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苦しみを感じたくない


今日は、ひとのことアカデミー
専修チャクラの第1回目だった。

瞑想を実践する時に
どのようにするかの話だった。

実際講座中に、
参加者で瞑想をやってみた。

瞑想中、私は、主に
・足の痛み
(身体が硬くなっているのだな。
今朝公園に行って身体を
動かしたな。気持ちよかったな)
・あごのかゆみ
(お菓子食べ過ぎた、
老廃物が溜まっているのかな)

等、まず
身体の感覚に意識が向いて
思考がはたらくことが分かった。

が、それ以上は思考のループで
終了した。

この時の私は身体の感覚からの思考
のみで終わったが

・身体とこころ(気持ち)
・お金と精神
・思考と気持ち
というように

自分の中に常に2つのものが在り
それが対立することなく
同時に在る

ということを実感するには

・足の痛み
(身体が硬くなっているのだな。
今朝公園に行って身体を
動かしたな。気持ちよかったな)
→公園に行って身体を動かしたくなるほど
どんな気持ちがそこにあったのだろう

・あごのかゆみ
(お菓子食べ過ぎた、
老廃物が溜まっているのかな)
→お菓子を食べ過ぎるほど、
どんな気持ちがそこにあったのだろう

という自分への問いかけをするんだよ、
すると、身体(物質面)から入って、
気持ち(精神面)があることに辿り着く。

私は、対立の思考が多い。
また、気持ちに辿り着くまでに
「ま、いっか」と辞めてしまう。

今日は、講座後のシェア時に、
『苦しみを感じたくない自分がいる』
ということに触れた。
また『ばつが悪い』と表現していたことが
『苦しい』だったことを知った。

私の中に、
・『前は、事業所の代表だった。偉いんだよ』と思う
権威主義の私
・『事業所の代表もやってたんだからある程度のことは
出来る』という私
・自分はやったことも出来たこともない仕事に
就いている人のことを
『バカにして見下す私』
・頼まれた仕事を無責任にすぐ投げ出す私
がいる。

(認めたくない、受け入れがたい!)

じゃあ、そんな自分でいることはどうなのか?
と自分に問うた時

苦しい。という感覚はわずかにある。
(胸のあたりがぎゅっと苦しくなる)
だけど、
それを感じたくないものだから、
「いや違う、そんな風には思ってないよ」
「そんなこと思っちゃダメじゃん!」
「次はちゃんとしよう」
という考えによって、
苦しさを実感することを避ける。

このnoteを書いていても、
胸のあたりが苦しいしもやもやしている。

苦しむを受け入れよう。
苦しみをとことん受け入れた先に、
自分がどうなるのか楽しみだ。








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