、色々なものを引っ張ってまでして生き延びてしまったのか、わからない。
 だからって、後悔があるわけではないけれど、これでよかったなってほどの感覚も、少なくとも今はない。あったとしても、一過性の夢のようなものですし。

 今が、もうしばらく続いても大丈夫だよってわかれば、ほんの少しは気がラクになるのに。
 世界は、私をおいて進んでいく。いつだってそう。
 当の世界さんは、そんなつもりがないのでしょうけれども。

 時間は進むし、年は取る。お金はかかる。お腹は空く。
 全部どれも、私にとって残酷だから、絶望的。

 たった24回目の桜なのに、みんなが一つ進む象徴なんだと思うと、すごく憎らしい。

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