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「あー今日何もやってないな」はもうやめよう

タイトルを見てどういうことだと思いましたか?
「怠惰な生活はやめて、やるべきことをやろう!」
みたいな決意表明ではありません。

「何もやっていないような1日もポジティブに捕えてみよう!」
という内容です。

みなさんはどちら側でしたか?
この二つとも全く違う解釈もありそうですね。(もしあったらコメントください!)

常に「何かやらないといけない」という強迫観念

「いかに効率よく高い目標を達成するか」
私はそんな世界にずっといました。

大学受験。目標は京都大学。
大学アメフト部。目標は日本一。
経営コンサル。3か月で必ず業績アップさせる。

どれも、期日が決まっていて、その中でいかに効率よく高い成果を出すかを求められます。

そんな世界にいた私は「休む」ということができませんでした。

正確には、「目標達成に関係なさそうなこと」をすることに、後ろめたさというか不要なものという風に思っていました。

もし受験生が遊んでいたら
「受験生なんだから遊ばずに勉強しなさい」
なんて感じで周りの人に言われそうですよね。常識的には。

睡眠時間を取り過ぎることに後ろめたさを感じ始めたのは受験生の時からかもしれません。

大学アメフト部。
「24時間アメフトをしろ」
とよく言われていました。

日本一を目指していたので、そう言われて当然ですよね。
当時、監督がどういう意味でそういっていたのかわからないですが、その時の私は、
「起きている時間は常にアメフトの事を考えていろ。睡眠もアメフトのため。」
ということだと解釈しました。(今は別の解釈ですが)

そう解釈してからは、アメフトに関係なさそうなことをすることが後ろめたくなりました。
実の姉の結婚式もアメフトの練習があるから途中で帰ったくらいです。

コンサル会社。私の入社したころはまだブラックな感じで、
「睡眠時間、4時間とったら半休、8時時間とったら有給や」
的なことを言っていた先輩もいたくらいです。

私自身は、ぼぼ始発で出社、終電か終電を逃して退社。土日も働いていました。
遊びに行っても、PCは手放せませんでした。

と言っても結局ダラダラしてしまう

「やらないといけない」と思っていることと、実際の行動は大体乖離しているものです。。

やろうという気持ちはあっても、24時間365日働くことはできません。
ベッドから起き上がれない日もあります。

結局休みは必要です。
なのに、なかなか割り切って「今日は休もう」となれません。

気合入れたら動けるはずだから。

ただただ怠惰なだけ。
自分が弱いだけ。
逃げているだけ。
責任感がないだけ。

そんな考えが頭をぐるぐる。

やっとのことでベッドからでたらもう夕方。
「あー、今日も何もやってない。終わった」
気分を切り替えられず、気づいたら夜。「明日も速いから寝ないと」と、もはや何もできず。

何度こんな日を過ごしたことか。。

誰も求めていないのに消えない強迫観念

世の中には
「ショートスリーパー」とか「速読」とか「時間術」とか
「できるビジネスマンは早起き」とか「休日の充実が活力の源」
みたいなのがたくさんありますよね。

「限りある時間を効率よく有益に使ってます」
「それができないからダメなんだ」
みたいな

でもそれはその人の話で、
学問やビジネスの世界で成功している人でも
長時間寝る人もいるし、本を読むのが遅い人もいることも知っている。

速読と熟読は別物で、それぞれ違った良さがあることも知っている。

知っている、自分はそうではないということも知っている。
けれど、
「それができたらいいな」
「できていない自分はサボっている」
と思ってしまう。

コンサルからベンチャーに転職しました。
そこはとてもホワイトでした。
それでも脅迫観念は消えない。

インドまで行ってやっと消えた脅迫観念

自己紹介記事ヨガインストラクターなった記事シリーズでも軽く書きましたが、
金融ベンチャーを退職して、インドへヨガ修行に行きました。

最初の1か月は合宿プログラムに参加し、後の約2か月は街のゲストハウスに宿泊し、街にたくさんあるヨガスタジオに通うという生活をしていました。

そんな中でも、自分の本性が出てきます。
毎日みっちりヨガスタジオに通うのかと思いきや、1日ベッドでゴロゴロする日もある。
(気温が40℃を超えて45℃の日もあったりしたというのもありますが。インド人が昼間全然働かずにサボっているのも納得)

