見出し画像

ちゅん太のいた夏(第十三回)

【宇曽利山湖とユーチューバー】

どれぐらい時間が経ったのか、フロントから電話があって我に返った。サトウさんがロビーで待っている。急いで支度をして、ノーメークのまま出ていった。
「朝早くて起きられなかった?もうおひと方は?」
「すいません行けるのは私だけです。事情は後でお話します。電車の時間があると思うので、急ぎましょう」
下北駅までの直通電車に乗って、陸奥湾をなぞるように半島を進む。曇り空の下で、海も鉛色のにぶい光を反射させている。遠くにかすんで見える対岸が、灰色のグラデーションにかろうじて空と海の境界を示していた。
「朝、腫れぼったい目をしていた。泣いたんでしょう。彼女と何かあったの?」とサトウさんが心配そうに訊ねてきた。
「ウエノさんは、ひとりで帰りました。書き置きがあって、恐山怖くて行きたくないって…。でもひとりになってしまったら、どこかでパニックになったらどうするんだろうって思って。置いて行かれたこっちも心細くなってしまって。ちゃんとさよならも言わずに行ってしまった。その気持ちがわからないし、とても寂しくて」
サトウさんは、返答しないでしばらく海を見つめていた。そして静かに話し始めた。
「私が住んでいるのは、東北でも太平洋沿いの方なの。東日本大震災、あったでしょう。娘はあの津波でどこかにいなくなったの。そのとき彼女は車に乗っていて、だいぶ後になってその車は見つかったのに、中には誰もいなかったの。今でも、ただ遠くに行っただけの気がしてしょうがない。なかなか気持ちの整理がつかないのは、まだお別れを言ってないからだと思っているの」
あの津波では今でも行方不明者が何千人もいたはずだ。残された家族や友人たちは、皆似たような思いを抱いているのだろうか。人々の心に沈んだ歳月の重さを考えている間に、低く垂れ込めた雲がますます地上に迫ってきた気がした。
「でも今のあなたなら、わかってくれるでしょう。もう一人の彼女が突然いなくなって、気持ちのどこかに、近い感覚があると思うんだけど」
普通の観光に出かける感じで、ウエノさんはいなくなった。確かに置き手紙がなかったら、行き先を間違えただけだと思って、まだ彼女を探し続けているかもしれない。そう、置き去りになる感じは、少しだけわかる。
サトウさんは続けて、その時の状況を説明してくれた。
「地震が収まって、1回だけ携帯電話が通じたの。きっと津波が来るから、早く高台に逃げなさいって、話したんだけど。結局それが最後の会話になったのね。考えれば考えるほど、そのことを後悔してしまうの」
離れた場所にいたのだから、直接は助けてあげられない。でも一度は話が通じたのだから、何もしなかったよりもベストを尽くせたのではないかと思うけれど。
「昨日も話したように娘は少し他の人と違ったところがあって。私だけ、何人か精神科のお医者さんに相談したこともあったの。当時はアスペルガー症候群、いまは自閉症スペクトラムって呼ぶみたいだけど、その傾向がありますねって。ただ直接お嬢さんを診ないとなんとも言えません、が共通した答えだった。でも娘は連れて行かなかった。ちょっと他人とコミュニケーションをとるのが不器用なだけ。その他は普通、いや手先を使うこととか、普通の人より優れているところもいっぱいあったから、変なコンプレックスは与えたくないと思ったのね。親ばかと言えば親ばかなんだけど」
私だってそうすると思う。心配はするけど、不安にはさせたくない。こっちがこっそり対応して済むなら、それでいい。
「おかげさまで、その後も普通に就職して、普通に仕事もしていた。あの日も会社の車で荷物を運んでいたの。だから、親ばかで良かったんだって、あの日までは思ってた。最後の電話までは」
どうして最後の電話をそんなに気にしているのかな。
「ウエノさんがそうだったでしょう。心理的な負担で、娘もちょっとした感情の爆発はあった。でも大したことはなかったの。ところがあの大地震。すぐに血相を変えて私が電話した。それが重なってパニックを引き起こさなかったか、それが気になってしょうがないの」
