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〈上蔟〉ってどんな季語?【ゑひの歳時記 皐月】

 「ゑひの歳時記」は、1つの季語の幅広さを体感できるコーナー。上原・若洲が季節を意識しながら毎月それぞれ一つの季語をお題として出し、その季語に関することを自由に書きます。通常の歳時記(季語をまとめた本)では、一般的な季語の説明しかされませんが、このコーナーでは、2人がその季語を俳句に詠み込むときに考えていること、作る時のコツ(?)など、実はお役立ち的側面もあるかも……

 この企画は「月刊俳句ゑひ」と連動しています。例句の一部を引用している皐月号はこちら。

若洲の場合(回答者)

 字面だけ見てこれが何のことか即座にわかる人は、およそ日本に50万人とか、そのくらいのものじゃないかと思う。後ろの字に関しては読めないし。俳人にも、よく使う季語とあまり使わない季語が往々にしてあるが、私は「上蔟じょうぞく」で俳句を作った覚えがなかった。だからお題になったときは、最初にまずいな……と感じたのだった。

 知っている人・馴染み深い人が少ないのはそのはずで、これは養蚕ようさん業(蚕を育て絹糸を生産する工業)の一工程を表す言葉。養蚕はメジャーな産業ではなくなっているし、さらにその工程まで詳しく知っている人は相当少ないだろう。

 よく使う季語とは、私にとっては自分にとって「実感」がこもっている季語、とほぼ同義だ。見たことのある草花や感じる季節の移ろいを表す季語には、やはり親近感が湧く。一方見たことのない風景に対しては想像力で向き合うほかなく、実感ある季語という拠り所を失った俳人の多くは、満足できる句が生み出せないまま彷徨うことになる。羨ましいことに、上原は上蔟を見たことがあるらしい。だから困った。

 市販の歳時記に書かれた数少ない情報、そして幸運にも数週間前に訪れた富岡製糸場の案内板の記憶を頼りにイメージを広げてみた(季語の詳しい説明は私にはできないので、上原に任せたい)。そして句会でなるほど、と思ったのがこういう句だった。

大勢が来て上蔟を始めけり   上原温泉

 養蚕はかつて、家業として営まれたものだ。春から初夏にかけて蚕を育てるが、その成長はとても早いため、作業には人手を要したことだろう。場合によっては一気に進めていく必要もあるのだろうから、近所の人や普段は作業に関わらない人がいたりもするのでは。そんな農作業を巡って垣間見える、コミュニティそしてコミュニケーションというのが、上蔟という季語から見えてくる風景だと思える。「蔟」の字に、家族の「族」が含まれているせいもあるかもしれない。

 でも私には悲しいかな、正しい鑑賞ができている感覚すら湧かない。これが季語に対する実感のあるなしの大きな違いで、実感が伴っていなければ、自分で句を作っても「頭で作っている」とか「理屈っぽい」という評価を受ける結末しかない。歳時記に載っている季語ならどれも自由に使えるという話でもなく、結局歳時記は自分の中に作っていくしかないのだろうなぁ。

上原の場合(出題者)

上蔟の壁の日めくりカレンダー  若洲至

 蚕は、育てる時期によって呼び名が変わる。夏に飼われる蚕は夏蚕なつご、あるいは二番蚕にばんことも呼ばれ、以降、初秋蚕しょしゅうさん晩秋蚕ばんしゅうさん晩々秋蚕ばんばんしゅうさん初冬蚕しょとうさんと続く。その生産回数は、桑畑の面積、労働力、稲作・畑作等との兼ね合いによって決まり、当時の農家の貴重な現金収入となった。質量ともに最高なのは春に飼われた蚕、春蚕はるごなので、俳句においてただ「蚕」とのみ表記するならそれは春の季語となり、夏の蚕は「夏蚕」として(つまりちょっと劣ったものとして)区別して用いられる。

 どの季節においても、脱皮を4回繰り返した後に繭を作ってさなぎになる。桑を食べて活動する期間を「れい」、脱皮の前に桑を食べるのを止めて準備する期間を「みん」と呼ぶ。筆者が養蚕農家を見学のため訪れた日は、ちょうど夏蚕が4回めの齢から眠へ移ろうかという頃だった。