そして例のやつが出ます。
「あー、今日何もしていない。ヨガ修行をしに来たのにヨガをしない日があるなんて。1日を無駄にしてしまった。」

しかし、ここからヨガ修行の成果。

「なんで自分はこんなにネガティブな感情になってしまうのだろうか?」

いきなり哲学的な話になりますが、
「1日中ゴロゴロする」
に良い悪いも善も悪ありません。
「ゴロゴロした」という事象があるだけで、それに良い悪いの評価をつけているのは自分です。

もしも、高熱が出ているとしたら1日中ゴロゴロしていることは良く評価されるはずです。

私はなぜゴロゴロすることに悪い評価をしてしまうのか?

誰かに「ヨガ修行をしろ」と言われているわけでもない。
仕事も辞めて家も引き払っているので早く日本に帰る必要もない。
インドでの生活費は1日1,000円かからないくらい。お金の問題もない。

誰も私に「何かしろ」「ゴロゴロするな」なんて言っていません。
うるさい先生も監督も上司もいません。
(親は「しっかりしてくれ」と思っているかもしれませんが。。)

「いや、ゴロゴロするって最高やん」

そこで、悪い評価をするのではなく、良い評価をするように「1日中ゴロゴロする」という事象をとらえなおしてみます。

ヨガをせずゴロゴロしていた1日はこんな感じです。
・朝好きな時間に起きる
・お腹が減ったらご飯を食べに行く
 ・ご飯は街で知り合ったヨガ仲間と一緒に
 ・ご飯は安いしおいしい
・ご飯を食べ終わってもそのままお店でチル
 ・おしゃべりしたり、本を読んだり、昼寝したり
・夕方になったら「じゃあまた明日ね」と解散

「えっ、最高の1日やん!」
フラットに振り返ってみると、なんでそんなにネガティブに捕えてしまっていたのかわからないくらい最高な1日でした。

会社員の時もおそらく同じです。
夕方までベッドでゴロゴロできるって最高。

「いや、会社員のときとインドのときとは違うでしょ」
と思ってしまうのは、
「仕事ではやらないといけないことがある」
「やらないといけない責任がある」
「周りに迷惑をかけられない」
なんて思ってしまうからでしょうか?

でも、「ゴロゴロした」という事象があったことは同じ。
そして、評価は基本的に事象があった後に行うものです。
仕事をしていようが、ニートヨガ修行者であろうが。

ポジティブに捕えることを心掛ける

10年くらい、自分の行動にネガティブな評価をし続けて思うことは、
「ネガティブな評価をしてもいいことはない」
自己肯定感が永遠に下がり続けるだけです。

ゴロゴロした後に
「あー気持ちよかった。最高な時間でした!」
と思うのか、
「あー、寝すぎた。やることたくさんあったのに何もしてない。おわった。。」
と思うのか。

どちらがその次の行動が良いものになるでしょうか?

まぁ、それも人それぞれだとは思いますが、
私は前者を選ぶことにしました。

「誰にも何も言われてもいないのに、自らネガティブになっていく」

。。。。何のため?不幸になることを目指しているの?

不幸より幸せになることを私は選ぼうと思いました。

ニートの自己肯定感アップ術でした~

「仕事から逃げたニートが都合のいい理論を作りやがって」
って感じかもしれません。

これはニートには必須の技術な気がします。
というか、ニートになると身につける技術?

実際この捉え方のおかげで何もしていないような日々を、有難いことに溢れた日々として生活できています。少なくとも昔よりは。

「そもそも、ネガティブに考えたこともない」って方も多いかもしれません。

ただ、私はネガティブに捕えてしまう人間で、今は
「起こった(起こした)出来事をポジティブに捕える」
ということをやってみています。

いつもできるわけではありません。
直ぐにできるわけではありません。
日々修行です。

良いなと思ってくださった方。試しに一緒にやってみましょう!
たまには1日中ゴロゴロする最高な1日を過ごしましょ!


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