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ネビラキランドに込めた願い

3年ぶりの雪あかり in 西和賀。

今年はネビラキランドという今までにない規模の雪あかりをこさえ、自分自身の内に秘めている何かを全面に表現できたと思います。それは、イメージであり、喜びであり、怒りであり、関係性であり、ここに暮らす理由であり、ネガをポジに変える心のありようであり、まあとにかくエネルギーの源みたいなものです。

ネビラキ広場

訪れてくださった多くの方のため息と、子どもたちのはしゃぎ声、住民の歓喜の声を聞きながら、この場が永続するにはどうしたらいいか考えてました。普段の日常があるから祭りがあるように、現実的にはそんなこと無理なんですが、でも暮らす毎日の日々から思考を尖らせることはできるんじゃないかと思いました。掴んだと思ったら消えていく空から舞い降りる雪のように、デリケートな物を受け止め、咀嚼し、思考する。

人間てそうやって思考したものをちょっとずつ実践していける生き物だから面白くも在り、悪くも在り、喜びも悲劇も生まれるのだと思います。

ネビラキランドの見回りしてたら「雪がなければここに暮らしたいのにな〜」という声が聞こえてきたけど、雪がなければこの内から湧き上がってくるエネルギーはなかったでしょう。

日々の雪かきや、凍結水道との格闘、出られなくなるという閉塞感がなければ、こんな表現にはならないと思います。訪れるであろうたくさんの人々の顔を思い浮かべながら、自分と対話しながら朝早くから雪像づくりの日々。

今年はろうそく250個くらい使った。

これが西和賀の暮らしの芸術。捉え方感じ方は大小あるかもしれませんが、豪雪という地域性だけでなく、暮らしている人たちの雪との向き合い方、そこに興味を持って近づいてくる人たちそのものがアート。温暖化で雪が無くなるという話もありますが、例え雪が無くなっても、自然との向き合い方、ネガをポジに変える心のありようさえ忘れなければ、この地域はいつまでも輝くでしょう。

ネビラキランドではあえて映えポイントを用意しませんでした。訪れた方は戸惑ったかもしれませんが、この掴みどころの無さがネビラキだと思ってます。来た方々が「ここかな?」と自分がいいなと思うところをそれぞれで見つけてくださったらネビラキランドの目的は達成されたのだと思います。

他人が何をいいと感じるかじゃなく自分の心と身体が何をいいと感じるかの感受性を大切にしたい。

人が持つ感受性(求感性)・身体性の可能性を垣間見れた素敵な1夜。

雪や人の心って自由で偉大だ!

zen

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