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『僕たちのフィルダースチョイス』レビュー ー情炎のホットビールー

はじめに

山本英晶といいます。
36歳の、普通のおじさんです。
『僕たちのフィルダースチョイス』という小説、ご存じですか。
これから僕は、その小説の、レ、レビューを書きます。
レビューて。自分で言うのめちゃくちゃはずかしい。
あの、書評的なこと、です。

この小説は、無料で読めます(2/2 19:00時点)。
         \ えぇーっ /
怪しいサイトへの誘導もありません。
あ、著者の前田将多さん(以下、前田さん)から、おねだりはされます。

誰に依頼されるでもなくやることは、だいたいロクなもんになりません。
でも、レビューを書き始めずにいれらませんでした。
であるならそれはそれでよいものになる可能性がないとは言えない点について検討することを強く要請する方針を固めるための臨時会議を脳内において開催し委員の意見を踏まえ事実上承認された形と解釈しました。

僕は、ずばんと一人では立っていられません。
生まれたての小鹿顔負けのふらふらです。
小鹿の顔だちはかわいいのでとうぜん小鹿の勝ちです。小鹿 win。
僕の幸せな人生には、周りの人の幸せが欠かせません。
でも、僕にはそれを実現する力が、さっぱりありません。
すると誰かの力を借りざるを得ません。
あますたあません
他力本願の他力は仏様のことだと、法事でお坊さんが言ってました。
だからなんだったかは、ちょっと忘れました。とにかく。
『僕たちのフィルダースチョイス』のお力を拝借したいと思ったのです。
あぁ神様、仏様、前田様。

前田さんの電通時代の先輩にあたる田中泰延 ひろのぶさん(以下、田中さん)は、以前こんなツイートをされていました。

"著者にはどんどん小説を書いてもらいたい。"
でも前田さんは、公開したこの小説をご自身で強く推すこともなく、ひょうひょうとされています。

僕は、田中さんの願いに力を込めて応えたのだと、勝手に思っています。
それくらいのものを、感じずにいられませんでした。
つまりは、ほっといても多くの人にどんどん読まれていくということです。
そうなるともう僕の本末は転倒です。レビューいらん。
生まれたての小鹿の方がまだ転倒しません。小鹿 win。
そう思えば、なおのこと気楽であります。
都合よく考えて、このレビューを書き出したいと思います。


『僕たちのフィルダースチョイス』レビュー

 この小説の著者である前田将多さんは、電通でコピーライティングをされていたのを辞めてひと夏カウボーイをして、今はレザーショップ「スナワチ」の店主さんをされている。すごい。

 商品に与えられたwebサイトの説明文を読むだけでも楽しく、購入するお金がないときでも冷やかしで訪れたりするすみませんまたなんか買います。
 そんな前田将多さんが、西勇輝投手の牽制球くらい前触れなくnoteに長編小説を載せた。タイトルは『僕たちのフィルダースチョイス』。野球を知る人は「こりゃシブいとこを」と感じるだろう。前田将多さんは時折メジャーリーグに関するツイートをされたりはしていたが、

さほど熱狂的とか野球少年という印象がなく、すこし意外だった。
(試しにツイートをさかのぼってみた。あながち間違いではないようだ)

なんにせよ、グラウンドに鳴り響く何かの破裂音に思わずよそ見したら監督の怒りのライナーノックボールを腹に突き刺された程度の学童野球経験のある僕は、得した気分で読み始めた。監督、あの激痛、まだ忘れられません。

「フィルダースチョイス」とは、フェアゴロを扱った野手が一塁で打者走者をアウトにする代わりに、先行走者をアウトにしようと他の塁へ送球する行為をいう。

(公認野球規則2・28より)

