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古着屋の生い立ち(番外編2)


どうも、えいすけです。

多分みんなが思ってる事をズバリ当てます。

みんな「だれ!?」

って言いたいですよね??

そうです、左は僕です。

で、この完成系になるまでの続きを
今から書いていこうと思います。



僕は母親に絶対高校は続かないと言われましたが
私立の高校に入学しました。

入学式にシンプルに茶髪で行きました
もちろん初日で先生に呼び出され
シンプルに叱られました。

まぁそんな感じで

やっぱり先輩に目をつけられ
シンプルに先輩が教室まで来て
なんか言われたのを覚えてます。

僕は最初の2ヶ月は自転車を漕いで
頑張って通ってました。

3ヶ月目くらいから
学校の近くのコンビニから
学校へ向かうのが嫌になり。

やっぱり行かなくなりました。

その時母からの言葉が思い浮かびました
母親はやっぱりなんでも分かっていると実感しました。

体育祭のリレーをアンカーを任されて
運動場を走り切り

学校を退学しました。


お母さん、、、ごめんなさい。


それでも僕は高校は卒業したいと言ったので
毎日学校へ通う、服装、髪型自由の
通信教育の学校へ行きました。

その学校はやっぱり
ギャル男かギャルかヤンキーかオタクしか居なかった。

そんな環境なのでもちろん学校へ行って
出席だけとってパラパラ踊ったり
カラオケやゲームセンターなどで
遊ぶ毎日が続きました。

自分が怖いです。

当時は、中途半端に不良で
中途半端にチャチャラしてて全部中途半端でした。

まぁでも、いろんな出会いがあり
同じ高校生とは違う黒い経験を沢山しました。

そして、、、
この高校生活で学んだのは、、、

勢いだけです。

ただ、この勢いが後々の僕に
大きな変化を与えてくれます。

勢いでアメリカ初めて行った時


ここまでの学生生活を振り返って
やっぱりこの時に勉強をしとけばって思う所ですが
31歳になった僕にはここで勉強しなかった分
今勉強するのがとても楽しいです。

僕の勝手な考えですが
今の時代Googleを開けば答えが出ます
ただ、その答えって本当に合っていますか?
その答えが本当に文章と写真だけで分かりますか?

僕の経験だけで話すと、

ネットで調べた情報のアメリカと
自分の目で見たアメリカは
全然違いました、その時にやっぱり
頭を動かすより足を動かそうと思いました。

「アメリカのマックのハンバーガー大きいんだって!」

と、言ってる人居ますよね?全然大きくなかったです。

そっから僕は少ないお金で
色んな所に行くようになり色んな景色を見て、
同じ場所に居て人生楽しくできるか?!と
考えはじめ今があります。

31歳になった今でも
まだまだ人生楽しくさせるぞ!って思っているので
これからも色んな事を学び
もっと楽しくさせる為に努力していきます。

で、番外編はこの辺で終わります。

そろそろ古着屋開業までの生い立ちの続きを
書いていこうと思います。 


それでは皆さんいつもありがとうございます。
ご視聴ありがとうございました。


今日の一言。

どの職場にも出世に興味ないけど
仕事クソできる人絶対居るよね?

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