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信じているものは何(12)

悪魔騒動に懐疑的に思った勘。
それだけで「ダメ」と決めてはいけないことは
肌でわかっていますが、これが迷いにつながる
感覚を感じたので、しっかりとした芯を持とう。

そう思い、バチカンに一致している聖人の伝記や
「キリストに倣いて」など、魂に有益な書物を
もっと読み、霊性を高めようと考えました。

私が考えるまでもなく、読書は有益なものであります。
いくつか良い本を教えてもらったので、それらを
読んで、信仰生活に活かそうと思いました。

その本とは
「キリストに倣いて」(現在のではなく以前のもの)
「聖母マリアのまことの信心」
「各人の聖人伝」特に「聖マリアコルベ」
「聖母マリアの詩」
など、聖母マリアに関するものが多かった。

そして、当時教会認可のマリア信仰といえば
「司祭のマリア運動」でした。

ただ、この本にたどり着くには、もう少し時間がかかりました。

出来事が起こる

マリア信仰も少し落ち着き、LPの活動も
シナリオは出来ていたが、進捗の先は見えず、
ただただ、その時を待つ というものでした。

と言うのも、ことが進むには、ふた通りあり
一つは、以前のメッセージで語られていたことが
実現すること。

もう一つは、新しいメッセージにより、新たな
展開が始まると言うこと。

私は、おもに、前者の方を待ち望んでいるようでした。

それは、人の心理をよくついており、メッセージは
予言的なもので、
「これから○△□なことが起きます」や
「まもなく○△□でしょう」という
未来を期待させる。

そして誰もが知らないことを知っている
という優越感。
信じているものが証明される。
それらのことを心の片隅で願っているのです。

少なからず私も一理ありました。
私の感情は次の通りです。

「親に勘当され、一人になり、頼れるものを探し、
 自分の心に合う信仰を見つけた。そして
 その未来のビジョンは、私の置かれた劣勢
 な状況を逆転してくれるのだ。まもなく。」

こんな気持ちでした。
時は2000年まであと10年ちょっと、
当時話題だったノストラダムスの影響もあって
単純に、時が来た。と思っていました。

なので、信仰により、キリストの世界が来る
とか
愛のある王国が誕生する
などというよりも

「出来事が起きる」

ことを、待ち望んでいたのです。
これもまた、カルトの陥りやすいところです。

カルトにハマる過程は、危機と安心を提供し(具体的な例を伴い)
その上で、その人に特別感を与える。(選ばれし存在である)

それだけで、人は落ちるのです。
私も落ちてましたから。

しかし、その「出来事」が、常に先送りになるんです
なかなか成就しないんです。

そこで、私たちは運良く軌道修正することが出来たのです。

そうです。
LP運動は、教会の認可を得ていない団体で、
教皇様(当時ヨハネパウロ2世)に指名されて
表舞台に出る、という出来事が後に控えてました。

それでは、説得力がないので、教会に許可を得ている
マリア信仰をしっかり学ぼうということで、
ファティマはもちろん、ルルドなどから始め
そして、現在進行形であったあの運動にたどり着いた。

なぜ、そこにたどり着いたかと言うと、LP団体の一人が
「司祭のマリア運動」の神父様と対談したと言う情報でした。
(これは不確かです)

私は、その運動に通っている一人の信徒から
大阪のチェナクルムを紹介してもらい、そこに
行きました。

ただ、その運動に懐疑的なLP団体の信徒もおり、
この時点で、信徒は散らばっていきました。

この時からLP団体には、メッセージの更新や
起きた出来事のみを聞くようにしていた。

司祭のマリア運動

「司祭のマリア運動」はステファノ・ゴッピ神父様が
ファティマ巡礼中、聖母マリア様から内的語らいを受け、
この運動を始めるようにとメッセージをいただいた。
そして、全国で集いを行うという使命とともに
そのメッセージを本にした。
「聖母から司祭へ」という本である。

故ステファノ・ゴッピ神父     

このメッセージは、全国の境界や司祭、信徒達への
メッセージであり、かなりのメッセージを受け取ったとされています。

https://marianmovementofpriests.jimdofree.com/blue-book

さらにこの運動は教会に認可されており、
当時、各地で起こっていた聖母出現や、予言メッセージなどとは
一線を画したものでした。

そのメッセージの内容は、過激なものではなく
教会に立ち戻るように、司祭のために祈るように、
ミサにあずかるようにと、真っ当なメッセージが
多かった。

そして大阪のチェなクルムに参加し、それ以降は
お手伝いをするようになった。

ここまでを、シーズン1とさせていただきますと
私の信じるものは、キリスト教の信仰、しかも
世俗的ではなく保守的なキリスト教の信仰。
そして、同じような信仰を持っている人、
というような信仰中心に信じるものが形成されて
いる感じですね。

まとめますと
・宗教的信心とその関係者に対し
 信頼し、信用している。

このような状態ですね。

信じるものがあると
精神状態は安定し、
仕事や人の付き合い、
物事の考え方に安定的影響を
与え、迷うことが少なくなり
普通の幸せを感じる。

そんな状態ですね。

さて、次回はフェーズが変わります。
シーズン2とさせていただきます。

では続きもよろしくお願いします。


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