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世界の終わり #1-5 プレミア

「あ?」間抜けな声をだした荒木が腕の力を緩め、眉間にしわを寄せて後方へと退く。
 ぼくも驚いて――いや、呆けた顔になっていたかもしれない。忍びこんだ家に潜んでいた男が、不法侵入者を責めるような発言をするなんて思ってもいなかったから。「もしかして、ここって……」あなたの家ですかと問うも、そんなはずはないって頭の中で囁く。九州は七年間封鎖状態にある。住民は強制退去させられたのだ。たとえこの男が屋敷の主――峰岸氏であったとしても、自衛軍の管理下に置かれた立ち入り禁止エリアで、七年もの間、身を潜めて暮らすのは容易じゃない。
「そ、そうだ、わたしの家だ。大体、なんだきみたちは。きみたちの目的こそなんだッ」
「適当なことをいって誤摩化すんじゃ――」
「ま、待って!」
 腕を振りかぶった荒木を制する。男の発言は取り繕いの嘘としか思えないが、万が一ってこともある。外見のくたびれた感じはそれっぽくあり、七年間、無人の街で暮らしてきたというだけの説得力を兼ね備えていたからだ。
「本当にあなたは、この家の主なんですか」ぼくは問うた。
 可能だろうか。自衛軍に発見されることなく、グールの脅威に晒された九州で、七年も生活することが。一部の地域を除いてライフラインが停止しているのは言わずもがな、食料の調達だって困難を極めるはずだ。いや、無人となった街のあちこちから保存食をかき集めれば、七年くらい生きられるのかもしれない。咎める者がいないこの地は、ある意味、楽園といえるだろう。そうだ。見方を変えれば、ここは楽園だ。安全さえ確保できれば、日がな一日、自由にできるのだし。
「ここはわたしの家だ。わたしはずっと、ここで、暮らしてきた」
「そんなわけねぇだろ。誰にも見つからずに過ごせるわけが――」
「待って。待てって、荒木」再び制して、男の正面に立つ。「とりあえず、信じます。信じてみますよ、あなたの話を。あなたは峰岸さんですよね? この屋敷の主である、峰岸さん」
「あぁ」男は顔をそむけつつも、首肯した。
「ずっとこの屋敷に隠れて暮らしてきたんですか」
「あぁ」
「七年間も?」
「そうだ」
「どうして避難しなかったんです」
「わたしの家はここだ。誰になにをいわれようとも、生まれ育った家を捨てるつもりはない」
「はぁ。まぁ――」気持ちは解らなくもないが、七年もの月日と引き換えにする理由としては弱い気がする。
「それより、きみたちは何者だ。わたしをどうするつもりだ」
「さっき口にしましたけど、火事場泥棒ですよ、ぼくたちは」
 ちらと荒木の表情を窺ったが、今度は絡まれなかった。荒木は真剣な眼差しで、会話に聞き入ってる様子だ。
「ならば政府とは関係ないんだな」
「もちろん」表情を作って頷いてみせる。関係あるはずがない。
「どうやってこの街に入ったのか知らないが、きみたちもわたしと同じく、見つかってはならない立場にあるというわけだ」
 ここではじめて、男――峰岸氏と目があった。口元には引き攣った笑みが浮かんでいる。同類と思って親近感を抱いたのか、街に残っていることを通報されないと知って思わずもれた笑みなのかわからないが、安堵しているように見て取れる。しかし臭い。それにしても臭い。雑菌の繁殖した衣類のような悪臭が、絶えず峰岸氏から臭ってきている。
「リビングに吊るしたグールは?」わずかに空いた間に滑りこむようにして、荒木が峰岸氏へ問いかけた。
 ぼくは鼻を押さえながら、顔を向けた。荒木の目つきは時間の経過とともに鋭さが増しているような気がする。
「なんの意味があって、室内に吊るしているんだ」さらに問う。
「いけないのか」抑揚をつけずに峰岸氏はいった。
「質問に答えろッ」手にした懐中電灯を壁へと打ちつけて、荒木は声を荒立てる。
 やめてくれ!
 面倒なことになっては堪らない。両者の興奮が鎮まり、落ち着いた感じで話が進みだしたってのに、ふりだしに戻されるのはごめんだ。暴力反対。
 後頭部はまだ疼いているし。
「シン、は、わたしの家族だ。きみたちにとやかくいわれたくない」
「え?」思いがけない峰岸氏の言葉に身体が固まってしまう。「家族?」
「あの子は大事な家族の一員だ」
 瞬きを繰り返しつつ静かに前進し、混乱しかけた頭の中を整理する。家族。大事な家族の一員――そう聞かされると、導きだされる答えはひとつしかない。
「ひょっとして、息子さんなのですか?」ぼくは問うた。
 リビングに縛りつけられたグールは、峰岸氏の息子なのだろうか。ならば危険なグールを屋敷内に入れている理由も頷ける。親にしてみれば、醜いグールと成り果てた息子も、可愛い我が子であろうから。
「あぁ、そうだ」峰岸氏は視線をそらしたまま首肯した。
 親子だったんだ。峰岸氏と、あのグールは。もしかすると、峰岸氏は息子を守るために、退去命令のでたこの街に残ると決めたのかもしれない。感染し、グールになってしまった者は処分の対象となる。殺されるのだ――自衛軍によって。
「シン、ってのが、あのグールの名前か」
 荒木が尋ね、
「あの子の名前だ」
 峰岸氏は不貞腐れたように答える。
 キイイイイイイ、と、突然、リビングのほうからきしむような音が聞こえてきた。名を呼ばれたグール――シンが、反応を示したようである。気になって身体の向きを変えるなり、玄関にいる板野と目があった。両の目を赤く充血させた彼女も、やはり鼻を押さえていた。
「いい加減、手を放してくれないか。きみたちが窃盗目的で忍びこんだことはわかった。背後から殴ったのは悪かったが、わたしだって――や、申しわけなかった」
 峰岸氏の謝罪の言葉を受け、ぼくはまっすぐ見つめる。
 峰岸氏は頭を垂れて、唇を噛んでいる。
 正直なところ、殴られたことは根にもっているけど、これ以上揉めたくはない。できれば暴力を排除して、峰岸氏がぼくたちの言葉に従ってくれればありがたいのだが――なんてことを考えていると、気持ちが伝わったように、実にタイミングよく峰岸氏のほうから、ひとつの提案がなされた。峰岸氏、曰く。「わたしが望むのはこれまでと同じ、平穏な暮らしだ。家族との生活を壊さないと約束してくれるのなら、きみらが望むものは惜しみなく提供しよう」と、自ら進んで窃盗被害にあうことを受諾してくれたのである。
 峰岸氏が息子を守るために街に残ったと考えると、納得できる提案だ。
 ぼくは荒木を説得した。結果、峰岸氏を解放することで決まった。荒木は不満そうな顔を見せていたが、悪くない展開だ。暴力はよくない。こうしてぼくらは家主同意の元、任務再開にこぎつけた。
 ただし、峰岸氏から説明を求められた。そりゃそうだろう。大事にしていた家の中のものを他人に持って行かれるのだ。ぼくたちが何者で、なにを目的とし、選りに選ってこの屋敷に忍びこんだのはどうしてなのか知りたいと思うのも当然だ。
 だからぼくは答えた。
 感情を交えず、簡易に。

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