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子どもは子ども わたしはわたし

「育児は育自」と言う通り、本当に学ぶことも多く、正解もわからない毎日。せっかく大学で教育学専攻だったのだから、教育心理学の授業をもっとまじめに聞いていればよかったと親になった今では思います…。

初めて母になった時、育児本をいろいろ読みました。読み漁ったというほど読んではいないのですが、それでもためになる考え方や教育方法は多少学べました。アドラー心理学、モンテッソーリ教育、シュタイナー教育等々、子どもに対しての考え方や教育法ってたくさんあって、どれもうまく取り入れたら素敵なものばかりなのですが、どうも私は活かしきれずにいます。
たぶんもっと深く学べば身につくのかもしれませんが、子どもを尊重しよう、子どものすべてを受け入れよう、子どもを信じよう、と頭ではわかっていても、どうしても手助けしてしまうし、先回りして声かけをしてしまうし、待てずに急かしてしまう。うーん、子育てって難しい。
本格的にこういった教育方法や学術知識を取り入れたい方は専門知識のある方から直接学ぶのが一番効果的だと思います。

そんな中で、子育てとは関係なく先日MBTIという性格検査のセッションを受けたのですが、MBTIを知って、子どもとの関わり方にようやくしっくりいくヒントを見出せた気がします。今日はそのお話です。

MBTIについては、認定ユーザーでもないし自分自身が学びきれていないので、曖昧な情報を出さないためにも深くは触れませんが、そこで学んだ類型論と特性論の違いが、私にとってはすごく有意義なものでした。
※ちなみに、「MBTI」と調べて出てくる無料診断は本来のMBTIとは別物です。私も過去に遊びで受けたことがあったのですが、本物のMBTIを学んで全く別物だなと痛感しました。巷で広まっている方がメジャーになってしまっているあたり悲しい…

ギュギュっとまとめると、
◆類型論
・カテゴリに分類する
・固有なものを持って生まれている
・絶対的なものの見方

◆特性論
・量や程度を測る
・誰もが持っており、程度が異なる
・相対的なものの見方

ということなのですが、
もっとわかりやすく言うと

◆類型論
似た特徴や共通点で分類して考える
例)哺乳類・爬虫類・鳥類 等、そもそもの違い

◆特性論
大きさや色などの特徴に注目して考える
例)鳩より猿の方が大きい、うさぎよりライオンの方が強い 等、比較

ということになります。
そして、日本人は文化や教育の影響から、特性論で見やすい傾向があるそうです。
「君は頭がいいね」と言われても、「あの子に比べたら私は全然…」と思ってしまうのは特性論で見ているからですし、「私は真面目な性格です」と言う時にも、何かしらの基準と比べて真面目なのかどうかという視点があるはずです。

無意識に特性論で見てしまうのは子育てにおいてもそうだと思います。子育てでは人と比べちゃいけない、姉妹で比較しちゃいけない、とよく言われるので、その点は意識できているにしても、そもそも親である自分の物差しで子どもを見ている時点で何らかの基準での比較をしてしまっているのです。
「もう小学生なのだからこのくらいできてほしい」
「こんなことは怖がることじゃないよ」
と思うということは
「小学生だったらこのくらいできるのが一般的だろう」
「こんなことを普通は怖がらないだろう」
という自分の基準が入ってしまっているのです。

主体は自分ではなく子どもなのだから、
「小学生であろうと、彼女にとってはできないこと」だし
「彼女にとってはとてもこわいこと」だったりするわけです。

「子どもの個性を大事にすること」とも言えますが、もっとシンプルに、「子どもと自分は別の人物」と割り切ることが大事。
類型論的に相手を見る場合、「私より○○なのね」とは捉えず、「へぇ、そんな考え方があるのね!」と捉えることができます。
それと同じように子どもの言動に対しても、自分とは別のタイプだと思えば、想定外のことであっても「そんなふうに思うのね!」「そんなことするのね!」と新鮮な驚きとして受け止められると思います。

自分の思い通りに行動して自分が常に理解できる言葉を発する子どもがいるのなら、それはクローンくらいしかありえない気がします。
子どもは子どもの人生を歩む。親である私の人生とは別物なのです。

先日長女に、
「お母さん、なんで知らないの!?あ、38歳だからか!」
と勝手に理解して自己完結されたできごとがありました(なんて失礼な結論の導き…(笑))
彼女は教えるまでもなく、自分と親は別だ!ってわかっているのかもしれませんね。

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