優しい罪とプライドと
人の優しさと言うものは、時としてこれほどにも罪深いものになるんだな、とそのときの私は思っていた。
私にとって、とてもショックな出来事が起きた。これはもう、昔のことだ。詳しく書くことは出来ないけれど、いや、本当はそのとき、内部告発するかのごとく、”どこかに書いてしまえ!”とさえ思ったのだけど、なんとかこの心を、軌道修正させている、といった感じだった。
お客様からクレームの御申し出があった。”御申し出があった”というのは決してお客様が怒っていらっしゃるのではなく(心の中では、怒り心頭だったかもしれないが。)今後、同じようなことで、誰かが同じ過ちを、二度と繰返さない為のとてもありがたい忠告だった。
いわばそれは、店を思ってのことだった。私としては、それはかなり重大な事実として受け止めていたし、決して軽く受け流すわけにいかないと思った。お客様には少々お待ち頂き、すぐにその担当責任者を電話で呼び出した。嫌々ながらに、やっと担当者はやって来たが、その対応はただ、一言だけだった。
”以後、十分に注意しますので・・・”
何を言っているのか?
本当に望んでいるものがわからないのか?お客様は形式だけの言葉ではなく、その確実な態度が見たかったのだ。はっきり言って、重大なクレームになると思った。それでもお客様はその言葉を聞かれて、一応は納得されたみたいでそのまま帰られた。
しかし、私はいつまでも納得できなかった。
もっともっと調査すべきだと思った。そのことをその担当者に私なりに重要な疑問として投げかけたが、ほとんど相手にされなかった。代わりによこしたバイトにしても、いやいや事後処理をしてると言う感じだった。
なんだろう?この虚しさは・・・
この際、言ってしまうが、うまくお客は誤魔化せたかもしれない。でも、もしもこの事実が公になれば、店は営業できなくなるだろう。それほどの危機感が、この私には確実にあった。でも、それが暗黙の了解とでも言うかのように、許されるのなら私はココでもう二度と、仕事はしたくないと思った。
そのアルバイトは、”別に言い出さなきゃ、こんな面倒なことにならずにすんだのに”とでも言いたげな態度で作業を進めてた。
「ただでさえ、人がいなくて忙しいのに」
そんな愚痴をこぼしている。
「そんなに忙しいなら、私でするからもういいよ」と私は彼に言った。つくづく自分はバカだと思う。まかせてほっとけばいいのに。
でも、お客様の生命(と言えば言い過ぎかもしれないが)に関るような問題を、ただ、いい加減に仕事をして欲しくないと思った。私はまだ自分の店を、それでも好きなまま仕事がしたいんだ。
たとえ、こんな裏の事情を知ったとしても・・・。
私はひとり、作業を進めながら、急に孤独を感じていた。更にひどい状況が、私の目の前に広がるばかりだった。どうして誰も気付かずに、誰も何もしようとしなかったんだろう?
そう思うと、情けなくて仕方がなかった。
さっきまで愚痴をこぼしていたアルバイトや担当責任者の”忙しいのに”の言葉が空しく耳に残る。
なんの為の”忙しさ”なのか・・・
これが本来の”最優先”の仕事ではないのか?
そんな時、Aさんが私のところにやって来た。
「どうしたんだ?それはあなたがすることではないでしょう?」
私のしていることに、とても違和感を感じたのだろう。”とても信じられない”と言いたそうな表情だった。
Aさんは私より、かなり年上で、他の部署の社員ではあるけれど、いつも頼れる人だ。私はその事情を淡々と話した。すると、Aさんは何も言わず、受話器を握り締め相手にこう言ったのだ。
「たった今すぐに、ココまで来い!」
相手の受話器からも、相当大きな声が耳を貫いたのだろう。たった1分でやって来た。(たぶん新記録だ)私の言いたかったことを、Aさんがすべて怒鳴って・・・いや、話してくれた。
私に出来なかったことだ。
私がただ、絶望し愚痴るように対処しても、Aさんの一喝がなければ、同じ過ちは繰返されただろう。Aさんの態度を見て、私は密かに自惚れていた。
私のためにしてくれているのだと思った。少しはそうだったかもしれないが、Aさんはきっと、私と同じように自分のしている仕事にプライドを持ちづづけていたいと思ったのだ。
でも、それはAさんのやさしさには変わりはしない。そう思うと、私は・・・この私は・・・泣きそうになった。
情けない、こんなことくらいで・・・でもそう思うと、なおさら心はあふれるばかりで、私はすでにどうしようもないほど涙目になっていたのだと思う。
Aさんはそんな私を見て、目だけで少し微笑んでくれた。ただ、それだけで言葉はなかった。担当責任者が、私のしていたことを一所懸命にやっていた。
私はどこで、何をあきらめてしまったのだろうか・・・。
人のやさしさと言うものは、時としてこれほどにも、罪深いものがある。あまりにもそれが心に染みるから、私は私のありのままの弱さを、ただ、白状するしかなくなる。
泣きたくないのに涙腺が、勝手にどんどん緩んでくる。まるで拷問を受けているかのようだ。心の奥からあふれてくる・・・
Aさんがポンと私の肩を軽く叩く。
「あなたが正しいよ」
想いよ、もうこれ以上、
私の心から、こぼれるな・・・。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一