あの日の雨と400円の涙。

私には仲の良かった友達が一人いた。彼とは小学校からの幼なじみで、同じクラスになることも多く中学・高校もずっと一緒だった。彼は頭がよくて気難しいインテリタイプで、私と性格はまったく違っていた。(今思えば、どうして友達になったのかとても不思議だ。)

そのせいか、たまにケンカしてしまうと、互いに友達のいない二人だから、ひとり寂しい気持ちになって、それが二人の唯一の共通点でもあり、仲直りのきっかけでもあった。

やがて高校を卒業する頃、その原因すら忘れてしまったが、僕らはケンカをしたわけじゃないのに、イヤな雰囲気を漂わせたまま、そのまま二人は会わなくなった。

その後、互いに違う大学に進んだ。彼は有名大学に。そして私は地方の大学に。彼からたまに年賀ハガキが届くことはあったけれど、二人は互いに連絡を取り合うようなことはしなかった。そんな中、大学2年になった頃、私の中で心の反乱が起きてしまった。

私はいろんな理由から、ただ、大学を辞めたかったのだ。

当時、一人暮らしをしていた私は、とりあえず実家に帰り、親を説得しようと思ったが、帰る金がまったくなかった。困り果てた私は本や辞書を中古本屋に売ったが、それでも金は足りなかった。親に金を送ってもらうのが手っ取り早いものだったが、私にはそれは出来なかった。そんな時だった。彼の顔が頭に浮かんだのは。

でも、いまさら彼に”金を貸してくれ”なんて言えない・・・

どうしよう?と、ひとりひたすら悩んでいた。でも、気付けば私は夜の列車で1時間をかけ、彼の大学のある駅まで向っていた。(そこは実家までの途中の駅だった。)そこまでの運賃が、私にとっての残されたわずかな金額だったのだ。今にして思えば、彼は相当驚いただろう。疎遠になっていた友達から、いきなり真夜中に「駅まで迎えに来てくれ」なんて電話で言われたのだ。驚かないほうが不思議だろう。

あの日のことは遠すぎて、もう記憶が薄れている。脳がそれを拒否してるみたいに。たぶん無我夢中だったのだと思う。

ただ、唯一覚えているのが彼が迎えに着てくれた時、雨が降っていたと言うことと、すでに腹を空かせ無一文だった私に、どこかの小さな大衆食堂で400円の親子どんぶりを彼がおごってくれたこと、そして、「1万円、貸してくれ…」と私が力なく言った時、その理由を聞くこともなく、黙って貸してくれたことだ。

その夜は下宿先の彼のアパートに泊めてもらい、翌日、私はその1万円で実家に帰ることができた。あれはもう、はるか昔のこと。あの日から彼とは1度も会っていない。

あんなに世話になったというのに、1度もお礼を言っていないなんて。彼にもらった形のないものを、いつか返したいと思っているけど、それが叶うものかどうか、今となってはわからない。

ただ、私が彼に返したものは、その数日後に現金書留で届いたであろう1万札1枚と100円玉4枚だけ。たぶん彼は、その100円玉を見て「なんだ、これ?」と不思議に思ったかもしれない。けれども、その1万円札と400円だけが私の精一杯の出来ることだった。

あの頃、私はまだ若かったのだろう。今思うと、消え入りそうで情けなくなる。でも私にとって、それは優しくも苦い思い出だ。

あの時の親子どんぶりの味を、この先もずっと、私は忘れないと思う。そして、彼が迎えに来てくれた時の、雨にまぎれた私の涙が、小さく流れていたことも、ずっと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一