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盛岡の「ニックナック」を知っていますか

 思いがけず、とても長くなった2020年の春休み、暇で仕方がない新小5の娘が親の本棚をあさって、読めそうなものを探していた。わたしはパソコンに向かって仕事をしていた。
「何、これ?」
 娘の声にそちらを見ると、古い高校国語の教科書を開いている。そこに細長い紙の栞が入っていた。
「ニックナックって、何?」
 時代がかったカラー写真を背景に、「盛岡ドミニカン修道院」「ニックナック」の文字。
「ああ、これは……」
 ものすごく昔の、思い出すこともなくなっていた友人に突然出会ったような感じがした。
 
 わたしは生後3歳まで岩手で育った。父は転勤が多く、盛岡は県内3か所目の赴任地だった。記憶にわずかに残る3歳当時、大好きだったのが、盛岡ドミニカン修道院で作られていたニックナックだった。ベルギーワッフルを小さくした形の、小麦粉と卵の味がする菓子で、しっかりと固めに焼いてあった。大きくなってから母に聞いたところでは、「悪いものが何も入っていないから」幼いわたしに与えていたそうだ。盛岡を離れてからも、時々思い出してはまた食べたいと思っていた。
 東京・アメリカ・北海道と転居を重ねて、盛岡に戻ってきたのは高校三年生の夏だ。それももう30年以上前のことなので、細かいことは憶えていないのだけど、あのお菓子を買って欲しいと母に頼んだのだろう。十数年を経て再会したニックナックが貴重に感じられて、この栞を教科書に挟んでおいたのだと思う。
 大学進学のため翌年には東京へ移ったので、自分自身の拠点が盛岡にあったのは一年に満たない。けれども、それから数年は家族が盛岡にいて、帰省するたびに盛岡や岩手のいろいろを楽しんだ。その間にまたニックナックを買ったこともあったかもしれないが、家族全員が東京に引っ越してくると、新しい日常の中に盛岡とのつながりは少なくなっていった。
 現在の生活の中で、盛岡に暮らしたことの名残は年に一回送られてくる高校の同窓会通信と同窓会費の振込用紙、当時のクラスメートで一人だけ付き合いの続いている友人との連絡ぐらいだ。担任だった英語の先生との年賀状のやり取りも、少し前に途絶えてしまった。

 娘の発見によってニックナックが記憶の底から引き出され、今も手に入るものかどうか、がぜん調べてみる気になった。検索してみると、修道院での製造は2005年に終了したということだが、別の製造所で引き継がれているという。複数の種類が見つかるが、その一つを取り寄せてみたのがここに挙げた写真のものだ。箱に封入された説明によれば、ベルギー由来という。
 何せ前回食べたのが高校時代か、最新でも大学学部生の頃で、当時、ましてや3歳の頃とは味の感じ方が変わっている可能性がある。そのため、その限りにおいての感想なのだけど、食べた感じは昔のものと同じではない。もっとポックリした食感で、粉っぽかった記憶がある。形も、かつてのものはこんなに格子の数がなく、厚みがあった印象だ。
 しかし、娘は「これおいしい~♪」と言って食べている。普段、クッキー系のものを好まない娘なので、少し驚いた。昔の味をベースに、より時代の好みに合った作り方に変えているのかもしれない。

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 さらに調べると、盛岡市のふるさと納税の返礼品として「盛岡ドミニカン修道院 ガレット詰め合わせ」というものが出てきた。こちらは同じ格子柄の菓子でももっと格子が細かく、洋風せんべい状に薄く焼いたもので、地元百貨店のオリジナル商品という位置づけになっている。ベルギーワッフルといい、ベルギーには格子柄のお菓子がいろいろあるようだ。

 人の味覚の基本的な好みは3歳頃までに決まる、という話を読んだことがある。その真偽はとりあえずおくとして、自分がずっと格子の形のお菓子やワッフルに引き付けられ、粉と卵の味のするものを好んできたことの根っこには、ニックナックがあるのかもしれない。

 東京、アメリカ、北海道にはそれぞれ長く暮らし、そこでは良いことも悪いこともあった。生活の場所とはそういうものだろう。でも、短期間しか住まなかった盛岡に嫌な思い出はない。記憶の中の盛岡は、青春映画の風景のようだ。
 北海道では見たこともなかったほどたくさんの自転車が、きらきらする光の中を駆け抜けていく毎朝の風景。北上川にそよぐ柳、瑞々しく鮮やかな河畔の緑。いつも洗いたてのような空の青。雪に輝く岩手山の、街中から見えるその雄大さ。
 
 ニックナックの栞を発掘した娘は、親の本棚から今度は、岩手日報社が出した宮澤賢治の伝記漫画を出してきて読んでいる。いつか一緒に岩手へ行くことができたならと考えると、『注文の多い料理店』を出版した盛岡・光原社の喫茶店や、花巻の賢治記念館、小岩井農場、と再訪したい数々の場所へ思いは飛ぶ。そのすべてが、記憶の中では澄んだ光と空気をまとっている。
札幌でしか暮らしたことのない娘と、「不来方のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五の心」と石川啄木がうたった盛岡城址で、ニックナックを食べる日が遠からず来ることを今は夢想している。
 

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