見出し画像

「なぜ、カフェだと隣の人のキータッチ音はやたらにうるさいのか」を哲学する


今日中にやっつけてしまいたいデスクワークがある。腰を据えて集中して取り組みたい。そのために私は今カフェにいる。

店内は店主が一人。席は全部を上手に使ってもせいぜい10名が着席できればいいところだが、人気店故、常に舞い込む客の対応に店主は忙しい。コーヒー豆を挽く音やよく分からないけれどしゅわわわ!!!という機関車トーマスもびっくりな音は常にキッチンから鳴り響いている。
音楽は私の知らないオシャレ日本語ミュージックが、BGMというには大きいレベルで流れている。リズムを刻んだり、刻まなかったりしている。人の声で聴かせる時もある。ちゃんと聴かさせられて(かまいたちのコントか)しまうくらいの音量である。ああきっとこの歌い手は誰かに媚びる事なく自分の気持ちをミュージックに乗せて生きているんだなあと伝わる歌唱だ。
向かいには老夫婦が穏やかに話をしている。庭の話だ。土と、花と、野菜の話をしている。多分夫(と思われる)の方が耳が遠いのか、私の元にもしっかり話の内容が届いてくる。全会話を文字起こしできるくらいだ。しかしなんとも優しい語りで心が和む。


ところがである。

それらを全て乗り越えて、隣のおじさんのキータッチ音が私の耳に捻じり飛んでくる。時にマウス音もぶっこんでくる。まじでなんなんだ。どうして私はおじさんのキータッチ音にここまで心を持っていかれてしまうんだ。しかもマイナスの方向に。西野カナばりにふるえる。もしかして隣のおじさんは親の仇なの?(親は健在だけど)私にだけ感じる周波数でも飛ばしてんのか?(モスキート音もほぼほぼ聞こえなくなってるけど)あ、恋?恋なの?(恋ってこんな腹立たしいものだったか?)

オブラートに包まずにちゃんと言えば、うざい。お前のマウスを口の中に(なるほどマウストゥマウス)、ヒトキワでかい音を立てるエンターキーはラップトップからもいでその目に、諸々突っ込んでやろうかとすらうっすら思う。どうしてこんなに私の心を毛羽立たせるのか。(そして私の集中力を全部持っていっているくせに、どうしてお前はそんなに集中してデスクワークに勤しめるのか。ずるすぎるだろ)

私がコントロールできない音だからだろうか。
でもそうだとすると、老夫婦の会話も、急なしゅわわわ!!な爆音も同じでコントロールはできない。BGMだって音楽も音量も選択できない。でも全く不快じゃない。むしろ心地よい。逆に大人が集まって、オフィスでもないのに誰も喋らず無音だったらそれはそれでドギマギしてしまう。毎回カフェにくるたびにBGMを選択「しなくては」ならなかったら、それはそれで苦痛だし、なんでもいいから適当に流しちゃってよアイムノットDJと思う。だから、コントロールできるかできないかの問題ではないようだ。

では私が正義をかざしているからだろうか。
それは結構あるかもしれない。私だったらカフェにまずマウスもっていかない。うるさいし。(ちなみに今この瞬間私の隣では怒涛のダブルクリック連射、何をそんなに人差し指を酷使することがあるのか、CIAでもない限り発動しないレベルの横目でみてみたけれど連打の理由は不明)
キーボードを打つにせよ、私は指の全関節を伸ばした状態でできるだけ音を立てないようにして叩いている(叩くという動詞はふさわしくない、むしろ撫でるレベル)。私の更に隣の人からしたら、おや?バッタが草むらでダンスでも?と訝る程度の音量だ。そういうタイプの私なので、私だったら絶対憚るであろうことをこいつは全てやり遂げておる!なんて失敬な奴!と、自分レベルの正義が私の心を突き動かすのだろう。結局私の心を毛羽立てているのは、おじさんのキータッチ音ではなく、私の価値観にすぎないのである。分かっちゃいるんだけどな。

きっとオフィスに行けば、もっと派手にキーボードの音を立てている人は多いだろう。マックとインテルとHPとデルあたりでもうオーケストラだ。でも全然腹立たない。むしろ率先して私も楽団員に加わるはずだ。叩けば叩くほど、私仕事できますけど何か?感が醸し出せるからね。私には「キーボードの音を出していい場所とダメな場所があるだろ場所をわきまえろよ的正義感」なるものも存在しているらしい。その場所の線引きは一体どこにあるのだろう。社食堂的なところは?コワーキングスペースだと?電車は?自分でもどんな反応がでるか分からない。ただ、きっと身内の中ならいいだろうという線引きがあり、そしてまた身内って何?という問いも生まれそうだけど、まあとにかく場所わきまえろよ正義感はきっとありそうだ。

ちなみにもうちょっと私の心を覗いてしまうと、「羨ましい」という感情も見えてくる。一心不乱に仕事か何かに没頭し、キータッチ音だろうがマウス音だろうが気にせず邁進していることが、羨ましい。先述したが、これが私にとってずるすぎるだろ!という感覚になるのだろう。(ずるいってなんだろう?)

一生懸命過ぎて他のことに気が回らない、ということが私にはあまりないからか、そういう性質がとかく眩しい。眩しくて妬ましくて、でも自分には不要だし欲しがったところで私にはそぐわない性質だと分かっているからこそ余計。まあ、隣のおじさんについて言えば本当のところ何一つわからない。一心不乱でもなんでもなくて、ただただキータッチ音が鳴り響く事にコーフンを覚えているだけかもしれない。結局のところ、勝手に隣のおじさんに「一心不乱に夢と仕事に打ち込むおじさん像」を被せた上、更に勝手に「シングルタスクに打ち込めるなんて羨ましいわ~」などという謎の因縁をふっかけているだけである。心の中で。心配を通り越して、滑稽である、自分が。嫌いじゃないけどね。

私の脳内では小一時間において考察と内省と脱力が目まぐるしい勢いで駆け抜けていって、多分1000キロカロリーくらい消費したけど、はたからみたら、ただ小一時間カフェでアイスコーヒー飲んでるだけの人である。世界は何一つ変わっていない。けれど、私にとって世界は確実にまた色めいたのだ。そして隣のおじさんが与えた試練は穏やかに消化を終えて、結局私はおじさんの口にマウスを突っ込むこともなく、テンキーをメリケンサックで潰すこともなく、つつがない平和な昼下がりを満喫できたのであった。

なんて悶々しているうちに、隣のおじさんのタスク終了。もう気持ちいいくらいにさっとラップトップを閉まって、トレンディドラマくらいの爽やかな「ご馳走さま!」を捨て台詞に、真夏の街に消えていったよ。え~もう一人勝ちやん。何に対しての勝ち負けかもわかんないけど、お陰様で超集中して、これが書けたからよしとするか。まあ今日中にやっつけなきゃいけないことは1文字も進んでないのだけれどね。

よろしければサポートをお願いいたします! ヴェーダーンタというヨーガの学びを通して、たくさんの方に知恵を還元できるよう使わせて頂きます。