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見えない言葉。

久しぶりに、クレームがあった。

それはお客様からの投書であり、それはとても長い文章であり、とても丁寧な言葉であり、そしてそれでも、それはひとつのクレームだった。

内容は、ある商品についてのことで、ほんのささいなことで、起こりうると言えば起こりうることで、しょうがないといえば、しょうがないことで、普通ならあきらめてしまうような、そんなことで。でも、その人はそうじゃなかった。

投書に電話番号がちゃんと書いてある。その人のまっすぐな、気持ちが透き通るように見える。夕方の落ちついた頃、私は電話をした。電話をする瞬間、私はいつも緊張する。このたった一本の電話に、どんな小さな未来が待っているのかと。

「この度は、貴重なご意見をありがとうございます。今回の原因ですが、商品的な特性ということもありまして、すぐに特定することは難しいのですが・・・」

そんなふうに、私は説明する。ゆっくりと、それでいて真摯な気持ちで。相手の方は年配の女性で、わからない数学を、教えてもらいたいような姿勢と言葉で、私にその答えを求めている。

詳しくはいえないけれど、たぶん、原因ははっきりしている。恐らくは、その人自身の、とても単純な過失にあると思われた。とはいっても、それは大げさなものではなくて、ちょっと電車に乗り遅れたみたいなそんなとても小さなものだ。でも、その人は、すぐに次の電車が来ることに気付いていない。

相手が「お客様」という立場でなければ、私は簡単に説明できたかもしれない。でも、お客様である限り、「あなたの過失なんです」と直接は言えない。だから、話がだんだんややこしくなる。

自分の言ってることが、少しづつ、言い訳になってゆくのがわかる。あぁ、ダメだ、と思うけど、うまく言葉が見つからなくて、でも、言葉は中断できなくて、道は間違った方向へと突き進む。

だから私は電話が嫌いなんだ。考える時間をくれない。沈黙が作れない。ニュースキャスターじゃあるまいし。

ひと通り説明して、返った答えは、そのお客様の「沈黙」だった。電話で伝えて、何もそのとき言わないことほど、恐ろしいものはない。つまりは、納得していないことを、沈黙という言葉を通して私に伝えているのだ。

また、私はつまるように言葉を始める。あせっている自分がわかる。あ、今、間違った答えをしている。そう気付いて、直そうとするが、向う方向はどんどんずれてゆく。

いつしか私は、この自分を正当化しようとしていた。つきつめれば、仕方のないこととはいえ、小さなことでさえも、何か罪に問われそうな、そんな場所の近くをふらふらと歩いているような気がした。

相手の女性は、怒ることなく、ただ、その見えぬ不満にその不満を抱いていた。どうにかしてあげたいと思ったけど、どうもしようがなかった。だから私は、ただ、怖くて仕方がなかった。どうしても、ちゃんと形に出来なくて。

相手に小さな苛立ちを残したまま、私は静かに電話を切った。「わかりました」とは言ってくれたけど、それはそういう簡単な意味じゃなく、もう、あなたじゃわからないから。そういう見えない言葉だった。

私に夕方の現実が戻る。見えない未来は、今、終わった。でも、大きなものを私は、まだ、心にかかえている。

少し重たいこの荷物は、私がちゃんと強くならなきゃ消えない。

たぶん、きっと、消えない。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一