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極度の心配性の私が小6娘の子育てで「潮時」を感じた瞬間と、小さな事件

 
 私は極度の心配性だ。

 もともとなんでも悪いほうに考えてしまう傾向があるのだけれど、子どものこととなると、なおさら過剰になってしまう。

 持って生まれた気質であるHSPは、親になってからというもの、子どもの安全や健康に対して強く向かうようになり、周りから「さすがに大丈夫でしょう」とあきれられるようなことも、日常茶飯事だった。


 危機管理、という点ではよかった面もあるのだけど、なにかあるとすぐ「いま悲しい気持ちでいるんじゃないかな?」と子どものメンタルが気になってしょうがないこともしばしばで。

 ――だけど、本当に。

 乳児期は日々、授乳ひとつ、睡眠ひとつとっても体調が心配だし、幼児期はちょっと目を離すといなくなるから行方不明が心配だし、四六時中、手も目も気も休まる暇はない。



公園も車も、すべてが怖い
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 たぶん私は、つきつめると死が怖いのだ。
 自分というより、近しい人の死が。
 子どもの頃から20代や30代の人の死を何度か見てきて、寿命というものは順番通りじゃないこともわかっていたから。


 長女が小学1年生になると、ひとりで登下校したり、ひとりで公園遊びをする同学年の子も近所で見かけたけれど、私にその踏ん切りはつかなかった。
 だいたい常に見守っていたし、ついでに近所の子の見守りもよくやった。

 交通事故が怖すぎて、
「車はあなたを見てません。あなたが車を見るのです」
という我が家だけの標語をつくり(個人の感想です)、毎日のように唱えて子どもから嫌がられたりもした。

 でもだって、こんなに小さな体なんだもの。
 不審者情報だってよくあるし。


 ――そんなうるさい親でした。

 長女の育児にはとくに手をかけてきたし、日々どんなことに関し、どんなふうに考えているのかも、よく聞いた。

 今日という日を、事故なく笑顔で過ごしてほしかった。

 とはいえ、私の過剰な心配性気質に拍車をかけたのは、3歳年上の姉の死にも要因がある。
 40代で小学生の1人娘をおいて天国へ行ってしまった姉を見てしまったから、なおさら子どもとの絆とか、子どものメンタルについて、深く考えるようになったのだ。


 ――そんなわけで心配しながらも、子どもにとってあまり「うるさい親」にならないように、でも「見守り」はする・・・というのはなかなか匙加減がむずかしく、ときには「公園なんてひとりで行ける」「ほかのママ達はそこまで心配しない」と思われたこともあるだろう。



イベント前に風邪をひいたらどうしよう
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 それでもさすがに4年生くらいになると、口うるさく言わないようにいっそう気を付けた。

 当の長女は遊びに行ってもちゃんと時間通りに帰宅、大きな怪我や病気もなく、親を心配させるようなこともほとんどない子だった気がするーー私が勝手にずっと気をもんでいたというのが、きっと事実だったのだろう。

 5年生になると行き先や帰り時間、「何かの時にはキッズケータイでちゃんと連絡をとること」という約束だけをして、あとは特別なことはしなかった。

 そして、日々は大きな問題なく過ぎていったけれど、秋の宿泊研修旅行に1泊2日で出かけるときは、その少し前から私の心配性が再燃していた。

 イベントそのものが心配だったわけじゃない。
 当日朝やその日の夜、熱を出したりしたら可哀想・・・と思ってしまったのだ。そんなことになったらものすごくがっかりして悲しむだろう。

 だって長女は1年も前から「5年生の研修旅行」を楽しみにしていたんだから。

 それで私にできたことと言えば、とにかく風邪の類をひかせないようにすることーーだけだった。そんなの、いくら食事や睡眠を気を付けたからって、ひく時はひくのにね・・・とわかりながら。


 ――それでも1泊2日のその旅行に、長女は元気に行って、元気に帰って来た。

 
 熱心に取り組んでいたその年の発表会も、私の心配は「うまくできるかどうか」ではなく「体調を崩さないか」だけだったけれど、当日まで元気に過ごして発表会をやりとげた。

 そして6年生になると、長女の関心事はほとんど「修学旅行」に集中。5年生の研修旅行が終わった直後から「来年は修学旅行!」と楽しみにしていたのだった。




修学旅行直前のバス旅で風邪をひいたらどうしよう
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 昨年5月、コロナ禍は表向きには収束し、旅行自体がなくなるという事態はなさそうだったが、いぜんとして発熱する子はいたし、いつどうなるかわからないーー相変わらずそんな日々。

