”悪”を悪と気づかない愚かさ    『武器になる哲学』#2


こんばんは

『武器になる哲学』書評シリーズ#2です

前回の”自由”についていかがだったでしょうか??

興味がありましたら是非一読くださいませ(*^-^*)


さて今回は

”悪の陳腐さ” ハンナ・アーレント

に触れたいと思います。


ユダヤ人虐殺計画といった残酷な計画がありました。

(アウシュビッツ強制収容所で強制労働、またガス室で殺害等)

この多くの命の処理システムを担っていたのが

アルドフ・アイヒマンという人物です。

この事件は誰もが、

”冷酷で人の命をなんとも思わない人なんだな”

という印象を持つと思います。

しかし、アイヒマンという男は

妻に花束を贈る”普通の人間”だったようです


人種に関わらず、どの人間にも家族や友人がいるにもかかわらず、

淡々と虐殺をすることができたのか?

アーレントは

「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」

と述べています。

そして誰にも当てはまる可能性があるということです。


多くの人は、システムの中において、

「悪いことでは?」と考えが至らず、そのシステム内で

「どううまくやるか」と考えるようです。


アイヒマンも、ただ出世するために与えられた任務を遂行していただけでした。


思考を停止・放棄し、システム通りに生きてしまうと

”悪”を悪と気付くことがありません。

「システムを批判的に思考していく」ことが大事ですね。


私でしたら”対話”でなくしていきたいです。

善や悪なんて一方的な見方ですし

悪なりの価値観があるので、

私は私が善としていることは押し付けはしません。

ただ対話として

「これっておかしいんじゃない?もっとよくなりそうなのに?」

を前提に考え、また意見してくれる人に耳を傾けています。


皆さんはいかがでしょうか?

是非、コメントがあればしてください!

ご一読ありがとうございました( *´艸`)

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