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幸せなクレーム。

「そういえばさ、こんなことがあったんだよ」

昔の仕事仲間だったA君の電話から聞こえてくる声は弾んでいて、それでいて聞いて欲しくてたまらないようなうれしさが、そこに感じられた。「どんなことなんだよ?」聞くほうの私も、自然と声が明るく踊っていた。

「実はさ、先日ひどいクレームがあってね、とんでもないことになったんだ」クレーム?と私は思った。ふむ。それにしては声がやけに明るいぞ?どうなってるんだ?なんだかまるで砂糖のつもりで塩をなめさせられたような気分だ。まぁいい、今は彼の話を聞くとしよう。A君は更に話を進めた。

「中年の男性のお客さんだったのだけど、うちの店でラジカセを買ったそうなんだ。でも、そのラジカセが1週間前に買ったばかりというのにもう壊れてしまったとひどく怒ってやって来たんだよ」

「へぇ、そうか、でもそれは仕方ないクレームだよな。それで、お詫びして返金か交換をしたのか?」

「それがさ、確かに商品は初期不良だったのだけどそのお客さんがさ、レシートも保証書も何も持っていなくて、おまけに1週間前の販売実績データを見ても、そのラジカセはうちの店では売れていないんだよ」

「え?ということは、他店で買った商品ということなのか?」

「それがよくわからないんだ。販売実績がなくても必ずしも当店で売れていないとは言えないし、そのお客さんも”ココで買ったのは間違いないんだ!お前たちはオレを疑うのか!”なんて大声で怒鳴るし、はっきり言って無茶苦茶恐かったよ。挙句の果てに野次馬・・・いや、見物人も集まる始末でさ」

「あ~あ、わかるわかるその気持ち。それでどうした?レシートなしで返金したのか?」

「あぁ、そうするしかなかった。うちで買ったか買わなかったかは、どっちにしたってわからない。本音で言えば、僕はもう3000円くらいの返金でこのクレームが終わるならそれでいいと思ったんだ。別にお客さんは金目当てとも思えなかったし。ただの短気なおっさんだと思ったんだ」

「まぁ、それは仕方ないかもしれないな。それで無事にそのクレームは終わったのか?」

「それがさ、問題はココからなんだ。実は僕が怒っているお客さんにお詫びしながら返金したのだけど、ふと、ラジカセの空箱を見たら他店のお買い上げ済のシールが貼ってあるのを見つけたんだよ」

「え!じゃあやっぱり他店で買っていたんじゃないか!」

「そうなんだよ。しっかり他店で買ってたんだよな。でも、返金した後になって、僕はそれに気がついたんだよ。あの様子からして、お客さんはそのことにまったく気がついていない感じだった。騙そうとか、そう言うつもりじゃなかったんだと思う。ただ、実際にお客さんは僕が返金をして満足そうな顔をしていた。それが当たり前みたいな感じでさ。それに見物人も、まだその場にたくさんいたんだ」

「それで言ったんだろ?これ他店で買ったものですよってさ。いい迷惑だった訳だよな、結局さ」と私は尋ねた。あまりにもそれが当たり前と思ったから。でも、A君は・・・

「いや、実はその時は言えなかったんだ」と答えた。

「言えなかった?どうしてなんだ?言えなくてどうするんだよ。別に間違ったことじゃないだろ、むしろお客さんが間違っていた訳だし、それとも恐かったのか?お金を返してもらうのが当然のことだったんだろ?」「うん、そうだな、確かに恐かったのもあるかもしれない。でも、僕はその時こう思ったんだ。もし、ここでクレームのお客さんに”他店で買ったものですよ”と僕が言えば、お客さんが恥をかくってね。なにしろ見物人がたくさんそれを見ていたのだから」

やれやれ、だった。お人好しにもほどがあると言うものだ。まぁ、私は彼のそんなところが密かに気に入っている訳ではあるけれど。

「でもお前、そんなこと言ったって、店の信用問題もあるだろ。そのお客さんは大勢の人の前で怒鳴り散らして、”この店は不良品を売っているんだ!”って宣伝しているようなものだったんだろ?ちゃんとみんなの前で説明するべきじゃなかったのか?」

「あぁ、そうだったんだよね。でも、その時はそんなこと、まったく思わなかった」

彼のそのまったく緊張感のない言葉になんだか、ミャーと泣いている可愛い捨て猫でも見ているような思いがした。彼の気のやさしさは、あの頃と一緒でどうにもならないものらしい。「それで結局、どうしたんだ?」正直言って、私はA君のお客さんとのまるで言いなりみたいな対応は、少しどうかと思ったのだけれど、しかし、A君の言葉はなんの曇りもなく私にこう言ったのだった。

「僕はあの時すぐに、”やはり他店で買ったものですよ。これを見てください!”とはその時言わなかった、いや、言えなかったんだ。でも見物人がいなくなって、お客さんが帰りかけたときになって、はじめて小さな声で”あのう~”と恐る恐る声をかけてその事を説明したんだ」