 はじめに桑畑へ。蚕の、桑の葉の食べっぷりは凄まじく、数千頭の蚕のためには年間約2トンの桑の葉が必要と聞いた。桑は1年を通じて収穫することができ、枝が短く、折れにくく、栽培がしやすい。初めて見た桑畑は、その回転率の良さのせいだろうか、とても清潔な感じがした。本来は高木だが、収穫しやすいよう丈を低くして栽培する。ちなみに「桑」は春の季語、夏は「夏蚕」と同じく「夏桑」として区別する。

桑畑

 次に桑畑から蚕のいる蚕室さんしつへ。何ともいえぬ透明な空気感。第4眠、つまり4回目の不活動期にある蚕が多いせいか、全般静か。筆者の嗅覚が鋭敏さに欠けるのかもしれないが、臭いも大して気にならない。

蚕室(イメージ)

 蚕を飼う場所である蚕座さんざは、1齢期ごとに、底にたまった食べ残しや糞を取り除いて清潔を保つ。この掃除の仕方が独特で、食べ残しの桑の葉を、蚕が乗ったままの状態で蚕座の脇に寄せ、中央に新しい桑の葉を置き、蚕がそこへ這って移動するのを待つという。やり方は他にもあるが、蚕自体が動くのを待つ点は共通している。

 昔は母屋の畳を全部上げて、時には仏壇さえ移動し、家中を使って蚕を飼っていたそうだ。寝起きも食事も数千頭の蚕たちの中で行った。病気に弱い繊細な生き物と一緒に生活するのは神経を使ったことだろうが、その換金力の高さを思えば、糞が臭かろうが、桑の葉をかじる音がうるさかろうが、耐えるしかない。筆者が見たのは、のどかではあるが、ある程度オートメーション化された施設だったので、受けた印象は往時の様子とはだいぶ異なる。

恋醒めの夏蚕をぱさと振り落とす  上原温泉

 さて。ここでようやく、今回取り上げた季語でもある「上蔟じょうぞく」という作業に至る。蚕は、4回目の「眠」から覚めた最終、つまり第5齢の活動期に入ると、数日間桑を食べ続けた後、ぱたりと食べることを止める。やがて背中をぐっと反らせるのを合図のようにして、体の中の液体が繊維化し、繭糸を吐き出し始める。その吐くタイミングが来る前を逃さずに、すべての蚕を「まぶし」という用具へ移す作業のことを上蔟という。蚕に第5齢が来てしまえば人間の生活ペースへの配慮などもちろん無いので、早朝となく夜中となく、ところ構わず繭を作り始めてしまう蚕を、蔟へ移し続けなくてはならず、この時期、かつての農家は一層忙しかった。

 筆者が拝見した蔟は「回転蔟かいてんまぶし」だったが、それ以前は「縄蔟なわまぶし」、「藁蔟わらまぶし」などが用いられ、数千の蚕を1頭ずつ摘まんでは移動させるという気の遠くなるような手作業だったそうだ。

かひこ上蔟あがりみな登らうとして廻る  上原温泉

 蚕は上蔟の時、上にのぼる性質がある。その特性をうまく利用したのが回転蔟である。まず木枠に蔟をセットした薄くて平らな区画状のもの(区画蔟くかくまぶし)を地面に置く。

 その上へ蚕をばさっと落とす(1頭ずつ摘まみ上げなくてもよいところが画期的)。その、ばさっと付いた状態の木枠を天井からぶら下げると、蚕は上へ這い上がろうとする。上部が重くなるので蔟が回転する。上部の蚕は下方となり、また這い上がろうとする。この繰り返しにより、蔟の空いた区画に案配よく入って繭を作る。調べてみたら山梨で開発されたという発明品だった。ベストショットをお見せしたかったのだが、素材写真の使用料の高額さに怯み、ここでお見せすることができなかった。興味が湧いた方はぜひ検索してご覧になってみてください。

