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仕事よりも大切なもの。

これはまだ、幼稚園児だったゆーくん(当時6才の息子)の運動会の想い出になる。

その日は日曜日で、接客業の私は仕事も忙しく、とても休めないものだったけど店のみんなの好意に甘えて、休暇を頂いた。

「子供の運動会よりも大切な仕事なんて、この世にはないですよ」

そう明るく笑いながら言ってくれたAさん。こんなあたたかい言葉を、私は久しぶりに聞いたような気がした。心から感謝。

あの頃、私はほとんど子供たち(小学生の娘もいる)とふれあうこともなく、休みの日もいつも平日だし、私は本ばかり読んでいるし、子供達は学校から帰ってきても、すぐに友達の家に遊びに行ってしまう。

息子に「おんぶしてあげようか?」なんて甘えて言っても「嫌だね!」なんて生意気なことを言って逃げられてしまう。やれやれだ。

いつからこんなに嫌われてしまったのか?
ここは1つ、この運動会で名誉挽回したいと思った。

・・・・・
運動会の当日、早朝から我家は忙しかった。奥さんは弁当作りに、私は早くから幼稚園に行って運動会の準備に・・・。

少子化の影響で園児が少なく先生方も少ないので、私たち園児の保護者が会場の準備をすべてしなければならなかった。名前も知らないお父さん方と一緒にテントを張ったり万国旗を飾り付けをしたり、入場門を組み立てたりで、Tシャツはもう汗でびっしょりだった。

そんな中でもうれしかったことは、仕事仲間でもない人達と、ああでもない、こうでもないと思考錯誤しながら、楽しくおしゃべりをしたり笑ったりしたこと。

そしてうまく完成した時の、あの見知らぬ同士の喜びは、本当に感激でいっぱいだった。おかげで私は、朝からとても気持のいい汗を流す事が出来たのだった。思いがけず、貴重な経験をさせてもらったなぁとしみじみと感じたものだった。

・・・・・
その日はとても爽やかな秋の空だった。ここの園児は、40人くらいしかいなかったので、こじんまりとした運動会になった。でも、私としては、のんびりと見られることのようが、大勢でにぎやかなことよりもうれしかった。どこだってここは特等席だ。

小さな天使達が、足並み揃えて手を振って、お行儀よく行進して行く。いつも駄々をこねるやんちゃな子供たちが。それだけで思わず笑みがこぼれてしまう。お父さん方が一斉に、最新のカメラでレンズ越しにその光景を見ていた。私はその度に思うのだけど、運動会はなるべくビデオや写真撮影は最低限にして、この目で直接見たいと思っている。

子供だってそのほうが「あ、お父さんがボクを見てくれてる!」って喜ぶと思うのだけど。レンズ越しに見られても、大人はそれが楽しくても、子供はちっともうれしくない。そういうのって、結構大切だと思う。

ということで、この目で我が子を、と私は思ったのだけど、なぜかたまたま私はその幼稚園の撮影係になってしまった。うちの奥さんも、競技進行係を任されていて、私達はゆっくりと運動会が見られないほど、結構忙しかった。

徒競走に綱引きにたま入れと、競技は進んで行く。まるでそれは、私達保護者みんなの手作りみたいな運動会だったけど、みんなの拍手や、あたたかい声援、そしてたくさんの笑顔・・・そのひとつひとつが園児たちのためのものなのに、私達に向けられた励ましにも思えて、その度に胸にジンときた。

うちのゆーくんは、意外と足が速くて、午前の徒競走は1等だった。

「ボクね、みんなの中で、一番、足が速いんだよ!お父さん知らないでしょ!」

家族みんなでピクニック気分で食べるお昼ご飯の時にゆーくんが、得意げな顔でそう言っていた。むむ、確かに知らなかった。ひょっとして私は父親失格なのか?こうしてがんばっているのに全然名誉挽回できていない。なんかちょっとショックだった。

