見出し画像

幸せになるために。

こんなことを書くと、人に笑われるかもしれないけれど、もうこれは遥か昔のことだ。それは子供たち二人の学習机を買おうとしたときのこと。そして、なんとか買ったときのこと。

あの頃、狭い部屋ながらも、ちゃんと子供たちの学習机が、ただ、ふたつ並んでそこにあるというそれだけで、この上のない幸せを感じている私がいた。

当時、私たち夫婦が、子供たちの学習机を買うことは、とても簡単なものじゃなかった。あるとき家計簿をじっと見つめながら妻が、私に一言、こうつぶやいた。

「子供たちの学習机、どうしようか・・・」

あの頃、そんなふうに言われたときは、この自分の不甲斐なさに、思わず言葉を失ってしまった。当時の私たちは、あまり楽な暮らしじゃなかった。不況のせいというよりも、給料の少ない私のせいで、子供に辛い思いをさせるなんて、そんなこと絶対に許せなかった。決して親を選ぶことの出来ない小さな命が、まるで何かの運命のように、私たち夫婦から生まれてきてくれたんだ。そのことの意味を、いつも私は忘れたくはないと思った。

あの頃、満足なお金を得ることのできない自分を、本当にどうしようもない人間だと思っていた。それでも、こんな私が子供たちのために、なんとか学習机を買ってあげられたその事実が、私がココにいることの意味を見出したような、そんな気がして喜びを感じていたのだった。私はいつしか、父親になっていたんだなぁなんて、あのとき今更ながらに気がついたものだ。

でもそれは、妻の努力によるものが大きい。少ないながらも、お金のやりくりを上手にこなしている妻に、私は心から感謝をしたいと思った。それでも、こんな私のそばにいてくれたことも。

それにしても、気まぐれに昔を思い出して、こんなセンチメンタルな気持ちになるなんて。

でも、私はこんなふうに思う。

自分が幸せになるときは、必ずそばに愛する人の幸せがある。愛する人の幸せが、必ず自分の幸せにつながってゆく。だから幸せになりたければ、愛する人を幸せにすればいい。”自分が幸せになろう”なんて思うと、人はどこか間違えてしまう。幸せは、複雑なようで実はとても単純で、すべきことは、唯一ひとつだけ、ただ、愛せばいい。

よかった。その想いだけは
今も変わらぬ私がいる。

私は今、とても幸せだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一