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コロナ禍の創作、素朴な疑問

小説なり、映画なり、ドラマなり。
フィクションの物語であっても、歴史は現実とリンクすることがある。

2020年以降、現実では世界がコロナ禍に苛まれれた。
この時代を舞台に物語を作る場合、フィクションの中でもコロナ禍を反映するのか、あるいはコロナ禍なんてなかったことにするのか。
という選択について一人であれこれ考えてみた話。




長らく小説を書いていなかったのだけれど、先日、久々に小説を書こうという気になった。

それで、ストーリーを作っていく中でふと思った疑問が、「コロナ禍ってどう扱えばいいんだろう」というもの。


私が今考えているお話は、現代日本を舞台とするもの。
世界設定自体にオリジナル要素を足すつもりはあまりなく、現実と同じ現在の世界でキャラクターたちを動かしたい。

だけどその現実では、2022年も暮れようとする現在でも、街を行き交う人々の多くはマスク顔だ。
パンデミックというイレギュラーの影響は今も色濃い。


本当に現在の日本という舞台を忠実に描くなら、コロナ禍を小説内でも描く、ということになってしまうのだけど……

いやいや、まさかそんな。
ストーリーの核心には関与しないのにコロナ禍っていう巨大な設定があるの、はっきり言ってめちゃくちゃ邪魔。
それに、世界設定にコロナ禍という背景があると、キャラクターたちの行動も大きく制限を受ける。
さすがにコロナ禍をフィクションでも反映するにはデメリットが大きすぎる。

かといって、コロナ禍をなかったことにして2022年を描いても、それは現実ではない。
読み手が順応するまで「あれ、コロナ禍ってどうなったのかな」なんてどこかで気にしてしまうかもしれない…… 考えすぎか。



ひとつ、私が考えるのは、「現実味のないことが起きたことにする」という作り話は比較的簡単でも、「実際に起きた印象的な事件・事故が起きていなかったとする」という作り話は、結構難しいんじゃないか、ということ。


2020年、南海トラフ巨大地震が発生した。
2025年、太陽フレアの影響で史上最悪の通信障害が発生した。
2030年、第三次世界大戦が勃発した

そういう、フィクションを描くことはできる。
過去のことでも未来のことでも、現実味の薄い出来事を世界設定に書き加えたところで、物語としては「あ、そういう設定なのね」と、フィクションとしてあっさり受け入れられる。


だけど、その逆はたぶんそうもいかない。
「コロナ禍は起きていない世界軸です」だなんてご丁寧な説明、劇中に書けるわけがないし。
名言はせずに、「基本は現実と同じ現在だけど、コロナ禍にはなってないよ」ということを伝えることになる。
難しそう。



一応、世界設定を2019以前とかにすればコロナ禍あるない問題は回避できる。
しかし、発行年月が読み手に知られると、「なぜわざわざ(執筆時から見て)過去の世界なのか。深い意味があるのでは?」と勘繰らせてしまうかもしれない。
「コロナ禍と被るの回避するためかな?」って、真意を突き止められたとしても、その時点ですっごくメタ的な考え方になっていて、フィクションに入り込む体験を妨害し兼ねない。

年を明らかにしない、という方法もある。
なんならこれがたぶん一番楽。
だけど、描こうとしている物語によっては、どうしても具体的な年号を明記しなければならない場合もある。
それこそ、私が今まさに書こうとしている小説がそう。


コロナ禍以降に出版された、あるいはこれから出版される、プロの小説家による作品をたくさん読めば答えは出るのかもしれない。
要は、私のインプットが足りない。

ただ、現在を舞台に描かれるシナリオでは、コロナ禍をなかったことにしてしまうのが定石にように思える。
そもそも、コロナ禍だとしたら物語が成立しないような場合が多いはず。

ただ、なかったことにしちゃう選択にも、懸念はある。
今後、直系の続編や同じ世界設定での作品を書こうと思った場合、「コロナ禍のあるなし」も引き継ぐことになる。
後戻りができない(できるかもしれないけど)。

とはいえ、「コロナ禍を描くか、なかったことにするか決められない」という躓きで作品作りが滞ってしまうことが一番もったいないと思う。


どうせ、誰かに読んでもらう予定なんてないし。


とりあえず、なかったことにして書いちゃおう。

自己完結した。



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