見出し画像

あの日の幸せとありふれた午後と。

これはかなり昔の思い出のひとつだ。

演歌歌手の八代亜紀さんのヒット曲で「雨雨ふれふれ、もっとふれ~♪」と唄う歌があった。

私の父が仕事からの帰り道で、「どこにいっても”雨雨ふれふれー”って歌が町中に流れていて、挙句の果てに傘もないのに雨が降ってきて苦労した!」みたいな話を家族が揃った晩御飯のときに話していて、母も、兄も姉もみんなが笑っている。そんな何気ない家族の風景。

私は小学生だったか、子供ながらも「あぁ、楽しいなぁ、面白いなぁ、みんな笑顔だなぁ、うれしいなぁ」なんて思いながらも大笑いしていた。

今ではもう、親父はとうの昔に病気で死んでしまった。(定年後、間もなくだった。年金で不自由なく母と暮らせるはずだったのに。)母は今は介護施設で暮らしていて認知症が進んでしまい、もう私のことは、ほとんどわからなくなっている。兄は大きな企業の仕事を辞めて、今は小さな会社で頑張っている。姉は、姉自身が体が弱いのに、毎日のように母の面倒を見ている。母は何度も同じ話を繰り返すが、姉は何度もそれに付き合っているとのこと。私は遠く離れた場所で、時々、兄や姉から届くメールで母の状況を見守るしかなく、何もできない自分の弱さに思わずため息がこぼれてゆく。

みんながみんなバラバラに暮らして、それぞれの人生を、それぞれに必死に生きている。もうあんな日々は戻らないのだと、今さらながらに思い知る。

すると自然と涙がこぼれていった。

でも、それでもと私は思う。今をひとつひとつ確かめながら、踏みしめながら生きてゆこう。あんなありふれた幸せを、今度は私が作ってゆこう。

大切なのは、きっと今、このときだ。昔の想い出ではない。でも、それでも想い出は、きっと今の私を支えてくれる。

そう思った雨上がりのよく晴れた午後のこと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一