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思い出のアメリカン・フード (1:ベリー類)

第1章 ベリー類:ハックルベリーとマリオンベリー

 アメリカの食についてひとつ特徴を挙げるとすれば、野性味あふれる食材とスーパーマーケットに並ぶ大量の加工食品の間のギャップがある。北米大陸の自然の恵みそのままの食材や、人の手による選別や改良を経ても素朴さを残した食材の数々がある一方で、添加物のリストが何行にもわたって箱に印刷され、元の食材の原型も風味もとどめていない、高度に加工された食品が、大型スーパーの延々と続く棚を埋めている。人類の食の両極に位置するかのような両者はおそらく、裏表の関係にある。片方はアメリカの風土、時に人が生活を営むには厳しすぎるほどの自然と向かい合い、取っ組み合って得られる食材。もう片方は、広大な土地に散らばる人々のもとへ届けるため、長距離輸送や長期の保存に耐える必要から生まれたもの。それらの加工食品からは北米の自然の持つ荒々しさはぬぐい去られ、人々に文明という安心感を与えてくれるものとなっている。

 北米の自然から得られる食材としてまず思い浮かぶのは、ベリー類だ。それも、いわゆるイチゴ(ストロベリー)ではなくて、木いちごの類―具体的には、ラズベリー、ブルーベリー、ブラックベリー、それに後述するハックルベリー。アメリカで流通しているイチゴは輸送に耐えることを優先して作られているため、日本的基準からすると著しく固い。大げさではなく、食べるとばりばりと音がする。そのイチゴの一大産地はカリフォルニア州だ。1991年公開の映画『ストロベリー・ロード』(石川好の同名ノンフィクションを原作とする)には、1960年代に日本からカリフォルニアに移民として渡った少年がイチゴ畑で働く様子が描かれているが、広大な畑のスケールは日本で思い浮かべる可愛らしいイチゴのイメージとは全く重ならない。苗の並んだ畝の列は、まるで飛行場の滑走路のように地平線へと伸びている。
 アメリカの食材としてのベリー類の印象が強いのは、わたしが小学三年生から六年生までを過ごしたワシントン州沿岸地方で、初めてラズベリー、ブルーベリー、ブラックベリーの三種に出会ったためである。ラズベリーとブラックベリーは、この地域に自生している。カリフォルニアから見れば北側に隣接するオレゴン州の、そのまた北にあるワシントン州太平洋沿岸の冷涼・湿潤な気候を、木いちご類は好むようだ。茎にびっしりととげがあって、丈夫で繁殖力が強い。北海道の野山に植えたなら、たちまちそこら中にはびこるのではないかと思う。
 日本でもブルーベリーは岩手県産や北海道産の生の果実が売られているのを目にするようになったが、ラズベリーとブラックベリーは珍しい。四十年前のアメリカでフレッシュなラズベリーを出された時の当惑は今でも覚えている。しっかり中身の詰まった感触のするイチゴとは異なり、触れるとふわふわと頼りなく、実の表面に細い毛が生えているのが指の腹に感じられた。酸味の強さも独特の風味も、細かい種が舌に触れることも長い間苦手だった。ラズベリーはスーパーでも売っているのだが、その辺の藪に茂っているトゲトゲの木になるものでもあった。
 ブラックベリーに関しては当時、生食した記憶がない。そのため、ラズベリーに比べると身近ではなかった印象がある。改めてブラックベリーに出会ったのは、一昨年の夏に北米を訪れた際のことである。しかし、その話をする前に、まずハックルベリーについて触れなくてはならない。

