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『ルパン三世』 日活ノワールの集大成としての大隈&大和屋ルパン 町山智浩単行本未収録傑作選24

文:町山智浩
初出:『映画秘宝 夕焼けTV番長』(1994年)
タイトル写真© トムス・エンタテインメント

『太陽にほえろ!』の「ゴリ、勝負一発」ってエピソードを知ってる? ビデオ出てないからうろ覚えなんだけど、たしかこんな話。

 ある日、ゴリさんこと石塚刑事(竜雷太)の目の前で通行人が次々と撃たれるんだ。弾丸を調べると7・63ミリのモーゼル弾。拳銃弾なのに射程距離が500メートルもあるやつだ。犯人は、警察一の拳銃の名手と言われるゴリさんに挑戦してくる。どちらがナンバーワンか、決闘で決着をつけようって。で、普段は拳銃に弾を入れないことで有名なゴリさんが警察の射撃場で練習する。そこに射撃場の管理人のジイさんがやってきて「S&WコンバットマグナムM19か。ゴリさん、オリンピックのとき以来だね」とか言うんだ。で、ジイさんがゴリさんの決闘のために出してくるのが、かつてゴリさんが競技で使ってたヘンメリーかなんか。要するに22口径の単発銃。敵はカービン銃並みの射程を誇るモーゼルだけど、重くて取り回しが悪いから、接近して一発で仕留めようというわけね。
 で、廃工場で決闘になるんだけど、ゴリさんの足元に弾幕が張られる。あ、ただのモーゼルじゃない、全自動射撃も可能なM712だ……。

 最後、どうなるか忘れちゃったけど、『太陽にほえろ!』とは思えないガンおたくなディテールに狂喜したもんだ。
 でも、なんか似たような話を前に見たような気がするんだよね。そうそう、何年か前にテレビで見た映画に似てるぞ……そう、『殺しの烙印』だ……。
 そういえば、『殺しの烙印』を見たときもデジャブがあったんだ。『ルパン三世』(1971〜72年・読売テレビ・東京ムービー)に似てるなあって……。

●殺しの烙印

 要人の護衛を依頼された殺し屋業界ナンバー3(宍戸錠)。襲いかかる殺し屋ナンバー2を錠は、モーゼルを全自動に切り換えて射殺する。そして、ナンバー2となった錠は、幻のナンバー1と王座を巡って闘いはじめる……。
『殺しの烙印』(1967年・日活)の筋立ては「ゴリ、勝負一発」と驚くほど似ている。けれど、この二本のテイストはまるで似ていないのだ。なにしろ、『殺しの烙印』は、これを見た日活経営陣が「わけがわからん」とアキれ、鈴木清順監督をクビにしたといういわくつきの映画。たしかに意味不明のギャグが満載で、本気なのかフザケてるのかヤル気がないのか「わけのわからない」作品である。
 種を明かせば、この二つは両方とも、ギャビン・ライアルの小説『深夜プラス1(ワン)』(1965年)を元ネタにしているのだ。警察と殺し屋に狙われている要人をブルターニュ海岸からフランスを横断し、リヒテンシュタインまで護衛することを依頼された元スパイのドライバー(もちろんモーゼル712を愛用している!)で、欧州ナンバー3のガンマン。もちろん襲い来るのはナンバー1とナンバー2だ。日本冒険小説協会の店の名になってるほどのこの名作は、リチャード・フライシャーの『ラスト・ラン』(1971年)など、古今東西数多くの映画やテレビに小説にパクられ続けている。
 それはさておき、『殺しの烙印』が異様なのは、要人護送の話は前半30分で終わってしまい、映画の大部分を『深夜プラス1』の最終章に書かれた「殺し屋ナンバー1」をめぐる葛藤に費やしているからだ。
 ところで自分が初めて『殺しの烙印』を見たのは東京12チャンネルの『日本映画名作劇場』。白井佳夫が解説をしていた毎週土曜夜10時のアレ。『深夜プラス1』など知るはずもない当時小学生の自分が思い浮かべたのはテレビアニメ『ルパン三世』の第2話「魔術師と呼ばれた男」だった。
 実は『殺しの烙印』の脚本を書いた具流八郎は、田中陽造・曽根中生・大和屋竺の共同ペンネーム。殺し屋ナンバー2も演じていた大和屋竺は、「魔術師〜」の脚本家でもある。
「世界一強い男は二人いらない!」
 そう言ってルパンを襲う“魔術師”と呼ばれた男・白乾児(バイカル)。
「魔術師と呼ばれた男」は、自分が初めて見た『ルパン三世』だ(71年10月31日放送)。第1話を見た連中の間で休み時間の話題になってて、遅ればせながらそのアニメの存在を知り、よくわからないまま日曜夜7時半のテレビを4チャンネルに回したのだ。
 ベッドで誘う峰不二子。服を脱ぐ「魔術師」白乾児。その裸の胸を撃つ不二子。跳ね返される弾丸。不二子の服を引き裂く白乾児−−。これを親といっしょにお茶の間で見てしまった小学三年生の気持ちになって欲しい。
 エロ以上に衝撃だったのが、そのムード。実にけだるく、やる気なさそうで、それでいて平気で人を殺し、しかもコメディでもある。それは当時の大人の番組『キイハンター』や『プレイガール』でも見たことのない感覚だった。『殺しの烙印』を見るまでは。
『殺しの烙印』の鈴木清順監督は、テレビの新『ルパン三世』(1977〜)の監修。大和屋竺は、1969年に『ルパン三世』がはじめ劇場用超大作アニメとして企画された当初から参加しており、テレビの新『ルパン三世』、劇場版第一作『ルパンVS複製人間』(1978年)のシナリオ、それに弟分の浦沢義雄と『バビロンの黄金伝説』(1985年)を執筆。監督は鈴木清順だった。

