見出し画像

僕が作った小さな温泉

昔、住んでいたアパートの隣に小さな温泉があった。

もともとそのアパートは、古い温泉旅館の跡地に建てたものだそうで、そのときの温泉が残っている、と言うことだった。私はそこに入居した後で大家さんにその温泉のことを教えられた。

「もし、よかったら自由に入浴してもいいですよ」と言われて「えぇ、本当ですか!」と私は随分と喜んだものだ。

でも・・・。
やはり人生には、うまい話はないなと思った。

その温泉は小さな壊れかけた物置小屋みたいなところの中にあって、大人4人くらい入れそうな浴槽はひどく汚れていた。温泉旅館が潰れてから、すでに数年が経っていた。床はコケのようなものでぬるぬるしていた。誰ももう、手入れはしていなかったみたいだ。もちろん、使ってもいない様子だ。それでも熱湯みたいな温泉はどくどくと涌き出ていた。(今思えば、衛生的に問題はなかったのだろうか?まぁ、結果的には大丈夫だったけど。)

私ときたら何を思ったのか、次の休みの日に一日かけてその温泉を狂ったようにきれいに掃除をした。普通なら汚すぎて、誰もがあきらめてしまうような状況だったにもかかわらず、でも、私はどうしてもその温泉をきれいにしなくちゃいけないんだと思っていた。

たわしとホースを使って水を流しながらコケを取り、ごしごしと床のタイルや、いつのものかも知れぬ髪の毛の束や、排水溝に筋のように垢で白く固まったものを取り除いていった。今考えても本当に汚いものだった。あれはもう二度と真似できないだろうなと思う。確か8畳部屋くらいの広さだっただろうか?私の無謀ともいえる行為は、夕方遅くまで続いた。

そうしてなんとかその温泉に入浴できるくらいきれいになった。でも、私はすぐに入らなかった。私の真の目的は、その温泉に平日の公休日、午後2時に入浴するというものだった。今考えても笑ってしまう。でも、そのときはどうしてもそうしたかったのだ。私にとって平日の午後2時は、何もない自由な時間だ。私だけに許されたその自由を、一人過ごすのが、私の癒しだった。

・・・・・・・
ある日の平日の午後2時のこと。
誰もいないひっそりとしたその温泉小屋は、まるで過去に忘れ去られた遺跡のように見えた。ちょっと熱めの温泉を、私はなみなみと浴槽にいっぱいに入れた。湯気が部屋いっぱいに立ち込める。窓からこぼれる太陽の光が湯気に映っていくつもの光の筋を作っていた。まるで神聖な教会の中にいるみたいな気がした。私の心は汚れのないもののように、思わず祈りをささげたい気持ちになった。

私は温泉につかりながら、私が望んでいた通りに、自由な時間を満喫した。窓から流れる雲を、心ゆくまで眺めていた。雲はいつだってゆっくりと、なんの目的もなく、ただ、風に流されてゆく。人の人生もあんなふうに自由だったら。あの頃の私はひとりきり、ただ、そうあこがれるだけだった。

青い空と白い雲を眺めていると、私は地球の一部になれるような気がする。怒りや苦しみ哀しみ恨みや、それらをすべて忘れて・・・いや、違うな。それらをすべてを受け止めて、私はこの地球という大地の一部になる。もしかしたら私はそれを今でも望んでいるのかもしれない。

それから幾度となく、私はあの温泉で、ひとり、心の中で祈りを捧げた。たくさんの間違いや、悲しみ、苦しみ、そんな私のすべての過ちを、その祈りで、すべて許してくれるような気がした。

午後の降り注ぐ太陽のやわらかな光。私だけの秘密の時、そして私だけの祈りの時間。でも、その”祈り”は、結局何も叶うことなく、やがて、私の”転勤”というどうしようもない理由で、あっけなく終わってしまったのだった。

・・・・・・・・・
私が引っ越した後、しばらくしてその同じアパートに住んでいた友達が私へ手紙を送ってくれた。その手紙の最後には、思い出したようにこう書かれてあった。

「そうそう、君がきれいにしてくれた”あの温泉”を今ではこのアパートの住人が利用させてもらっているよ。最近じゃ、リウマチに効くとかいって老夫婦がわざわざこのアパートに引っ越してきたんだよ」

そう友達が教えてくれた。

その言葉に、幸せが私に満ちてくる。
私の祈りは、別なところで叶えられたようだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一