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人生は全て、自分の選択

望んで進学し、就職し、結婚して、出産した。全て自分の決断。だけど、今、望んだ日々を送れていない気がしてならないのはなぜだろう。こんなはずじゃなかった。でも、全てそれは私の選択、という話。


自由を得るための選択

大学に進学する時、地元の大学には目もくれず、一人暮らしができる遠方の大学を志望した私。同じ高校の友人の多くが、地元以外の遠方の大学を志望していた影響もあるが、私は自分で行動の全てを決める自由が欲しかった。高校生になり、かなり自由度のある毎日で楽しかったが、今振り返ると、親の価値観に縛られている感覚が無意識にあったからだと思う。

念願叶い、大学進学と共に上京。自由を手に入れた喜びでいっぱいだったが、一方で、全てを自分で決める難しさ、自己を律する難しさにも直面した。社会人になり更に、自己責任とは何か、自分のアイデンティティが何かを考え、理解していった時期。

職業の選択

仕事は何でもよかった。大学院を出たが、大学で学んだことがそのまま通用る仕事はないと思っていたし、専門分野の延長にある職に就くことにこだわってもいなかった。結果的に、全く興味関心がないのに内定をいただいた企業に就職した。

最初は上司が怖くて、コミュニケーションに苦労した。上司とのコミュニケーションについて、社会人の大先輩である父によく相談した。企業人として一定の地位にいた父に、上司の視点で見えていることを沢山教えてもらい、会社組織で生きる術を自分なりに確立していった。怖かった上司とも、何でも言い合える関係性を築くことができ、人間関係に恵まれ、辛いこともあったが支えられながら、気がつけば20年近く勤務した。大学時代の友人たちからは、働き過ぎと言われたこともあるが、残業や休日出勤は、嫌ではなかった。本当に人間関係には恵まれていたので、チームで仕事をする楽しさしかなかった。

結婚の選択

結婚は、いつかしたいと思っていた。30歳を目前に、親友は次々と結婚したが、不思議なくらい、それを羨ましいとは思わず、自分事として考えることもなかった。心配した母に勧められ、数回お見合いをしたが、今の生活が充実していて楽しかったからか、結婚に興味を持てなかった。

セクハラだと捉える人もいるかもしれないが、会社でも上司たちに、いつ結婚するんだとか、恋愛しろよとか、面白おかしくネタとして色々言われたが、私は私の適齢期が来たら結婚しますと笑って返し、嫌な気分になったことは一度もない。

充実した日々に満足していたが、結婚を意識するタイミングが訪れた。世間一般的には晩婚でも、これが私のタイミングだった。

結婚とは、自分とは育った環境が違う人との生活が始まること。もちろん共感できることも沢山あるし、話が合うのも大事だが、些細な、常識と思うことが違ったりもする。お互いを思いやる気持ちで、そういう「違い」を理解し認め合うトレーニング要素もある。

私の場合はと限定するが、結婚当初はかなり無理をした。仕事は今まで通りのペースだったが、生活のリズムが自分の理想的な形ではなくなった。誰かと一緒に生活するって、こういうこと。当然なのだが、一人暮らしの期間が約20年の私には、完全に自分のリズムが出来上がっており、それが乱れることに耐性がなくなっていた。次第に耐性は戻ってきたが、一人暮らし期間が長過ぎた(笑)

出産、親になる選択

出産は、私の人生の転機。これは間違いない。価値観や信念、常識といったものがひっくり返る経験で、今も継続中。悪い意味でのショックもストレスも驚きも沢山あり、良い意味では無意識で見ないようにしていた自分の姿に目を向けるチャンスであり、ステージを上げるステップだと思っている。

誰にも教わらず、学ぶことがなかった「育児」という教科は、学生時代に学んできたどの教科よりも難しい。教科書は、目の前にいる我が子だが、その教科書は言葉というツールを使わない。愛情が根底にあっての、観察と試行錯誤の繰り返し、経験学習である。学校教育とか、社員教育だとか、人材育成とか言っているが、それらと大きく異なるのは、個別対応でしかない点と、絶対的成功が定量、定性で評価できない点だと思う。

「わたしである」選択

冒頭に、今、望んだ日々を送れていないと書いたのは、やりたいと思っていることに、没頭できていないから。妻として、母親として、役割を担う時間が私にとって長過ぎて、役割なしでの「わたし」である時間が圧倒的に足りない気がする。

「わたし」である、ってどういうことか。

言葉を選ばずに表すと「究極にわがままな状態」。

誰かのために行動するのも素晴らしいことだが、自分のために行動することもあって良い。大人になり、社会的な役割が増えるにつれ、自分のための行動が減るのはやむを得ないという考えもあるだろう。役割を全うする行動の中に、自分のための行動が含まれることだってあるし、逆も然り。ただ、これは自分のための、自分の魂が喜ぶ行動だと意識できる方が、人生はより豊かになると思う。そして、そうした方が良い時代になってきている感じがする。

さて、これからの人生、何を選んで歩もうか。

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