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アーティスト・ファースト論の帰着先──若手作家消費問題に寄せて


2022年3月17日 

2014年当初、私はクラシカルなギャラリーの構造的な欠陥を改革しようと試みた。作品の価値が上がらない、作家の行動が規制される、など普遍的な事項は勿論、多くのギャラリー欄にある墓石のように綴られた作家の名前は光の差し込まない独房のような場所を連想させるものであったし、当時唯一目に映っていた美術関係者による投稿や知人の若手作家からの情報は、若手作家は美術の市場に介入の余地がない状況であったことを明確に訴えていた。

「若者の尊厳を守り、金を持っていても意味のない大人達から奪って還元しよう。」

私は資本を持っていても何も意味を成さない物象化された環境に身をもって反発をしていたし、ルサンチマンな思想を基にTAV GALLERYを始めたのは確かである。当時は21歳、同世代が同世代の作家たちの尊厳を守りたいとし、自分らの所得を増やそうとしていたことに対しては、誰からも咎められるつもりはない。マイノリティな活動にフォーカスを当て、多くの若手作家の立場を作り、自由を促進させ活動機会を促進させていく、それはヒロイズムであったし、日本は常に若者がマイノリティであって、肩身を狭めている事実がある。壺型(人口比)の飽和社会、この近代社会が作り上げた欺瞞に満ちたシステムの中に、私たちは閉じ込められているのではないか──今も尚こうした危機感の中に常に私は立っている。

早8年が経った。保護主義に舵を切ったポピュリズム、コロナウイルスの到来によって、中国にコンテナが溜まりインターナショナルに活動しようとも、人の移動は制限され物すら運ぶことが困難となった。2022年現在、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、目に見える戦争まで始まってしまった。今回の論考はマクロの問題を、ミクロな美術シーンの問題に結びつけるものではないにせよ、小さな問題から大きな問題への紐解きを行うエッセイである。奇しくも今の自分にはこの消費社会のスピードと、歴史の逆転的な状況を前に、落ち着いて、丁寧に文章としての正しさを追求する余裕はなく、身の回りの運動から、その集合意識が生み出す未来に対しての警鐘を鳴らし、拙い言葉で問題点を弄りたいとしている。胸のうちは、私は今、自分がやってしまったことに責任を取らなければならないのではないか、といった情動に駆られている。TAVは多くの優れた美術作家を輩出したと同時に、ある種のヘゲモニーを既に保持しており(今、競合他社はTAVを何かの隠語として扱う※彼ら彼女らは決まってTAVはいいギャラリーであると言う)、多くの人材や尊厳を搾取され続けてきた事実がある。TAVはイノベーションであったのか、業界の、またはアーティストのご都合主義を加速させたのか、反復的に検証をしつつ社会的潮流への対抗文化の一つとしてこの文章を残したい。

アーティスト・ファーストは「西洋圏」に存在しない

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