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メトロポリタン美術展で出会った、ゴッホとゴーギャン

先日、東京で開催されているメトロポリタン美術館展へいってきました。

詳細はこちら↓

こちらの展示の中で、ゴッホとゴーギャンの作品が並べて陳列されていました。まさしく陳列の妙。

かつてフランスのアルルで共同生活を送っていた二人。ですが、わずか二か月で同居を解消。
その後アルルに残ったゴッホと、タヒチに向かったゴーギャン。

描かれた年代から推測すると、二人とも自らにとっての楽園を描いているように思えてならないのです。
個人的な感想ではありますが、順に紹介したいと思います。

(なお、画像はメトロポリタン美術館公式サイトおよびメトロポリタン美術館展公式サイトから引用させていただきました。)

フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲く果樹園」

1888年春、南仏アルル時代の作品です。

色鮮やかな花と、新緑が生き生きと描かれています。力強いタッチながら、穏やかな空気を感じとれます。

1888年春。ゴッホは南仏アルルに明るい陽ざしを求めて移住しました。
周囲には花盛りの果樹園。そして小麦畑。ひまわり。

季節の移り変わりを絵画に切り取っていきます。

「黄色い家」を共同のアトリエにして、多くの芸術家が集まる共同体(コミュニティ)をつくりたいという希望にみちあふれていた作品です。

ポール・ゴーギャン「タヒチの風景」

1892年、一回目のタヒチ滞在中の作品です。

さかのぼること1888年10月。ゴーギャンはゴッホの呼びかけに呼応し、「黄色い家」にやってきます。共同生活がスタートし、ふたりとも相当数の作品を制作します。しかし価値観の相違から、共同生活は破綻。

その後ゴーギャンはタヒチへ向かいます。
かの地の大自然に魅了され、南国感たっぷりに作品を描きます。

ゴーギャンもまた、南国の光を求めてタヒチへ。奥行きのある構図と、色あざやかな筆づかいは、まさしく地上の楽園。


まとめ

ゴッホとゴーギャン。
奇遇にも共同生活を送っていた二人。

今回のメトロポリタン美術館展で、二人が描いたユートピアが二枚並べて展示されています。

それぞれの画家の人生をたどりつつ、鑑賞してみるのはいかがでしょうか。

追記

なぜゴッホの人生は詳細に語られることが多いのでしょうか。

ゴッホは弟のテオと友人のベルナールに宛てて、多数の書簡を残していたに他ならないからです。 

書簡をひもとくことで、ゴッホという画家がどれだけ芸術に真摯に向き合ってきたのか、私たちはうかがい知ることができます。

たった一本の草、なんという誠実さの鑑(かがみ)か!

この言葉は、どこかのゴッホ展で書きとめたものです。

ゴッホの絵を見るたび、たった一本の草の中に誠実さを見いだす画家の姿を思い出すのです。世界はきっと誠実さでみちあふれている、と信じて。

2022-05-01 石川 恵里紗


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