●危いことなら銭になる

 ところが話はこれだけでおさまらない。例のセリフは『ルパン三世』に、もう一度出てくるのだ。
「真の殺しの王者は二人といらぬ」
 第5話「十三代目五エ門登場」で、殺し屋の世界のナンバー2の石川五エ門はそう言ってナンバー1のルパンを狙う。実はそれをけしかけた五エ門の師匠百地三太夫はナンバー3の殺し屋で、ナンバー1とナンバー2を戦わせて共倒れを狙っていた。真相を知られた百地三太夫が不二子を盾にすると五エ門は手を出せない。「そこがお前とナンバー1との違いだ。ルパンならためらわず殺していたぞ」とあざ笑う百地。「違えねえ。いいこと言うぜクソジジイ」と、無表情で百地の乗る気球を撃ち落とすルパン(この非情さこそルパン最大の魅力だったのだが……)。
 ちなみに、この話には『深夜プラス1』以外にもう一つ元ネタがある。やはり日本名作映画劇場で見た『忍びの者』(1962年・大映)で、主人公・石川五エ門(市川雷蔵)は、「絶景かな」の豪傑ではなく、苦悩する美青年忍者。これが『ルパン三世』の五エ門の原型に間違いない(だから雷蔵の眠狂四郎もちょっと入ってる)。その証拠に、『忍びの者』にも百地三太夫が出てくるが、演じる伊藤雄之助の顔は『ルパン』のアニメ版とよく似てる(?)。
 もうひとつちなみに、「十三代目石川五エ門登場」で、百地三太夫は、犯罪シンジケートのコンピュータにルパンと五エ門を殺すよう指令された、と話すのだが、具流八郎に石上三登志が加わった『続・殺しの烙印』の未完成シナリオは、ナンバー1になった宍戸錠が組織のボスの部屋に飛び込むと、そこにあるのは宍戸錠の暗殺を指令するコンピュータだったという話だった。
 さて、この「十三代目五エ門登場」を書いた山崎忠昭は、記念すべき第1話「ルパンは燃えているか?」も書いている。日活アクションの脚本家としては大和屋の先輩にあたるベテランだ。
 なぜ彼が起用されたのか? それがわかったのは、忘れもしない19歳の夏、生まれて初めて作った本『ルパン三世』(上下巻・双葉社)を編集し終えた頃。深夜テレビで中平康監督の『危いことなら銭になる』(1962年・日活)が放送されたのだ。
 脚本は池田一朗(隆慶一郎)と山崎忠昭の合作。原作は都筑道夫の『紙の罠』。スカシ入りの紙幣用紙が盗まれる。でも、印刷しなけりゃタダの紙。かくしてニセ札の原版を作る名人左ト全が狙われる。主演は『殺しの烙印』と同じく宍戸錠。彼は長門裕之と草薙幸二郎、そして浅丘ルリ子(キュート)と組んで左ト全をギャングの手から奪還しようとする。
 男三人女一人の軽口の叩き合いと、当時は珍しい痱莢する銃による血みどろの銃撃戦との同居はまさに『ルパン三世』。ストーリーも第10話「ニセ札作りを狙え!」に似ている。しかも、やっと手に入れた札は、聖徳太子がウインクする仕掛けだったために使いものにならないというオチは、第17話「罠にかかったルパン」と同じだ。
 しかし、何よりも驚いたのは宍戸錠が乗る車だ。戦闘機の復座コクピットを切りとったような三輪車、メッサーシュミット。あの白乾児が乗っていた珍車中の珍車だ。
『ルパン三世』がアニメ史において画期的だったのは、車と銃に対する実証主義だった。1969年の最初の企画書にはこう書かれている。
「この作品にはただの自動車などは一台も登場しません。“自動車”などというものは存在しないからです。存在するのはポルシェ911S、ミニクーパーSといった具体的な車種のはず」
 もちろん“ピストル”などという抽象的なものも存在しない。だから『ルパン三世』に出てくるのはワルサーP38、S&Wコンバットマグナムといった具体的な銃ばかりだった。そして『危いことなら銭になる』も、それまでの「日活コルト」とは違うリアリズムが魅力だった。
 殺し屋に銃を突きつけられた左ト全のカミさんが「ありゃ、ソ連のトカレフじゃないか。珍しいね」と喜んだり、宍戸錠がポーランドのラドム自動拳銃をエサに銃の密売人(井上昭文)に情報を売らせたり、草薙が野呂圭介に「このハジキはコルト・パイソン357マグナムってんだ。お前のドタマなんか一発で消しとんじまうぜ」なんてセリフを言う。ダーティハリーより十年も早いぜ。
 これだけ物的証拠(?)がそろった以上、この映画と『ルパン三世』とのかかわりは確実だ。

