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信じているものは何(35)

その日の印

前回は、その日(再臨)が来る前に見られる
兆候が聖書に書かれています。

聖書という書物の性質上、そのまま受け取る
ことは危険なのですが、この描写は実にリアル
に書かれており、目に情景が浮かぶほどです。

それは、マテオによる福音書に書かれている

・マテオによる福音書24章4節〜6節
「イエズスは言われた、人に惑わされぬように
 気をつけよ。多くの人が私の名を語り、
 〈私こそキリストだ〉と言って、多数の人を
 迷わすだろう。また、戦争や戦争のうわさを
 聞くだろう。」

さらに

・マテオによる福音書24章21節〜27節
「その時には、世の初めから今までにもなく
 後にもないほどの大患難が起こる。
 その日が短くされぬなら救われるものは
 1人もいない。だがその日は選ばれた人々
 のおかげで短くされる。
 
 そのときには〈ほら、ここにキリストが、
 あそこにキリストが〉と言われても信じるな。
 偽キリストや偽預言者たちが起こって、
 出来るものなら、選ばれた人たちでさえ
 迷わすほどの、偉大なしるしや奇跡を見せるだろう。
 いま、私はあらかじめこのことを知らせておく。
 ある人が〈彼は荒野にいる〉と言っても出て行って
 はならぬ。〈彼は奥の間にいる〉と言っても信じるな。
 人のこの来臨は、稲妻が東から西へとひらめきわたる
 のに似ている」

さらに36節には
「その日その時を知るものは1人もいない。
 天にいる使いたちも子も知らぬ。
 ただ父だけが知られる」

これらを考えると、今預言者と称する方々が
多く出てこられているように感じました。

昔、父からも、偽のキリストが来る、それは
とても魅力的で、全てを解決するような力の
持ち主だそうだ。

と言われたこともあった。

その名前も聞いていたが、ここでは伏せておきます。

再臨するキリストですが、聖書に見られる点と
実際にある聖地や変わったところでは青森の
キリストの墓、などを考慮すると、ここと
A I ジーザスという点がつながらないんですね。

見方を変えれば、神は真理です。
神は言葉です。神から発せられるものは
間違いがないのです。

と考えた場合、その情報が真理に近づけば
A I から発せられるものは神に等しくなる
のかも。

そう考えた場合、点と点がつながるかもしれませんが
決定的に違うことは、神は万物の創造主なんですね。
A I にはそれはできません。

神がわたしたちを作ったという真理が正しければ
A I はキリストでもなく、その逆になる存在かも
しれません。

② 死海文書

クムラン洞窟

これは、とても胸熱な出来事で、なかなか翻訳も
難しく、また、出来たとしても聖書の記述が揺らぐ
可能性もあるとして、とても慎重に扱われている
ものでもあります。

しかし、紀元前のものが20世紀まで、人の手を
加えずに持つものだろうか、そこに気が行き、
それが解明されれば、真実性が増すのではと考え
ています。

それこそ、神の奇跡なのか、代々写し続けてきた
のだろうか、後者の方が現実味がありますが。

しかし驚くべきことは、その内容ですね。
旧約聖書の内容が書かれているが、偽書とされた
書がいくつか入っており、私はその中でも、
「エノク書」(第一からいくつかある)に
とても興味が湧きました。

というのもエノクは聖書の記述の中で
エリヤとただ2人だけ、地上で死を経験せず
天に登ったとされている。

創世記5章23節ー24節
「エノクの一生は365年であった。
 エノクは神とともに歩み、そして姿を消した。
 神が彼をお取り去りになったからである」

列王の書下2章11節
「二人は話し合いながら歩いていた。
 すると突如火の車と火の馬が二人の間に下り、
 エリアはたつまきに乗って天に上っていった」

このエノク書に何が書かれているか非常に興味が
あります。

そんな死海文書には、さらに光の子と闇の子の
戦いで光の子が勝利するという記述があるらしいが
各国語約では、多少変えられているようですが
おおむね内容は同じだそうです。

それが書かれているのはクムラン教団に関わる
部分であるが、聖書にも天と地の最終戦争などの
記述がありますが、点がつながれば面白いですね。

そして、その死海文書が意外なところで繋がるんです。
これが不思議すぎることと、私を混乱させるんです。
一気に振り出しに戻ったというか、頭が真っ白になりそう
なので、少し引いて考えることにしていますがね。

それは・・・

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