 そして私の心配事は、やっぱり体調面だった。

 修学旅行の数カ月前になると、旅行バッグはどうしよう、班決めはうまくいくかな、仲良しの友達同士でおそろいの物を買いたい・・・とか、そんなことで日々、笑みを浮かべる長女だったが、それを見て私はまたお得意の心配をした。

 もし体調を崩しでもしたらどうしよう。長女だけでなく、家族の誰かが何かに感染し、それをうつしてしまうことだってあるだろう・・・。
 とりあえず家族全員が体調を崩さないように気をつけた。

 ――それでも、どうしようもなく気がかりなことがあった。

 いよいよ来週月曜から修学旅行・・・というタイミングで、週末に町内会の日帰りバス旅行があったのだ。

 
 市内の博物館や屋外施設を見学するというそれに、私は当初、参加させる気はなかったが、同じ町内の親友から「一緒に参加しよう」と誘われた長女は「行く行く!」と大喜び。それで、長女の分だけ申し込むことにした。

 
 このイベントで、バスのなかが密だったら、行った先のお弁当タイムで近くに咳をしている人がいたら・・・。
 

 ――いろいろよぎったが、さすがにイベント自体に危険さがまるでないのに、「行くな」とは言えず、笑顔でおくりだす。

 心配と実生活のバランスをとらなければ・・・と自分に言い聞かせた。




そして、ついに心配が現実になった大(?)事件

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 そして私には、ほかにもやることがあった。その日の同じ時間帯、次女を連れて次女の念願だった猫カフェに行ったのだ。猫カフェは自宅から電車で30分程度の場所。猫と遊んでいる間中、次女は大喜びだった。


 ――ところがこの時、ついに恐れていた「事件」が起こった。

 猫カフェを出て、何気なくスマホをチェックしたとたん、私の顔は青ざめた。

 なんと、長女のキッズケータイから着信があったのだ。4回も。

――どういうことだろう? 

 まだ市内の博物館にいる時間だ。私がこれから次女と約束の「ちょっと高級な」アイスクリームを食べて、ゆっくり帰宅しても、長女の帰宅予定時間には充分間に合うはずなのに・・・。

 これまで何度も、「なにか困ったことがあったら電話して」と伝えてきたが、結局一度も「困ったこと」で電話がきたことはない。

 
 にもかかわらず私は、長女が4回もかけてきたのに、気づいてあげていなかったのだ。猫に夢中で。一体なんのために今まで「心配性の親」をやってきたのだろう! ・・・私は自分に呆れ、腹が立ったが、それ以上に長女になにかあったのだろうと恐怖を感じた。

 短時間に4回もかけてきたのだ。助けを求めているのではないだろうか。

 ――あわてて折り返すと、あろうことか、繋がらない。

 なぜか、私のスマホが圏外だ。ほかのアプリなども試してみたが、ネット自体に繋がらない。焦った。いったいどういうことだろう?

 「ごめん、アイスクリーム、食べられない・・・」とだけ機械的に次女へ伝え、慌てて公衆電話をさがし、長女のキッズケータイの番号をプッシュした。・・・が、出ない。

 スマホは相変わらず圏外だ。なぜこの時こういうことが起こったのか、未だにわからない。なんからの電波障害だったのかもしれないが、なぜよりによってこのタイミングで・・・と、本当に心臓がバクバクした。
 

 なにかあったに違いない。とにかく、電車に乗ってすぐに帰ろう。見ると、次女はちょっと泣いていた。私の取り乱し方に、尋常ならざるものを感じたのだろう。

 駅に向かうため、地下鉄に乗ろうとホームへ行ったとき、急にスマホの電波がもどったのか、長女から着信があった。

 そして「どうしたの⁉ 何があったの⁉」と聞くと、じつにのんびりした声がかえってきた。

「あのねえ、町内会の人が、予定を変更して少し早めに帰宅しますって、さっきバスで帰ってきたんだよ。それで、家のカギを持ってなかったから、友達のうちにいるね~」

「えっそうなの? ずいぶん早いよね。じゃあ、お友達のうちにいるのね。それで4回も電話してきたの?」

「そうだよ。だってママ出ないから、伝えなきゃと思って」

「さっき一度、公衆電話から電話したんだよ。どうして出ないの?」

「ああ、遊んでて全然気が付かなかった!」


 ・・・ただただ、これだけのことだった。



勝手に慌てて次女を泣かせた私は、
そうそう心配通りにはならないことを知る

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 私は勝手に慌てて、蒼白な顔を次女に見せ、アイスクリームの約束を破り、次女を泣かせただけだった。