●殺人狂時代

 山崎&池田のコンビは清順&宍戸錠の「烙印」コンビの『野獣の青春』(1963年・日活)の脚本も書いている。これは大藪春彦の「人狩り」をメチャクチャにアレンジした、異常殺人狂が山ほど出てくるサイコ映画だった。
 さらに山崎忠昭は、出てくる殺人者が全員キチガイという脚本も書いていた。原作はやはり都筑道夫の『飢えた遺産』。結局、このシナリオは日活を離れ、東宝の岡本喜八監督の手で『殺人狂時代』(1967年)として完成した。改稿にあたったのは『太陽にほえろ!』の小川英。
 精神病患者を殺し屋にして人類浄化計画を企むマッドサイエンティスト(天本英世)、それと闘うのは一見ボンクラだが実は凄腕の仲代達矢。
 テリイ・サザーンを思わせるブラックコメディになったこの映画はやはり当時は「わけがわからん」とオクラ入りし、キチガイそのものがネタなので、テレビにもかからない不遇の作だった。けれど『ルパン三世』ファンなら必見だ。なにしろ、主人公の愛車として活躍するのが、煙をモクモク吹き上げて走る@ポンコツのシトロエン2CVなんだから。
 けれども2CVが登場するのは、宮崎駿が監督するようになってからの『ルパン』だ。実はさっきから話題にしているのは、大隈正秋が監督の部分なのだが。