ユーチューブで様々な場所の、同じようなシーンを見たことがある。その場に立っていられないような地震が来る。見回すといい大人がみんな右往左往している。波に触れた建物が、土埃を舞い上げながらなぎ倒されていく。私でもパニックになるだろう。
今、目の前は陸奥湾だ。この一面の灰色が、高さ10メートル以上に隆起して迫ってくる光景をイメージしてみた。余程肝の座った人間でなければ、ヘナヘナとその場にへたり込むはずだ。娘さんが平常心で行動できるわけがないのは、容易に想像できた。
咄嗟に電話をしたことは、どう考えても間違いではない。でもそのことが、同じ後悔が幾度も幾度も頭の中を駆け巡って、何年も止まらないという結果をもたらした。何と残酷なことだろう。
途中でぷつりと切れてしまった糸をつなぐために、暗闇で見えない切れ端を手繰り寄せるような無理難題。私はまだいい。ウエノさんが書き置きを残してくれた。しかしそんな目印も標識もなく誰かと別れたら、残された者は確認のために何度も同じ道を行ったり来たりせざるを得ないだろう。
下北駅に着いた。ここからバスに乗り換えて恐山を目指す。同じ電車に乗っていたのか、原宿か渋谷からオールのままやって来たような男性二人組が横の座席に乗り込んできた。一人は真っ赤なTシャツに金色に染めた髪の毛、もう一人は黒いTシャツに黒い短パン、小太りで短髪だ。
「イタコさん、撮影できるかな」
「まあ頼んでみるしかねーな。ダメでも周りの景色は撮って帰ろうぜ」
「地獄ってこんな感じですう、とか、編集次第で面白くなるかもな」
そんな会話を続けていたのだが、私たちに急に話しかけてきた。
「あの、お二人は親子ですか。恐山、行きますよね。お話伺っても、いいですか?」
何よ馴れ馴れしい、と思ったが、サトウさんは私とウエノさんに対するのと同じ調子で、彼らにも受け答えしている。息子のような気分がしているのだろうか。
「津波でいなくなった娘に会えるかな、なんて思いながらバスに乗ってます」サトウさんは何の疑いもなく素直に受け答えしているが、一人が話を聞きながら、もう一人がスマホで動画を撮っているようだ。サトウさんは気づいていない。無視を決め込んでいたのだが、さすがに声をかけざるを得ない。
「ちょっと、撮影は困るんですけど」
「どうしてですか?記録ですよ記録」
「知りもしないあなた方の記録に残る必要はないでしょう」
サトウさんが「いいじゃない。ねえ」と両者をなだめて、なんとなくその場はうやむやになった。
すいません、と言いながら、録画を止めて名刺を出してきた。ユーチューブのチャネル名とアドレス、ハンドル名、「好きなことで生きててごめんなさい」というフレーズが書いてあった。
「娘さんはおわかりですね。ユーチューバーなんです」
面倒なので親子関係でないことは特に否定しないでおいた。サトウさんもただ笑っている。交通手段が同じということは、今日はこれからこの人たちと行動がかぶってしまうことが予想された。彼らも同じことを考えたようだ。
「今日はずっとご一緒することになるかもしれませんので、よろしくお願いします」
「よろしくね。お若いのに信心深いのねえ」とサトウさんは感心すらしていた。
バスが恐山の駐車場に着いた。降りるとすでに微かに硫黄の臭いがした。恐山は地蔵信仰の霊場で、地蔵菩薩が本尊だ。至る所にお地蔵さんの像と、幼子をあやす無数の風車が祀られている。ちなみに、地蔵の「地」は大地を表し、「蔵」は生命を生み出す母の意味だそうだ。参拝案内図の受け売りだが、ウエノさんに影響されてなんだか調べ癖が付いた気がする。
宇曽利山湖は、水に含まれる硫黄分によってほとんどの生物は棲めない。その代わり、とても透明で神秘的な湖だ。白砂の湖畔も美しい。宇曽利山湖に面して白い火山岩が散らばる庭園があり、その奥に恐山菩提寺がある、という位置関係になっている。参拝は逆に駐車場から本尊(菩提寺)、地獄めぐり(庭園)、極楽浜(湖畔)という流れだ。
山門入り口の横に、口寄せ用のテントがあった。すでに大勢の人が並んでおり、今からではいつ順番が来るのか見当もつかない。他にすることもない並んだ者同士が、問わず語りにどこから来たか、何を口寄せしてもらいたいかなどを話し合っていた。曇り空とはいえ、遮るもののない夏の野外だ。汗と疲労がどの人の衣服にもまとわりついていたが、皆助けを求めるような表情なのは暑さのせいだけではないだろう。