「なあ~るほどなぁ、そうだったのか、お客さんの立場を考えたんだなぁ。それで実際どうだった?でも、やっぱり怒鳴られたんじゃないのか?どうせちゃんと説明したって”そんなこと知るか!”なんて無茶なこと言われたりして」

「いや、それが違うんだよ。そのお客さんはそれを聞いて、恐い顔で俺に尋ねたんだよ。”どうしてお前はみんながいる前で、それを言わなかったんだ?”ってね」「へぇ、それでどうだった?」「俺は正直に”誰もいなくなってから申し上げたほうがいいと思ったのです”って言ったんだ。すると、お客さんが・・・」

「お客さんが・・・?」

思わず私は息を飲んだ。

「それでお客さんが、逆にえらく感動しちゃって・・・”あんたの対応は立派だ。オレのようなうるさい客の為に、オレに恥をかかせないばかりか、店のメンツも考えないで、俺の立場を考えてくれた。あぁ、申し訳ない。これはこの店で買ったんじゃなかったんだな。オレの女房の勘違いだ。許しておくれ”そう言うと、お客さんは頭を下げるばかりで、その反面、心から喜んでるみたいだった。それからちゃんとお金も戻してくれて、なんだか思わずじ~んとくるものがあったよ」

なるほど・・・こんなことがある度に、私は思うのだけど人は誰も最初から、悪い人で生まれてくる訳じゃないんだよね。「へぇ~、それはよかったじゃないか。立派だ!オレが誉めてやるよ!」と私は言った。そうそう、ちなみに彼は私より4つ年下だ。”へへへ”なんて単純に喜んでる。誉めがいのある奴なのだ。

「今だから正直に言えるのだけど、あの時、他店のお買い上げシールに気付いた時も、僕はずっと黙っていようかと一瞬思ったんだ。何もまた事を蒸し返すようなことをしなくていいんじゃないかと。とりあえず返金で解決したんだ。また何か言って取り返しがつかなくなったら・・・あの時は本当に恐くて、どうしようもなく不安だった」

その彼の言葉に、なんだかとても大きく成長した彼の純粋な勇気に私はそれが、自分のことのようにうれしくって仕方なかった。私はもっと誉めたい気持ちになったが、彼が更に言葉を続けた。

実はまだ、この話はこれで終わりではなかったのだ。

「それから・・・」と続ける彼の声がまた一段と明るくなっていた。「へぇ?まだ続きがあるのか?」と私は聞いた。また何か宝物を見せてくれるような気がして、なんだかとてもワクワクした。

「そうなんだ。まだこの話には続きがあるんだ。そんなことがあってから1ヶ月過ぎた頃だっただろうか?あのクレームのお客さんがまた、売場にやって来たんだよね」

「えぇ!、なんだって?またやって来た?もしかしてまた何かクレームでも言ってきたのか?」「いや、全然その逆だよ。お客さんは、自分のきれいな娘さんも連れて来ていて、僕にこう言ったんだ”実は今度、私の娘が結婚することになったんだ。この店でいろいろと買わせてもらうことにしたよ”ってね」

それを聞いてなんだか私は、素敵な映画のハッピーエンドのワンシーンが私の目の前にずっと広がっているような、そんな気がして胸が震えた。接客の中で、しかもクレームの中でこんなふうに人と人との深いつながりが出来るなんて。

あんなに恐いクレームでも、常に相手の事を考えていたA君の親身なやさしさと思いやりが、きっと、そのお客さんの心にストレートに伝わったのだろう。恐いから、逃げたいから。もしもA君がそんなふうに思っていたら、きっとこのお客さんは、この店での事をもっとひどく、誰かに言いつづけていたのだろう。

しかし、今ではその逆になった。このお客さんはきっと、この店で起きたことを、まるで自分の大切なものを自慢するかのように、まわりの誰かに話しているに違いない。

確かにあの時、それを聞いてた周りの見物人達には”この店は不良品を売ったのだ”と印象を与えたとしても、クレームのお客さんの喜びの声は、それ以上の真実を伝えている。クレームのお客さんを店のファンにする、とはつまり、そういうことなのだ。

A君は最後にこう言っていた。「結局、接客と言うのは、人と人との心のふれあいなんですね」やれやれ、私のいつもの決めセリフをA君に取られてしまったようだ。まぁ、いい。彼はそれだけのことをしたのだから。

私のほうも最後に一言だけ彼にプレゼントのような気持でこんな言葉を贈った。「一時のクレームのお客さんが、君の一生のお客さんになったんだな」その後の彼の純粋な喜びの声が、受話器から漏れて聞こえてきたのは言うまでもないだろう。おかげでなんだか私の心は、澄み渡った青空のようにどこまでもすがすがしい気持になっていた。

私は受話器を降ろした後、また、ひとり思い出していた。
共に働いていたあの頃の、彼の懐かしいあの笑顔を。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一