「午後の最後の競技のリレーは、ゆーくん、アンカーなんだよね」

「うん、そうだよ!絶対に1等になるからね!」

ゆーくんと奥さんの会話が弾む。娘のまーちゃんも笑ってる。思い過ごしだろうか?私だけその輪に入れていないような。

「じゃあ、ゆーくんが1等になるところ、お父さん、写真にとってあげるね!」

そう私が言うと、「ちゃんと撮れるのぉ?」なんて憎まれ口を叩かれた。まったく、口だけは達者になった。

そして、午後の競技が始まった。私も徒競走に参加した。もちろん1位でゆーくんにも「すごい!」って言わせたいと思っていたけど、5人中結果は4位。またしても父親のポイントは上がらず。(だって、私よりも若いお父さん方もいるんだもの。と一言いいわけしておきたい。)

結局、私の父親として名誉は挽回できないまま、とうとう最後の競技になった。この運動会、一番メインのリレーだ。白組と赤組のふたつで競争をする。そして、ゆーくんは、赤組の一番重要な最後のアンカーだ。幼稚園で一番足の速いゆーくん。自信たっぷりの顔で、ゆーくんはその順番を待っていた。

大きなピストルの音でリレーが始まった。小さな手が、そのバトンを次々と渡す。最初は赤組も白組も接戦だったけど、だんだん白組のほうがリードしていった。その差がどんどん大きくなった。

いよいよ次が、アンカーであるゆーくんの番だと思った頃には、すでに時遅く、半周も大きく差が離れてしまっていた。いくら、ゆーくんの足が速いとはいえ、とても勝てるものではなかった。

バトンを待つゆーくんの顔が真剣だった。ゆーくんのあんな表情は、あのとき、はじめて見たような気がする。ゆーくんは何を思ってそれを待っていたのだろうか。やがて、最後のバトンがゆーくんに手渡された。すでに相手のアンカーは半周以上、先を走っていた。

私は幼稚園の撮影係としてカメラの望遠レンズで、ゆーくんの走る姿を探した。

「・・・あの子、もう追いつかないのに、一生懸命に走ってるわね」

そんな声があちこちから聞こえてきた。それはゆーくんのことだった。私はとても誇らしく思った。ゆーくんは、最後まで頑張る子だ。ゆーくんのその一生懸命な姿を、私は写そうと思っていた。

カメラ越しに探していた私は、ゆーくんのその姿がすぐに見つけられずにいた。そして、カメラの長い望遠レンズが、ゆーくんをアップにピントを合わせたその時・・・

私は思わず息を止めた。

ゆーくんが・・・泣いていた。

泣きながらゆーくんは、一生懸命に走っていたのだった。きっと、もう負けると分かっていて、悔しくて悔しくて・・・。それでもゆーくんは、精一杯に走っていた。その姿に、私は心、打たれていた。

ゆーくんと約束したのに、そのシャッターが結局押せないでいた。私の涙で風景が滲んでいたから。ピントが合っているのかもさえ、もう、私にはわからなかった。

やがて、ゆーくんが最後のゴールをした。どれだけ悔しかったのだろう。しゃっくりみたいに嗚咽しながら、何度も何度も泣きながら・・・。

そんなゆーくんに、みんなからのあたたかい拍手が贈られた。父親として、こんな誇らしいことはなかった。この光景は、写真に収められなかったけど、今でも思い出せるくらい私の一生の宝物になった。

・・・・・・・
すべての競技が終わり、先生からみんなにご褒美の贈り物が配られた。こうして楽しかった運動会のすべてが終わった。

やがての園児達が、家族の元へと戻って行った。ゆーくんはまだ元気がなく、まるで迷子の子供のように、トボトボと歩きながら私達家族を探していた。

「ゆーくん!こっちだよ!」

私は思わず大声で叫んだ。

その声に、私を見つけたゆーくんは、ぱっと明るい笑顔になって、そして思いっきり走ってきた。私はしゃがんでこの両手を思いっきり広げ、ゆーくんを迎えた。

やがてゆーくんは、私のこの腕の中に、思いっきり飛び込んできた。おんぶさえ嫌がったゆーくんが・・・なんて久しぶりなのだろう。

そして、我家の小さなヒーローは、私のこの腕の中で、また思いっきり泣きじゃくっていた。ゆーくんの体温が、直接私の心まで伝わってきて、とてもあたたかなものになっていた。

私は、ゆーくんの頭を何度も撫でながら
やさしくこうつぶやいていた。

「よく頑張ったね、ゆーくん・・・
ゆーくんは父さんの、一等賞だ」

仕事よりも大切なものが、
ここに、あった。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一