イタコは、霊ならなんでも呼ぶわけではなく、近親者の口寄せしかしない。だから基本的にはプライベートな悩み相談という側面が強い。ここは亡くなった人と生きている人をつなぐ、千差万別のデリケートな物語の確認の場なのだ。私のような人生経験の浅い人間が、浅知恵を元に軽々しく触れられる事柄ではないと、並んだ人たちを見て思う。
しかしユーチューバーの優先順位は、人々の「想い」ではなく、ビデオの撮れ高だった。
「あ~あ、イタコさんまで行きつかねーな」
「どうする?とりまインタビューかな」
高価そうなビデオカメラを構え、列に並んだ人たちに、今日はどなたを呼んでもらおうと思ってますか?どんな思いでこちらに来られましたか?など不躾に質問しはじめた。なんとなく、街角インタビューのような体に見えなくもない。皆さん人がいいというか、亡くなった親族の思い出を素直に打ち明けた後、その場で隣の人の肩に凭れて泣き出す人も出てきた。これではユーチューバーが口寄せしているみたいではないか。もちろん、そんな光景は格好の撮影素材だ。
私は、イライラしていた。ここでそれはないだろう、と思った。
「ねえ、あなたたち、並ぶなら静かに並んで。ここでイタコの真似事しないで」
「いやあ、でも皆さんいろんな想いがありますよね。ぜひカメラの前でお話しください。ここは霊場です。きっと故人の元へお気持ちが届きますよ」とユーチューバーは周りに話した。私には、適当な言い訳にしか聞こえなかった。
驚いたことに、どちらかといえば邪魔した私が悪者だった。いいじゃないですか、ここでそんなに怒るのも霊に障りますよ。そんな風にやんわりとたしなめられた。なんだか本当に自分が悪いのかも、とうっすら弱気になった頃に、サトウさんが突然山に行く、と言い出した。口寄せは諦めたのだろうか。
「娘が呼んでいる気がする」とサトウさんは呟いた。
ユーチューバーは、待ってましたとばかりに「行きましょう!入山して地獄めぐり」と言った。彼らは私がさっき釘を差していなかったら、ヒャッホーという叫びも口にしていたに違いない。
山門からは、まっすぐな通路が菩提寺まで続いている。早足に次を急ぐサトウさんに合わせ、そそくさと参拝を済ませ、無間地獄から始まる地獄めぐりの庭園に入って行った。
サトウさんの後を追って、私とユーチューバー二人が歩を競う、という見方によっては滑稽な一行となった。硫黄臭の漂う荒涼とした岩山、無数の風車がカラカラと回り、至る所にお地蔵さんが佇み、賽の河原の石積みが連なる光景は、確かにあの世の入り口に相応しかった。ユーチューバーは、顔をしかめながらそれら地獄の風景を撮影していた。
途中サトウさんは石が積まれている小山に新たに石を置き、しばらく手を合わせていた。
幼くして亡くなった子供は、親不孝の罪で地獄に落ちるとされる。その償いのために、子供たちは三途の川で一生懸命に石を積む。自分の背丈を超えれば、無事成仏できるからだ。しかし必ず鬼がやって来て、その石積みを崩してしまう。そこに地蔵菩薩が現れ、鬼を追い払い、子供たちを救ってくれる…。これが、地蔵菩薩にまつわる伝承だ。
サトウさんのような来し方の人にはつらい話だと思う。子供たちへの弔いのために、こうして訪れる人が石を置いていく。亡くなった子供の名前を書いた石も多い。風車もそうした子供たちを慰撫するために供えられる。ここにある石、風車一つひとつにそんな想いがこもっているかと思うと、なぜか全身から力が抜けて、自分も周囲の硫黄ガスに混じって気体になり、そのまま空へ吸い込まれて行きそうな気分がした。
血の池地獄まで来て、私とユーチューバーが水の色が赤くないのは何故なんだと揉めている間に、ふとサトウさんがいなくなった。極楽浜の方向に目を向けると、白い砂浜に遠く、若い女性と歩くサトウさんらしき人影が見えた。
「サトウさん!」