●毛の生えた拳銃

 作画監督の大塚康生と大和屋竺と共に『ルパン』を企画した大隈正秋は、視聴率の低迷を理由に監督の座を宮崎駿にとってかわられた。たしかに、『殺しの烙印』『殺人狂時代』という、当時理解されなかった二本の映画をルーツに持つテレビアニメが成功するはずはなかったのかもしれない。本気なのかフザケてるのかヤル気ないのか判然とせず、人殺しについては一切感傷のない物語(ハードボイルド)……しかし、『ルパン』が伝説となり、未だ画期的な存在であり続けるのは、まさにその部分のせいなのだ。
 大隈監督はルパンで何をやりたかったのか。先の双葉社の本で、こう語っている。
「1話なんかもレース中のルパンに次元が無線で指示を与えるっていう非常に切迫した場面を、あえて、次元が草っぱらでデレ〜っとヤル気のないような感じで」
 最近、大和屋竺監督脚本の『毛の生えた拳銃』(1968年)を見た。ピンク映画の体裁をとったハードボイルド映画で、それを見た大隈正秋が、大和屋竺に『ルパン三世』の企画への参加を依頼したという。
 少年・司郎は、たった一人で暴力団事務所を襲い、ボスを刺して拳銃を奪って逃げた。ボスは司郎を殺すために殺し屋コンビ(麿赤児と大久保鷹)を雇う。ボスにこき使われる二人は、プロの追撃を飄々とかわす司郎を追ううちに彼に「ホノボノとした」好意を抱くようになり、「司郎と寝たい」とさえ言う。
 組織の幹部たちの乱交パーティのガードマンを命じられた殺し屋コンビは、娼婦相手の醜態を見てうんざりし、司郎がやってきて女と組長を殺す様を夢想する。そしてついに二人は自らの手で組長を殺してしまう。
 黒づくめの殺し屋コンビ二人のコミカルでのんびりしたかけあいは、「魔術師と呼ばれた男」でルパンと次元が台所でタコと格闘するあたりとよく似ている。なかでも、晴れ渡った青空の下、葡萄畑で司郎と二人が銃撃戦をする場面の牧歌的感覚は、大隈監督の言う「次元の寝そべり」と同じものだ。
 殺し屋たちがあこがれる少年「司郎」は、大和屋竺がシナリオに参加した『八月の濡れた砂』(1971年)の村野武範に通じる“自由で無目的な青春”の象徴だろう。そもそもルパンも、大隈&大和屋の当初の企画では、新宿をフラつくヒッピーとして登場するはずだったのだ。
 さらに大和屋には、やはり小林旭と宍戸錠主演、鈴木清順監督のために書いた『ゴーストタウンの赤い獅子』というシナリオがあるが、主人公の三人組はルパン、次元、五エ門を思わせる。問題なのはマフィアから狙われるほどの大物である三人が、すでに殺しに飽きてブラブラしているということだ。
 大隈ルパンも、暇そうにブラブラしているだけで、自分からは何もしていない。何かを盗む話になったのは宮崎駿が監督するようになって以降のことだ。これは最初はただのフーテンだったゲゲゲの鬼太郎が、いつのまにか「妖怪退治屋」になってしまったのと似ている。
 いちばん変わったのは、やっぱり峰不二子。初期のルパンでは、いきなり拳銃ぶっ放したかと思うとキャアキャア悲鳴上げたり、強いのか弱いのか、バカなのかリコウなのか、幼稚なのか大人なのかさっぱりわからない。不二子は大隈&大和屋の『ルパン』の魅力だった「本気ともフザケともつかない」感覚、残酷なユーモア、そして「アンニュイ」を一人で体現していた。緑魔子的というか、『殺しの烙印』の真里アンヌ、『狙撃』の浅丘ルリ子、『殺人狂時代』の団令子もそうだった。
 さらに言ってしまえば二階堂有希子サマのけだるく、いたずらっぽく、甘ったれた声こそ大隈&大和屋『ルパン』のノワールっぽさ、アングラっぽさの要だったのであって、あの『ルパン』がきっかけで「映画マニア」になった人間にとって、声が増山江威子になって以降の『ルパン』は、別にどうでもいい「アニメ」でしかないんだよね(だってバカボンのママみたいで、コワイだけなんだもん)。
 特に「魔術師と呼ばれた男」で不二子が歌う奇怪な歌は、『危いことほど銭になる』の主題歌と同じでアングラそのものでしたなあ。

「マシンガンが吠える/地獄に向かって/今、別れの言葉は/何もない」

(中島紳介氏の指導と、フィルムアート社刊『大和屋竺ダイナマイト傑作選/荒野のダッチワイフ』を参考にしました)

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