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映画「マイスモールランド」鑑賞会と探求授業実践

あらすじ

クルド人の少女の視点を通じ、日本の難民認定の問題と社会の在り方を問う社会派ドラマ。日本人らしい生活を送っていたクルド人のサーリャだったが、難民申請が不認定となり、高校生の青春、将来の夢や進路、家族と様々な試練に対して強く生きようとする。
監督:川和田恵真
主演:嵐莉奈、奥平大兼
※是枝裕和監督の映画制作に携わっていた川和田監督の作品です!

クルド人とは?

現在のトルコ周辺に住んでいる民族。民族として国家を形成しておらず、自分の国というものがない。トルコでは迫害されており政治難民として各国に逃れている、日本にも近年、避難しており埼玉県の川口市や蕨市を中心に解体業などで生活していることが多い。親日トルコと日本の関係性もありクルド人への難民申請が通りにくい状況があるのでは?と言われている。

探求授業では、困っている人への意識レベルを上げたり、気づきを促してアクションまで結びつけながら人権意識を芽生えさせる。ことを目的とする。

中学校「総合的な学習の時間」の教材として

本校の総合的な時間ではボランティア実践を行っている。座学と実践に大きく分けて授業展開している。座学のテーマに「困っている人はどこにいるのか?」がある。
人が、困っている状況に目を向けながら、実際にアクションに結びつけていく流れである。実際にはボランティアの分野は生徒の好みに合わせていくので、街の清掃活動もあれば、障害者福祉施設との交流、近隣の幼稚園での園児と一緒に遊ぶなど多岐にわたる。この映画はその導入として実際に授業で紹介と一部映像を流した。

都心に住む中・高校生にとって不自由や、不便というものが日々の生活に見つからないと言われている。そのため総合的な学習は地方の方が実践的で質が高い。データは以下の通り。
その差を埋めるために「困っている」とは?という問いかけ、実は困っている人たちは身近にいることに意識を向けることが必要なのだ。

そんな中、様々な分野を知ることから始める。今回のマイスモールランド鑑賞では、生徒たちが知らない日本の難民受け入れ事情や、難民申請中のクルド人の生活の苦労である。
生徒に、どんな苦労があるのか想像させてみる。言葉の壁や、外国人に対する偏見や差別といったものは簡単に上がる。映画でも紹介されており、答え合わせのように映画鑑賞しても良い。

映画の一部を見てもらうと、移動距離制限や就労制限など政治的な制限も表現されている。心理的な面でも、クルド人を知ってもらうことを諦めるシーンもある。
外国人は一括りという他社尊重への気付きとしてほしい。

また日本人としてのアイデンティティを抱きつつも、お年寄りから「いつかは国に帰るんでしょ?」と悪気なく質問される。サッカーW杯でも日本を応援したいのに「どこの国応援するの?」といった質問に心を痛めているシーンがある。
我々の想像を超えたところで、無知ゆえに他者を傷つけているかもしれないと内省を促すことができる。

この後ボランティア実践のはじめの一歩「知る・知ろうとする」のフェーズに入り、実際にクルド人の方との交流や、インタビュー実施、記事にまとめる。といった活動にも発展していくことができる。実際に書いたまとめ記事を以下の映画作文コンクールなどに寄稿してもよいし、校内発表や署名活動と繋げてもよい。あるいはNPO法人に講義してもらう機会を設けることもできます。

夏休みの宿題:映画感想文コンクール2023

授業中に全ての映像を見せることは時間的・著作権的に難しい。そこで生徒には以下の映画感想文コンクールへの応募などを促し、映画全てを見てもらうことも必要だろう。実際、私もこの映画感想文コンクールを通してマイスモールランドに出会うことができたのだから。

総合的な学習・ボランティア実践で育てたいモノ

授業の中ではクルド人難民受け入れについては賛否があることも同時に伝えるべきである。

クルド人コミュ二ティの近隣住人が困っていることなども最近ではニュースになっている。誰かの自由を認めるということは、誰かの自由が制限を受けることだ。人権意識を育てながら社会のあるべき姿を生徒たちが主体的に考え、外部団体、当事者と協同的に問題解決に取り組み、自らの行動によって「社会を少し変える」という肯定感を育てることにある。

そのため問題を正解・不正解で考えずに、知るキッカケ・考えるキッカケ・行動するキッカケとして後押ししていくことである。

オープンカフェでの監督講演

上記のような授業展開をしていたら、川和田恵真監督とのオープンカフェに参加する機会を得た。本当に偶然で、仕事の都合をつけて最後の30分ほど参加してきた。
映画で登場する料理は実際にクルドの方に作ってもらったりと細部へのこだわりが語られていました。主人公サーリャの家族は本当の家族をキャスティングし、リアルを追求した演技に心を打たれる。

映画作成に際してメディアに登場することで難民申請に不利になるのでは?という危惧からメディア露出だけでなく、エンドロールにも名前を載せられないたくさんの協力者がいたようである。
繰り返しになるが、正解・不正解ではなく、どんな社会を作り上げるかみんなで考えて少しずつ理想に向かって行くための対話や議論、考えることをやめない姿勢を大切にしたいですね。


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