上蔟の風吹く猫絵蛇絵かな  上原温泉

 短期間で大きな収入になる養蚕は、特に近世以降の群馬県、茨城県などを中心にした農家の盛衰にかかわる生業であったことから、蚕を「オカイコサマ」と呼んで大切にする養蚕信仰が高まった。俳句には、繭の形を模して作り、その年の豊蚕を祈って飾られる「繭玉」という新年の季語もある。(生活が現代的過ぎて見る機会が無いという方へ。一般公開されている庭園の古民家などにその時期飾られていたりします。)

 蚕の天敵であるねずみは、上蔟前の蚕を食い荒らし、蚕が繭になるとその中の蛹を食べてしまうので、ねずみ除けの信仰も広まった。「猫絵」「蛇絵」とは、ねずみを食べて蚕を守ってくれる猫や蛇の絵札のことで、大事な蚕が無事でありますように、良い繭糸が取れますようにとの祈りを込め、養蚕農家の神棚や蚕室に貼られていた。見学先では、コレクションの箱から取り出したものを見せていただいた。(やはり写真を調達できず。現地で撮影しなかったことが悔やまれます。)

 「上蔟の風」とは、良質な繭をとるためには温度と湿度が重要で、温度は22~23度、湿度は70%ぐらいをキープするため、昼は空気を冷まし、夜はあたため、部屋の風通しを良くするのが大事と、伺った話がそのままフレーズになった。

 自作・猫絵蛇絵の句は、見聞きしたことを元に、いわば頭で作った句だから、掲載を実は恥ずかしく思っている。若洲も悩んでいるように、実感が無いという意味では筆者も「蚕と同居したことがない人間」の「蚕見学」の域を出ることができない。俳句ゑひ皐月(5月)号の連作の課題だったので、頑張ってバリエーションを増やそうと意識してはみたがやはり、現場で見た蚕の背中の反りとか、蚕室という不思議な空間から直接つかみ取ったものしか元手にはならず、以外の句は空疎になった。まぁそれを思い知るための課題であったと、前向きに。

〈上原が蚕について考えたこと〉

 蚕は、人間と密接に結びついた生き物であるがゆえに、さまざまな切り口からの考察には興味が尽きない。飼育すれば、情が移って可愛く見えてくると聞くし、詩人にとっては、存在自体が哀しみとなる。歴史的には時代を語り得、ジェンダー論と絡ませれば深い。それやこれやを全て網羅しようとすれば、それはもう1人にとってのライフワークだ。

 現地で大量の蚕を眺めているとき、筆者が思い当たったのは、カイコって白いなぁ、表情が無いなぁ、というシンプルな感慨だった。ひたすら「無」。いや無すら「無い」。無いものがうごめくという違和感が、無関係な筆者の関心を引き、まるで禅問答でもしているような感覚をおぼえた。そんな蚕の不思議な手応え(あるいは手応えの無さ)が、さまざまな角度から、好きなように、自己投影をさせるのかもしれないとも思う。いろいろな解釈をしたり、それを発信したりするのはこっち(人)であって、あっち(蚕)はただ、白くて桑の葉食べて寝て起きて吐いてるだけなのだから。

桑の葉の間から顔をのぞかせた蚕。じっと見ていると、ちょっと可愛げがあるかも……? 表情があるようなないような。

 最後に、筆者が夏蚕と言えば必ず思い出す句をご紹介して終わりたい。

あと一度ねむる夏蚕として戦ぐ  岩田奎

戦ぐ、と書いて、そよぐ、と読む。

【戦ぐ】
そよそよと音をたてる。「風に戦ぐ木々の葉」

広辞苑 第六版

 第4齢の、第4眠に入る直前の、引いては上蔟直前の、次に目覚めた時には繭を吐くために、最後の体を反らせるであろう数千頭の(春より少し劣る)夏の蚕が、ふらりふらりと体を振っている景色、そして桑の葉と擦れ合う音が詠まれている。「あと一度ねむる」という端的な描写には、上述のような人間サイドの投影の表出があり、長い長い蚕と人の関わりの全てが「戦ぐ」という動詞ひとつ、表記ひとつに回収される運びを唯々、圧巻と思う。

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