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あれが思い出せなくて。

あれはどうすればいいのだろう・・・とこの頃よく思うことがある。ほら、あれだよあれ。あれなんだよ、ってな具合で。最近、何かと「あれ」ばかりが頭の中に増えてきて、いろんなことが思い出せなくなっている。

特に人の名前が思い出せないことに困っている。

先日も、職場である女性に仕事の連絡をしようとしたのだけど、彼女の名前が思い出せない。ちょうど廊下で彼女が向こうから歩いて来たとき、すれ違う前に「〇〇さん、あの書類は明日までに提出すればいいからね」とひとこと伝えようと思った。けれども、声を掛けようにも、どうして彼女の名前が思い出せない。何か言いたそうで言えなくて、結局、ぎこちない笑顔と会釈で通り過ぎてしまった。(彼女も不思議そうな顔をしていた。)仕方なく、後で名前を確認してからメールで知らせたわけだけど、彼女にしてみれば「さっき、廊下ですれ違ったのに」と変に思ったに違いない。

これはまずい。仕事の効率も非常に悪い。

毎日会っている人なら、当然名前は覚えられるけど、やっかいなのは週に一度程度の人だ。なんとかしなければならない。というわけで、その手の本を読んでみた。けれど、顔や体の特徴と関連付けて覚えるとかいろいろあったけれど、なかなかうまくいかない。(たとえば、ぽっちゃり体形の人の名前が「細川」さんだったらもうダメだ。逆にして覚えようとしたが、なおさらワケが分からなくなる。)

結局のところ、名前が思い出せない人には「あのう、」とか「すみませんが、」とかでごまかしている私がいる。でも、相手はおそらく「あ、私の名前を覚えてないんだ」って少し残念な気持ちになっているのだろう。なんだかとても申し訳ない気持ちになる。こんな失礼を繰り返すわけにはいかない。で、最近では手帳にその人の特徴や、できれば顔写真と一緒に名前を書き込むようにしている。そんな地道な努力によって、ようやく顔と名前が一致するようになってきた。

やはり、こういった大事なことは、即効性を求めるのではなく、小さな努力の積み重ねが必要だ。

先日も、妻とある美術館を歩いていたとき、向こうから男性が歩いてきた。私は一目で「あ、知ってる人だ」と思った。でも、そのとき彼の名前が思い出せなかった。一生懸命記憶をたどると「あぁ、たしか以前に、担当されていた取引先のAさんだ!」と思い出した。またあの彼女のときのように、ぎこちない会釈で通り過ぎるわけにはいかない。私はもう、ちゃんと名前を思い出せるのだ。美術館だからあまり大きな声は出せないが、私が満面の笑みで片手をあげて「Aさん、久しぶりだね!」と彼に明るく声を掛けようとしたとき、妻が慌てて私の手を引っ張りこう言ったのだ。

「ちょっと、やめなさいよ」

ビックリした私は
「え?なんで?」と妻に聞いた。

妻がひそひそ声で私にこう言った。

「だって、あなた、知り合いじゃないでしょ?
あの人、テレビ局のアナウンサーよ」

よく見ると、近くにテレビカメラもあった。確かに私は彼を知っていたけれど、それは地元テレビ局のニュース番組で見たからだった。あぶないあぶない。Aさんと少し似てはいたが別人だった。危うく私は話したこともないアナウンサーを相手に、気軽に声を掛けるところだった。妻がいなければ、私は彼とアンジャッシュの勘違いコントをするところだったのだ。(あれは面白い)

まぁ、そんな失敗も時にはあるけれど、思い出せないことを、ただの歳のせいにはしたくない。何だって、失敗はつきものだ。

時には笑いでごまかして、その人の笑顔も
一緒に覚えてゆくのも悪くはないだろう。

あ、そうだ。
このあと、あの人にメールしなくちゃ。
えーと、あの人、あの人、えーと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一