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隠された本当の心。

あの頃から、ずっと心に引っかかってた気がする。

あれは、私が中学生くらいだったか、その状況は、詳しくは忘れたけれど、確か、父に切らしたタバコを買ってくるように言われ、なぜか、私はそれにものすごく腹を立てていたことがあった。(今はおつかいでも未成年はタバコは買えないけれど。)

別に腹を立てるほど、父にひどい言い方をされたわけでもなく、別にそれは特別なことだったわけでもなくて、いつもそんなふうに私は気軽に近くのタバコ屋に買いに行くのに、とにかくその日はむしゃくしゃしていて、あきれるほど機嫌が悪かった。

心に引っかかる出来事は、その後に私に起きた。

タバコを買って家に戻った私は、父にお釣りを返そうとした。父は笑顔で「ありがとう」といつものように言うとお釣りを受け取ろうと右手を出してきた。

その右手に私はお釣りを乗せようとせずにそのままま床の上にバラバラっと落としたのだった。その行動に、自分でビックリした。そして、もっともビックリしたのは父のほうだった。

「お前がそんなことをする子だとは思わなかった」

父は叱ることなくそんな言葉をポツリと哀しげに私につぶやいていた。

そのあと私は泣いたのか、それとも部屋に引きこもったのか・・・たぶん、何も言わないで、ただ、ぼーっと立っていたんだろう。何も感じることもなく、どんな表情も浮かべることもなく・・・

そして、今、父のその言葉だけ心に、ずっと消えずにこうして引っかかっている。なぜだかわからないけれど、今頃私はその何かに、ようやく気付いたのかもしれない。

たぶん、父はいつも素直な私に別の一面を見つけてしまい本当に哀しかったのだと思う。本当に寂しかったんだと思う。

でも、あの私が、たぶん、隠された本当の私なのだと思う。

今も私は人からは、たぶんまじめでいい人と思われている。幼い頃から、いつも私はそう言われ続けた。でもそれは、私が傷つきたくないためだけの、私の必死な行動によるもの。すべての人に好かれることなど、不可能とわかっていても私の心は常に疲れている。

そして、時々、本性の私がこうして現れる。傷つけられた誰かに傷つけるためだけの言葉を探そうとしている。その荒れた心のままに、無関係な誰かをも傷つけようとしている。心が暴走をし始める。あのお釣りをわざと落としたときのように。

認めたくはないけれど、私はどうしようもなく臆病だ。認めたくはないけれど、私はどうしようもなく冷たい人間だ。認めたくはないけれど、認めたくはないけれど、それが私という人間だ。

それをわかっていることそれが、大切なことなのかもしれない。別に誰かに優しい言葉を求めているわけじゃない。人は誰しもそんな一面を、どこかに隠しているものなのだろう。人は誰も人には言えぬ、酷さを抱えているものなのだろう。

けれど傷つけてしまったその心は、傷ついたこの心は、ずっとその場所に居続けている。その苦しみは解かれることなく、その事実は変えられることもない。それが、ただ、そのままに、こうして私を戸惑わせるだけだ。

父はもう、死んでしまったけれど、あのときの言葉がまだ、私の中で生き続けている。あのときを後悔しながらも、まだ、父に何かを伝えたい思いで心は、どうしようもなくあふれている。

それが遅すぎることと、わかっていても、おもちゃをねだる子供のように、心はずっと、あきらめきれないで・・・

生きてゆくことはたぶん、体に出来た傷の痛みを、ひとつひとつ憶えゆくことで、人がこうして生きられるように、心に出来た傷も同じように、いくつもの大切な想い出として、知らずに憶えてゆくのかもしれない。

だから人生は、哀しくも苦しくも、
それでも、こんなに愛おしい。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一