 2017年8月の上旬、NPR(National Public Radio、アメリカの公共ラジオ局)のウェブサイトに、ハックルベリーに関する記事が載った。ハックルベリーはブルーベリーを小さくしたような外見で、より酸味が強く、果汁に富む。ワシントン州やオレゴン州などの北西部で、8月から9月までの短い季節にのみ得られるもので、古くからネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民族)の人々が食糧としてきたという。商品作物として育てる試みは百年以上も前から行われているが、野生と同じ風味を持つものを生産することには成功していない。
 記事を読んで、がぜん興味が湧いてきた。ハックルベリーは名前だけは知っていたが、それがどのようなものかという知識を得たのはこの時が初めてだった。同月下旬にはオレゴンに旅する予定になっている。何とかハックルベリーを味わってみたい。
 この夏の家族旅行では、古い友人のいるカナダのバンクーバーにまず飛び、その後、オレゴン州へ移動する予定になっていた。アメリカの小学校で同級生だった友人は、カナダの人と家庭を持っている。約四十年もの間、細く長く付き合いを続けてきた彼女は、新鮮なブラックベリーをガラスボウルにいっぱい盛って出してくれた。それを見て、懐かしさが込み上げた。
「日本では、生のブラックベリーは手に入らないのよ」
「じゃあ、たくさん食べて!(Eat, eat, eat!)今年は当たり年だったのよ」
 翌朝、残ったブラックベリーが流し台のディスポーザーに捨てられていた。まだつやつやと輝いている黒い実を見て、もっと遠慮なく食べておけばよかった、とベリーに申し訳ない気持ちになった。躊躇なく捨てられるくらい、当地ではふんだんに出回っているということなのだ。友人が犬を散歩させるのに付いて行き、近隣の林を歩くと、そこここに野生のブラックベリーが実をつけていた。
 オレゴンでは州都のセーラムに滞在した。この地域はさくらんぼの産地であるとともに、ワインの生産地としても知られている。ショッピングモールでオレゴンの特産品を集めた店の中を見て回ると、さくらんぼの加工品やワインと並んで、ベリー類の加工品もたくさん並んでいた。さっそくハックルベリーの瓶詰を確保する。土産用にその他の菓子やジャムを物色していると、中にマリオンベリー(marionberry) という初めて見るベリーの名前があった。その時は深く考えることもせずにジャムの小瓶を買い、実家への土産とした。
 マリオンベリーとは何なのかを調べたのは、日本に戻り、東京の実家に土産物を送った後のことである。ブラックベリーの一種なのだが、オレゴン特産の栽培品種であり、その香りの高さから「ブラックベリーのカベルネ・ソーヴィニヨン」と呼ばれているという。有名なワイン用ブドウに例えられるようなベリーとはどのようなものだろうか。たまたま秋に東京出張が入っていたので実家に泊まった際、母にジャムを食べた感想を聞いてみた。
「そんな、特に美味しいものでもなかったけど……。まだ冷蔵庫に入っているわよ」
 少し食べた形跡のあるマリオンベリーのジャム瓶を開け、パンにつけて食べてみた。味そのものは、日本の輸入食品店や大きなスーパーでも手に入るブラックベリーのジャムと大差なかったが、口に入れて一拍置いたのち、軽く酔うような芳醇さが感じられた。ほのかな香りではあったが、確かに一般的なブラックベリーとの違いはある。
 何とか日本でマリオンベリーやその加工品を手に入れられないかとインターネットで長時間の検索を行ったが、躊躇するような高い金額を払わない限り無理なようだった。しかし、その過程で、日本でもボイセンベリー(boysenberry)というまた別の木いちごを栽培・加工しているところがあるなど、新たに得られたベリー関連の情報もあった。
 自宅用に買ってきたハックルベリーの大瓶二つは、今年(2019年)の初夏にようやく消費し終えた。ハックルベリーは細かい種がたくさんあって、淡泊で、北海道特産のハスカップよりも優しい酸味のベリーだった。空瓶を洗いながら、そこに封じ込められていたオレゴンの水と空気がこぼれ落ちていくような気がした。
 マリオンベリーが栽培用に開発された品種であるように、今はわたしたちの口に入る多くのベリー類は作物として品種改良され、栽培され、流通するものとなっている。けれども、木いちごの仲間はいつも、北米北西部の豊かな森や夏の光と一緒に、自然の手のひらから直に受け渡される食物として自分の中にイメージされているのである。

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