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アンパンマンの哀しみ。

そのキャリングケースはいつも店の入り口付近の隅に、かわいくポツンと置かれていた。私は商品整理をしながら、いつもそれを見つけるたびに、なんだか暖かな気持ちになっていた。

「今日もどこかのお年寄りが、この店に来てくれているのだなぁ」と。

荷物を入れたり、イスにもなったりするそれは、よく、お年寄りが散歩で使うようなものだ。かなり年季がはいってるみたいだ。ベージュが少し汚れている。少しほつれた箇所もある。たぶん、店で買った食品を持ち運ぶ為のものなのだろう。

もう1ヶ月くらいになるのだろうか?そのキャリングケースを見かけるようになったのは。ほぼ毎日のように、朝の10時くらいからある。そして昼過ぎにはなくなっている。たぶん開店と同時に店に来ては、のんびり買い物を楽しんで、そして昼過ぎに帰ってゆくのだろう。

孫からもらったものなのだろうか?アンパンマンのアクセサリーが、そのケースの端に飾られている。私はその人に、なぜだか少し会いたい気持ちになっていた。でもいつも、そのカバンは見かけるのに、その本人に出会ったことがない。

それもそのはずだ。

そのカバンの持ち主は、店内では持ち歩いていないのだから(店専用の買い物カートを使っているのだろう。)たとえ、私の横を通りすぎても、私は気づくことが出来ないのだ。

自分で買い物に来るということは、一人暮らしなのだろうか?あのカバンのデザインからして、きっと、おばあさんなのだろうと私は勝手に想像をしつつ、店でお年寄りのお客様とすれ違うたびに「この人かなぁ」なんて思ったりもした。

たぶん、私は田舎の祖母を、どこか思い出していたのだろう。もう、この世にはいないけど、お盆になると家族で会いに帰ってたあの私の幼い日々は、今も大切な想い出になってる。

優しかったおばあちゃん。

戦争時代を生きてきたせいか、いつもごはんを大盛りにして、小さな私にこう言ってた。「たーんと食べんさい」(たくさん食べなさい)って生まれた町の方言で。

ある日、その持ち主に、店で偶然会うことができた。

あのキャリングケースを右手に握りながら、その人は二人の警備員に連れられていた。私はしばらく言葉を失っていた。私の想像したとおり、その人はおばあさんだったけれど、とても小柄で背中がまあるくて、顔は哀しげにうつむいていた。

その人は万引きの常習犯だったのだ。

私が毎日のように、見かけていたあのキャリングケースは、盗んだ品物を入れるための道具に使われていたらしい。何か優しいもののように、勝手に想像していた私は、まるで愚かなピエロのようで、でも、哀しくて笑えもしなかった。

何が彼女をあのように、させてしまったのだろう。最初はきっと、きっと間違いなく、優しいおばあさんだったはず。

なのにどこで道がそれて、どこで間違えてしまったのだろう。どうしてその間違いを、誰も教えなかったのだろう。そんなふうに私はひとり、途方に暮れた。大きな警備員の男に囲まれ、おばあさんの小さなその背中は今にも消え入りそうなほど…。

きっと、キャリングケースの隅で揺れてる
あのアンパンマンだけは、本当の彼女を知っているはず。

彼女にあった優しさと、間違う前の正しさを
アンパンマンの送り主の
いつかの暖かな笑顔のように。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一