 小説は、タイトルで使用された野球用語の解説から始まる。本編でもややこしめのルールがたくさん出てきて毎回解説してたら大変なことだが、そんなことはなかった。安心してほしい。文中の野球シーンは、何がどうなったのかが分かるよう平易に書いてある。ライナーが腹を直撃するシーンもない。安心してほしい。
 田辺純(ジュン)、宇賀神鋭介(マガジン)、権藤忠生(ゴンドーフ)、藤原実之(クゲ)という、高校卒業から20年を過ぎた高校野球部の同級生たち。令和元年というコロナ禍到来前の大阪を舞台に、彼らの何気ない酒盛りからこのお話は始まる。彼らの会話は、とても小気味よい。あえて読みやすくしてある関西弁の助けを受けて、テンポよく読んでいける。全体を通して視点は俯瞰的だが、自然と田辺の視点から読んでいける形になっており、程よく世界に入り込める。
 お話は、田辺の経営する補習塾に通う高橋塁という10才の少年ために他の3人に特別授業を依頼することで、1/17の最後からいきなり動き出す。塁は周りとうまくやっていけない、いわゆる「ちょっと問題がある子」だ。おじさん4人の会話には「ちょっと問題がある子」の例として「ウソにウソを重ねよる」異常なウソつきの話も出てくる。かくいう僕はまさにその異常なウソつきであった。監督のあのライナーアタックもそんな僕に思うところがあったのか。今となっては、監督の鬼の形相と腹の痛みしか分からない。

 3人のおじさんたちの講義は、どれも素晴らしい。大のおとなが、若者のために分からないなりに全力で挑む。そこにある塁への願いや思いが心を打つ。物語の中には、各々のおじさんが抱える暮らしの苦悩が併せて描かれる。それが彼らの行動や言葉を裏支えすることで、世の熱血教育モノが抱えがちなパターナリズムやクサさを感じさせない。
 物語の途中、おじさん4人と塁がファミリーレストランで食事をするシーンがある。ハンバーグという変哲のない料理を発端に、おじさん4人がやんやとややこしい話をし始める。4人のおじさんたちの言葉に「あぁそれでいいんだな」とホッとする。塁と同じように悩み迷う幼い自分が、年を重ねた自分とともに心の中にいると気づく。たぶんウソつきだ。6/17の最後の一文は、塁に「△」のことが伝わった一つの現れなのではと、勝手にうるりとした。このレストランで、塁はずっと少年用グラブを抱えている。最初の講義で宇賀神がプレゼントしたものだ。思い出とともに手に入れたものを心底大切に想う記憶を、温かみとともに蘇らせてくれる。僕は蘇りました。父からもらった黒のローリングスのグラブでした。これウソじゃないです。

 関口大樹、高橋早希子、そして中田一馬。彼ら彼女らは「人間の抱える如何ともし難さ」を、塁やおじさん4人に与える。望まずともマウンティングをかましてくるクラスメイト。魅力的な相手への届かぬ恋慕。思い知る自らの才能の限界。そして非業の死。なぜか我々には、まったく望んでもないものが次々にやってくる。ただ人として、生まれ暮らしているだけなのに。読み進むごとにそれをあらためて痛感し、払拭できない過去とどう向き合い、今とどう立ち向かえばいいのかと、想いを馳せることとなる。
 物語が佳境を迎えるにつれて、それらの想いはほどけていく。天変地異は起こらない。パラレルワールドにはふっとばない。あっとおどろく為五郎オススメの解決法もない。死者は蘇らない。だが時は経つ。人と人は関わり、話しあう。時間や想いを、共有する。その姿は優しく、あたたかかった。山口友介も、塁にとってそのきっかけとなる友人だ。田辺の視点から見えなかったところにも塁と友介の信頼があったのだろうと思うと、とてもぬくい。そして講師3人のうち最後に登壇する藤原の名講義は、これから多くの人の心を振るわせるだろう。その振るえによってほどけた読者の何かが、実世界で新たな物語を呼ぶと確信している。講義を終えたおじさんたちと、塁のように。
 前田将多さんはひょうひょうとしている、と先に書いた。だが著者は情熱の人でもある。「そんなんあかんにきまってるやろと」「おかしやないか」「そうせないかんのです」「ほんまにけったくそのわるい」「やっていく以外にないんですよ」直接お会いしたこともないのに、姿を想像するとそんな言葉が聞こえてくる。「僕たちは」シリーズの見すぎかもしれない。この小説は、前田将多さんが、情熱の炎で読者が燃え尽きぬようあたたかく作ってくださった、ホットビールのようなお話だと思う。このお話に多くの人が心をあたため、ホッと前を向けることを、僕は強く願っている。

あとがき

ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。
『僕たちのフィルダースチョイス』は、この冬に冷え切った心を、きっと芯からあたためてくれます。
アルコール分はありません。
お酒の弱い方も、20歳未満の方も、安心してお読みください。
なにとぞ、ぜひに。

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