私とユーチューバーは走り出した。その瞬間、どんよりと曇っていた空が晴れ、周囲は眩しいほどの光に包まれ始めた。湖の水もコバルトブルーに輝き出した。砂の上だから、夢の中で駆けるようになかなか前に進まない。私の目にはもう一人の若い女性が、ウエノさんのように見えた。同じような背格好、同じような歩き方、髪型も同じだった。
「ウエノさん!ウエノアサヒさん!」
思わず彼女の名前を叫んでいた。陽も傾き始める時間帯だったが、光はますます強くなるばかりだった。さらに近づくと、何と二人が手を繋いで、湖の中に歩いて行こうとしている。
「ダメ!戻って!」
叫んでも何も聞こえていないようだった。私たちが全速力で走るより、彼女たちが水の中を進むペースのほうが速かった。最後は足がもつれ、思い切り前のめりに転んだ。その瞬間、光はもう目を開けていられないほどに眩しくなり、私は気を失った。
気がつくと砂浜に横になっていた。ユーチューバーがしゃがんで私を見下ろしていた。私は東日本大震災後に極楽浜に建立された、供養塔のすぐ横に寝ているようだ。なんということだ。サトウさんとウエノさんを止められなかった。「ああ」と嗚咽が漏れた。
「お、気がついた。大丈夫?娘さん。良かった無事だったね」
「サトウさんは?!ウエノさんは?!」横になったまま私は思わず叫んだが、まあ落ち着いて、となだめられた。私が転んで気を失うまで、ユーチューバーの話を聞くと血の池地獄からの経緯がどうも違う。
「血の池地獄で気がついたら、あなたとお母さんがいなくなってた。極楽浜の方を見ると、遠くに二人が並んで歩いてる。いた!と思ってビデオを回していたら、二人で湖に入っていくから慌てたね。全速力で砂浜を駆け寄っていった。そしたら急に眩しい太陽の光に包まれて、その次の瞬間には、俺達は震災供養塔の近くに立っていて、二人も側で横たわっていた。これで合ってるよな」
「うん、合ってる」ともう一人が答えた。
横を見ると、サトウさんが「うーん」と言って目が覚めるタイミングだった。
「良かった、サトウさん!」
起き上がって、サトウさんの身体を揺すった。湖に入ったはずなのに、不思議と服も髪も濡れていない。私の衣服も濡れていなかった。サトウさんは、ニッコリと笑って、「会えたの」と言った。
「娘さんに会えたの?」と私は訊いた。サトウさんは微笑んだまま頷いた。上半身を起し手を胸に当てて、空の一番高いところを探すように顔を上げた。
本当に会えたんだ、と理解した。ユーチューバーはまさに狐につままれたような顔をしていたが、微笑んだままの二人に、こう訊ねた。
「全部撮影してます。見ますか。それにしてもなんでおかあさんじゃなくてサトウさんなの?」
ビデオカメラのモニターで、極楽浜を広角で撮ったシーンから再生してもらった。遠景に人影が二人、そこからズームすると、ひとりはサトウさん、もうひとりは…ちょっと寒気がしたが、確かに私だった。
そこから走って撮影しているので画面はブレていたが、浜辺を歩く二人をかろうじて捉えていた。カメラがあと10メートルほどに近づくと、そこで画面いっぱいに光があふれ、録画も終了していた。
「あれ、おかしいな。ここで終わってる」
自分が入水自殺をするシーンを自分で見る、なんて恐ろしいことにならずに私はほっとした。結局知らない人が見たら、仲のいい親子がのんびり湖畔を散歩している情景が撮れているだけだ。どうして撮影者がこんなに慌てているのか、見た人は理解に苦しむだろう。
「これ、アップしてもいいすかね」
と彼らが聞いてきたが、私の実体験とももはや違うし、私たちでなければ誰が映っているかもわからないので、「勝手にどうぞ」と告げた。ここでそんなことで揉めるのも嫌だった。
私とサトウさんは、しばらく極楽浜にある休憩所に座っていたが、どちらともなく歩き出し、地獄めぐりの後半を抜けて恐山を出た。ほとんど何も話さずに来たルートを辿って青森市まで帰った。ユーチューバーも同じバス、電車を乗り継いでいたが、もう私たちには何も話しかけてこなかった。サトウさんが恐山に来た目的は、予想を超えて達成されたように思えた。
青森駅に着いたのは夜の7時過ぎだった。サトウさんが食事はどうするか訊ねてきたが、疲れていたので断った。明日、もう一度会う約束をして別れた。

つづく

サポートのしくみがよくわからないので教えてください。