 ――このころから私はなんとなく、自分の過剰な心配と、問題なく日々を過ごし成長している長女の実態とのバランスが、釣り合っていないのを、ようやく自覚していた。

 それでも、翌週の修学旅行が終わるまで、心配は続いた。
 とにかく体調を崩さないこと。無事に行って無事に帰ってくること。

 
 私のダメ押しの心配をよそに長女は、前日まで「修学旅行の打ち合わせ」と称して友達の家で遊んだりもしていた。それをダメという親にはなれなくて、「ほどほどにね、マスクはしてね」くらいしか言えなかった。

 そして当日、長女は発熱することもなく、元気に旅立ち、翌日「いや~最高だったよ」と元気に帰ってきた。

 天候にも恵まれ、私がまた「ちょっと心配」していた夕食のバーベキューも、誰も生焼けの肉を食べてお腹を壊すこともなく、6年生全員が元気に行って元気に帰ってきたということだった。

 「ただいま」と帰ってきた長女の笑顔と、その背後に広がる秋晴れに、私は自分の小ささを指摘されているような・・・そんな修学旅行2日目だった。



そして長女はだめ押しの映画鑑賞へ
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 そして最高の修学旅行を終えた長女は、翌日の「振替休日」に、友達数人と映画まで観に行ってしまった。

 
 長女の友達1人ひとりがしっかりした子なのは充分に承知のうえで、それでも小学生が、電車に乗って学区外の映画館に行くことは、学校側もよい顔はしないだろうし、私としても「まだやってほしくないこと」のひとつだった。

 やんわりと「ママはあまり賛成できない」と告げた時、長女は「言いたくないけど、周りの友達は5年生くらいから子どもだけでショッピングモールに行ったり、映画館に行ったりしてる」と言われた。それでも我が家の方針を知っている長女は、自分から「そういうことをしたい」とは言わなかったらしい。
 

 今回の映画は、修学旅行を無事に終えた仲良しの女子数人が、めったにない「平日の休み(振替休日)」に、6年生の思い出として前から話題になっていた恋愛映画をみんなで観に行く・・・というものだった。

 映画館は駅直結でアクセスに問題もなく、映画のあとはファストフードでお茶して帰る。それだけの行程だ。そしてそれを、我が家の娘だけが、親の「なんとなくの心配」で止められることは、もうそのグループのなかではありえないことなのだと、私は理解した。


 それでもお金のトラブルや、不審者の問題もある。
 完全にダメ元で、「その後ろからママがついていって、見守りをするのは・・・嫌だよね? 〇〇ちゃん誘ったらお母さんついてきた、って言われちゃうよね」と最後の確認をすると、長女は黙って私を見つめた。

 行ってらっしゃい、と私は言った。


 そして長女は、映画を楽しみ、友達とドーナツを食べ、その間、約束通り「今から〇〇するね」というメールも何通か送ってくれた後、なんの問題もなく笑顔で帰宅した。



心の底から自分で理解し、卒業する時
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 ――私は悟った。

 潮時だ。 

 長女は育ったのだ。

 
 心配の仕方を変える時がきた。見守りは続けるし、本当にダメなことは伝えるけど、一歩離れる時がきたのだろう。備えや予測は大切。危険なことは危険。だけどそれ以上は。

 ちなみに、性懲りもなく、ほんのちょっとだけまだ心配していた冬休み中の「町内会1泊2日ウインターキャンプ」も、元気に行って元気に帰ってきた。「防寒具足りなくなかった?」と聞いたけど、「ぜんぜん大丈夫。新しい友達できた!」と笑った長女は、実際、少々のんびり屋ではあるものの、思ったよりたくましく育ったのかもしれない。


 先日、長女は小学校を卒業した。

 
 あんなにちいさかったのにねぇ。 

 
 そして今になってわかった。

 私はずっと、何かを失ったり、決定的に壊れてしまうことのトラウマと闘ってきたのかもしれなかったけれど、長女はそんな母をきっと感覚的に理解し、やんわり受け入れながら成長してくれたのだろう。

 

 本当に卒業の時がきたんだね。  

 

おめでとう。そしてありがとう。あなたを尊重します


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