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「自分プロジェクト」のすすめ。

松浦弥太郎さんのエッセイが好きで、最近よく読んでいる。その中で「自分プロジェクト」という言葉があった。それを紹介したいと思う。

自分プロジェクトとは、誰かに「やれ」と言われたことではありません。自分でしかつめらしく「やらねばならぬ」と、決めたことでもありません。仕事でもいいし、毎日の暮らしの中の些細なことでもいい。「これができたら、すてきだろうな、おもしろいだろうな、きっと新しい発見があるだろうな」そういった小さなプロジェクトをいくつもこしらえ、あれこれやり方を工夫し、夢中になって挑戦し、順番にクリアしてゆくことです。
松浦弥太郎 「今日もていねいに」より。

つまり、自分で問題を見つけ、答えを考えるその心持ちのこと。

「自分の問題」だからといって、ただ単に、好きなことだけを、今の自分が出来ることだけをすればいいということではない。今はちょっとできないけれど、それが出来たら素敵だろうなということをする。そこを間違えてはいけないと思う。ちょっと苦手なことほど、そのプロジェクトに意味がある。

とてもいい考え方だなぁと思った私は、さっそく、「自分プロジェクト」を実行してみようと思った。

ちょうどいい機会があった。それは仕事で、ある報告を兼ねた発表をする必要があったときのこと。その発表が正直私は憂鬱だった。あまり賛同できない企画で、適当にしていたからだ。(おいおい。)それで発表のための資料を作っていたのだけど、結果的には目標数値に達していたことがわかった。おぉ、これはなんとかなりそうだと思った私は、どうせなら楽しく発表してやろうと思った。

発表当日、広い会議室で長テーブルを囲んで20名くらいの偉いさんたちが座っていた。みんな苦虫つぶしたような顔をしている。いかにこの企画がつまらないものだったかがよくわかる。マイク片手に私は発表をする。みんな書類に目を落としている。誰も私なんか見ちゃいない。

いろんな具体例とともに、結果として目標予算は達成しましたと最後に私が言ったとき、誰もがみんなシーンとしていた。

私は小さく間をおいてから、満面の笑みで「コホン」少しせき込んだ。そして自分でひとり、パチパチと拍手をしたのだ。

少しだけ驚いた顔をした偉いさんたちは、苦虫つぶしたままのぎこちない笑顔で、みんなが拍手をしはじめた。パチパチと、なんとも揃わないリズムで。

そうしてその発表は終わった。

ずいぶんと生意気なことをしてしまったが、自分としては良かったと思う。何も間違っちゃいない。”自分でこの発表を楽しむ”それが私の「自分プロジェクト」だったのだから。

見事にミッションは達成した。発表もうまくできた。ちなみに、私は大勢の前で何かしゃべることはあまり苦にならない。昔、先輩が教えてくれた。「大勢の前でひとりで誰かにしゃべったって、みんな何も聞いちゃいないし、それが終わればみんな忘れてる。だから失敗したって全然かまわないんだ。だって、みんな自分のことで忙しいんだから」

少し投げやりな感じではあるけれど、そういえば確かに、私も人の発表をあんまり聞いていないし(こらこら。)覚えてもないなぁと実に納得したのだった。それ以来、気の小さな私の割には、プレゼンは堂々としている。だって、誰もまともに聞いちゃいないんだ。あの先輩のおかげだ。

そうして、みんなが会議室からぞろぞろと出てゆくのを背中に、私はひとりで資料を片付けていた。すると、ある課長Sさんが、私に近づいて小さな声で耳打ちした。

「自分で拍手するなんて、サイコーだったよ!」

たくさんのしわを作ったその笑顔は、まるで少年のようだった。それは決して皮肉ではなく、手をグーにして親指を立て、白い歯を見せていた。あんまり話したこともない人なのに、同じ想いだったのかもしれない。

ちょっと胸が熱くなった。

誰も何も聞いてなくても、ちゃんと聞いてくれている人がいる。私はきっとそんな人のために、ただ、一生懸命なのだ。そう思えた私は、たぶん少しだけ前に進めた。そう思える私がいればそれでいい。

さて、私はまた、ワクワクしながらも思うのだ。
次の「自分プロジェクト」はどんな困難を選ぼうかと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一